新年一発目に観た映画です。

観たのは1月なのに、書くのは2月になってしまった。

コレまでにないミュージック映画です。

映画「レ・ミゼラブル」


物語は、激動のフランスを生きたジャン・バルジャンの半生を描く形で作られます。

妹の娘を助けるために、パンを盗み、脱獄を何度も試みたために、19年も収監されていたジャン・バルジャンが仮釈放されるところから始まります。

その後、司祭、ファンティーヌと出会い、コゼットと触れ合い、ジャン・バルジャンは変わっていきます。

ジュベールから逃げ惑いながら、そのときの自分の中の正義に従い行動し続けます。

それを時代背景を交えながら描き出していく作品です。


これまでのミュージカル映画は、ミュージカルを映画館でやっている感じがあってあまり好きではなかったです。

でも、この映画はミュージカルを映画用の演出に作り直している感じになっています。

細かいカット割りや一人一人の細かい動きや表情をしっかりと映し出しています。


この映画が新しい部分として、演じている間に実際に歌っていることもあります。

通常のミュージカル映画は、演じている間には歌わず、あとから音だけ入れています。

この映画では、実際に演じている間に歌うことで、場面にあった雰囲気が作り出されます。

そのことが、表情のアップや緻密なカット割りを可能にしているのだと思います。


演者も名優といえる人が揃っています。

演技が上手い、映画に映えるのは当然ですが、何より歌が上手い。

ミュージカル映画である以上、歌が歌えることが名作を作り上げていくために必要なものです。


この物語を愛を与え続ける物語だと語っている友人がいました。

この映画では、様々な愛の形が描かれます。

ジャン・バルジャン自信もいかにして、自分の愛を表現するかに迷います。

その観点に立つと、最もそれを体現していたのは、テナルディエ一家のエポニーヌだと思います。

彼女は、かなわないと分かっている愛のために、奔走し、命を賭けます。


この物語は、正義について問いかけている物語だと思いました。

ジャン・バルジャン、ジュベールを中心に、ファンティーヌ、コゼット、マリウス、ABC、テナルディエの夫婦それぞれに自分なりの正義に従い行動し続けます。

それを貫くために、命すらなげうつのです。

どの正義が本当に正しいのか、それはこの物語では語られません。

そして、それらが人の置かれた立場によって、見え方も含めて変わっていくことだけが描かれます。


人によらず、共感と感動を得られる映画だと思います。

ミュージカル映画が苦手な人でも、映画好きなら観られる映画です。

これも映画の日に観てきました。

この映画の感想は書かなければいけないでしょう。

映画「悪の教典」


CMでも出ているとおり、生徒に大人気の「はすみん」こと蓮見先生が、実は殺人鬼だったという話です。

話題になっているとおり、感情移入しすぎると見ていられない作品です。

周りは周りで周りになじめない教師、生徒を脅迫して体を要求する教師、モンスターペアレント、BLなど、ダメな設定が詰まっています。

そんな中はすみんは、自分にとって都合の良い環境が整うように、時に砕けて理解のある熱血教師、時に無邪気に人を追い詰める悪戯っ子、時に無感情に人を殺す悪魔として振舞っていきます。


この作品は、様々な要素があります。

蓮見の本性や目的を解き明かしていくミステリー的な要素。

人の血が飛び散り、突如となく豹変する蓮見の行動を追うホラー的な要素。

恋愛や学園祭、ガリ勉、不良などで構成される学園ドラマ的な要素。

そんな要素が最後に破壊されるまで、実に自然に融合しています。


空気が破壊された後にある、まるで日常にように人が死ぬ光景。

バトルロワイヤルに代表される人を描き出すための死とは対極にある風景。

その光景に目を背けてしまうのも無理はないのかなと感じました。


蓮見先生を演じる伊藤英明さんの演技秀逸です。

役に入っていないと、きっとできない無感情な表情。

残虐に歪むでもなく、恍惚に微笑むでもなく、ただ動作をこなすだけの表情。

その表情が、はすみんの人間味に溢れた豊かな表情と対象的で恐ろしい。

他の役者さんたちも高校生役の人も含めて、実力派の人が揃っています。

その自然さが、より作品の世界観に入り込むのを手伝っています。


感情移入しすぎる人には、酷なのかもしれません。

でも、エンターテイメント性は豊かな作品です。

人を選ぶ作品ですが、一度は観てみる価値があると思います。

映画の日に映画観てきました。

久しぶりに更新します。

映画「エヴァンゲリヲン劇場版Q」


序は、アニメのグレードアップ版の感じが強かった。

破で、オリジナルキャラが出たり、展開が変わってきた。

Qになり、完全にオリジナルになりました。


同時上映の巨神兵にも度肝を抜かれるわけですが、Qにはさらにやられた。

いきなり宇宙からスタートし、エヴァ8号機とか出てくる。

アスカとマリーの掛け合いでスタートしたと思ったら、「パターン青」と来る。

エヴァらしいなと思わせる観ている人に不親切な展開がどんどん進んでいく。

そして、破から14年間も時が過ぎたことが告げられる。


Qという題名どおり、とにかく疑問をちりばめるまくって話が出来上がる。

深く考える隙間を与えないほど、どんどん話は進んでいく。

2時間近い作品のはずなのに、そんな感覚全く感じないほど次から次に品物を出してくる感じです。

これまでの劇場版2作品よりもアニメ版の感覚に近い仕上がりになっている。

エンターテイメント性だけでなく、チルドレン達の思春期を絵に描いたような行動と、大人達のみんなが何か思惑を隠しているような行動。

全てが伏線で、答えは次の作品まで待たなければいけないわけだけど、今から思考をめぐらせてしまうほどのめり込んでしまう独特の空気が見事に作り上げられている。


もともとがTVシリーズだし、アニメがサブカルチャーとして脚光を浴びだして、大人を魅せるものが作られだしたのが、エヴァ以降ということもあり、声優さんは本業の方々ばかり。

テレビ版のような叙情的な表現はそのままに近代で映画であることを活かしたダイナミックな演出が随所にちりばめられている。

このあたりが、エヴァンゲリオンという作品の本当の強みだと思う。


とにかく、起承転結の転にあたるポジションにふさわしい作品になっています。

序、破を観ずに行くと本当に分からないと思うけれど、予習してでも一度みる価値はあります。

色んな楽しみ方ができる作品です。

観るペースは、変わってないけどいっぱい書いてみてます。

親子の成長を描いた穏やかな作品です。

映画「狼子供の雨と雪」


この作品は、日本狼が執念で残した狼男と人間の女性が恋をしたことから始まります。

そして、子供の誕生と夫の死。

都会で育てていくのが難しいことを悟り、田舎への引越し。

普通でも難しい子育てなのに、子供は狼とのハーフ。

加えて慣れない田舎暮らしの中で、親も成長していきます。

そして、子供もそれぞれのやり方で成長していく。

そんな姿が描かれています。


「時をかける少女」、「サマーウォーズ」のスタッフが作った作品ということで、スピード感のある作品を想像していましたが、とても穏やかにストーリーは進んでいきます。

田舎の風景や人の表情の豊かさはそのままに、一つ一つのエピソードがしっかり描かれています。

親と子供の成長という、これまでと違う本当の日常を描くストーリーだからこそ、ドラマチックな展開が頻発する物語ではなく、些細なことに焦点を当てたストーリーがしっくりきます。


そんな穏やかなストーリーの中で、子供はもちろん、親も成長していきます。

普通の子育てでも直面する困難に、半分狼であるがために起こる戸惑い。

そして、子供の親離れと親の子離れ、これを受け入れることの難しさ。

そんな色んなものを乗り越えて、子供は自分の世界を手に入れ、親はそれを認めてあげる、そんな強さを手に入れていきます。


声を演じられた方々も、それぞれの変化をしっかり演じられています。

田舎の人の穏やかながらに持つ芯の強さなんかもしっかり演じられています。

特に、主人公の花を演じる宮崎あおいさんの声の演技は、戸惑いや覚悟がしっかり演じられていて、さすが名優さんだなと思いました。


自分達も成長する中できっと通ってきたものが、しっかり描かれています。

些細な出来事がとても大切に思えて、家族愛を感じられる作品です。

エグイ話の連発になりますが、なかなか読み応えのある作品だったので。

人の感想を読むと自分の読みきれていなかった部分もあった奥の深い作品です。

小説「殺人鬼フジコの衝動」


タイトルからして予想できるのですが、とある殺人鬼の一生を描いた作品です。

ただ、それだけで収まらないミステリーを含んだ作品です。

「カルマ(運命)」という言葉や、認識の錯誤、登場人物の感覚、全てが隅々に仕込まれてます。


この作品の凄まじさは、「はしがき」「あとがき」が効果的に使用されている点です。

本来は、作品を描いた経緯や感想を書くべき部分が作品の一部になっています。

これこそが、この作品が読者を引き込んでいく源泉になっています。

現実に戻るべきところが、作品の一部となっていることは認識の錯誤を強く起こさせる基なのだと知りました。


この作品の本編は、幼少期の描写から始まります。

そこで行われる親からの虐待、これに伴う同級生からの虐め、暴行、殺人鬼を作り上げるベースとなるトラウマがこれでもかと描かれます。

受ける側は子供の弱さの象徴、与える側は子供の恐ろしさの象徴として、描かれていきます。

一家惨殺によるそこからの解放、トラウマからの構造の繰り返し、解放の繰り返し。

その中で成長と共に殺人鬼となっていくフジコの様子が描かれていきます。

これだけなら話は簡単なのですが、全てに裏があり、さらに裏があるという構成になっています。


この作品のなかでは、子供の頃からある裏側の闇や重たさがフジコを形作っていきます。

多くの人が見ないようにしているものの象徴がある意味フジコになっています。

子供の頃は、悪意と善意を見境なく受け入れ、「善いこと」と同じように「悪いこと」も何のためらいもなくやってのけます。

そんな中では、しっかり現実を見て、その中の流れに順応できなければいけません。

これを間違えると、逃げることのできない地獄が待つことになります。

大人になると、善意と悪意の境界が教育の中でそれぞれにできていきます。

今度は、性欲と金により、この境界を簡単に飛び越えるようになっていきます。

そんな中では、飛び越えた向こう側を見ないようにして、別な流れに巻き込まれないようにしなければいけません。

境界を飛び越えるときは、戻ることができない覚悟と、新しい境界線の中で生き抜く覚悟が必要です。

これを間違えると、待ってるのは人生の終わりです。

そういう普段の生活の中で、何気なく逃げている全てを深く描き出している作品になっています。


社会の裏側にある闇から生まれた殺人鬼「フジコ」。

そして、その裏側にある更なる闇が織り成すミステリー。

「ヘルタースケルター」と同じく、人格がしっかり出来上がっている自信がある人は読んでみてください。