レインボーエンジェルズのトシロウです。
(猫が好き過ぎる)
今、
自分は、
どうしたいのか?
どうしたくないのか?
自分らしく生きるために
とても大切なことだと思います。
それを実行できない理由は、
向き合うことから逃げてしまう理由は、
怒られたくないから
嫌われたくないから
バカにされたくないから
な気がします。
なぜできないのだろう?
なぜこんなこと起こるのだろう?
なぜダメな自分を受け入れないのだろう?
なぜ今、自分が、やりたいことしないのだろう?
↓↓↓↓
怒られたくないから。
嫌われたくないから。
バカにされたくないから。
人と違うことやったら、
求められることと違うことやったら、
今までと違うことやったら、
怒られるかも
バカにされるかも
嫌われるかも
ってブレーキは結構あると思うのです。
怒られたくない
嫌われたくない
バカにされたくない
傷つきたくない
損したくない
失敗したくない
恥かきたくない
人ができない理由って
突き詰めれば本当にそんなもん
かと。
でもそうやって心配してることは
実際は1%も起こらないのです。✨
心配しているほど、
怒られないし
嫌われないし
バカにされないし
傷つかないし
損しないし
失敗しないし
恥かかない
です。
何か行動すると、
「思ってたのと違うこと」は
起こり続けますけどね。
で。(・ω・)
怒られたくない
嫌われたくない
バカにされたくない
が強過ぎて動けないのは、
自分を弱者としてジャッジしてる
ってことなんですよね。
そして
なぜ自分のことジャッジしてしまうのか?
といえば・・・
それはもう・・・
ね・・・
人のことジャッジしてるから
しか無いんですよね。
#責めてないですよー
あの人は良い・ダメ
あの人は本物・偽物
あの人は正しい・間違い
あの人はイケてる・ダサい
とジャッジしている。。。
何をしても、しなくても
何ができても、できなくても
何を持ってても、持ってなくても
どんな人にも価値がある
ことは変わらない真実なのに
あれは価値がある
あれは価値がない
とジャッジしている。
だから
自分のこともジャッジしてしまう。
どんな自分にも価値がある
ことは変わらない真実なのに、
こんな自分は良い・ダメ
こんな自分は本物・偽物
こんな自分は正しい・間違い
こんな自分はイケてる・ダサい
とジャッジしてしまう。
自分のことジャッジするのは
人のことジャッジしてるからだし、
人のことジャッジするのは
自分のことジャッジしてるからなのです。
ジャッジするorしない は
自分も他者も必ずセットなのです。
先日のブログで
「うちの宗教は正しく他は間違い、というのはおかしい」
と言う牧師さんの話を書きましたが、
何かを盲信すること=ジャッジ
なんですよね。
「あの人はすごい!」
「あの人の言うことは間違いない!」
と誰かを持ち上げ過ぎたり
「この人は本物だ!」
「これだけ信じればいいんだ!」
と誰かや何かを
唯一の真実だと思いたがるのは
一見、ポジティブなようで
それもジャッジなのです。
なぜなら
「あの人はすごい!」
の裏には、
「それに比べて自分はダメ」
「あの人はダメ」
というジャッジがあるからです。
同じように
「あの人の言うことは間違いない!」
の裏には
「それに比べてあの人は間違ってる」
「自分は間違ってる」
というジャッジがあるし、
「この人は本物だ!」
の裏には
「それに比べてあの人は偽物だ」
「自分は偽物だ」
というジャッジがあるし、
「これだけ信じればいいんだ!」
の裏には
「それに比べてあの人は信じられない」
「自分を信じられない」
というジャッジがあるからです。
あなたにも、どんな人にも
価値があることは変わらない真実なのに
あれは良い
あれはダメ
と比較するのは間違いなくジャッジ
なんですよね。
人のことジャッジしてると、
自分がジャッジされることを恐れて
身動きが取れなくなります。
自分のことジャッジしてると、
人もジャッジすると思い込むから
我慢や自己犠牲を選ぶようになります。
(本当は誰も頼んでいないのに)
他者をジャッジしても
自分をジャッジしても
人生はしんどいのです。
で。(・ω・)
自分をジャッジしがちな人は、
人のことジャッジしてることに
気付いてないことが多いし
人のことジャッジしがちな人は、
自分のことジャッジしてることに
気付いてないことが多いです。
自分へのジャッジ、
人へのジャッジ、
認めたくない方にフタしてしまうから。
自分へのジャッジに気付かない人は・・・
私が自分をジャッジしてる?
私は自分の価値を認めてるんだから
そんなわけない!
ってプライドが高い人です。
マウント取りたがる人に多いですね。
「弱い自分」を認めたくない人。
「弱い自分はダメ」とジャッジしてる人。
逆に
人へのジャッジに気付かない人は・・・
自分は人に優しくすることを
大切にしてるんだから、
そんな性格悪いことしない!
って人に多いです。
平和主義者なんですけどね。
平和を大切にするのはいいことですが、
自分の中の怒りや攻撃性やネガティブを
「悪」だとジャッジしてます。
認めたくないかもしれませんが…
自分をジャッジしてる人は
他者をジャッジしてるし、
他者をジャッジしてる人は
自分をジャッジしてます。
人のだらしないところをジャッジする人は
自分のだらしないところもジャッジしてます。
収入が少ない自分をジャッジしてる人は
収入が少ない他者もジャッジしてます。
もう〇歳の自分をジャッジしてる人は
もう〇歳の他者もジャッジしてます。
弱い自分をジャッジしてる人は
弱い他者もジャッジしてます。
すぐ怒る人をジャッジする人は
自分の怒りもジャッジしてます。
すぐ泣く人をジャッジする人は
自分の悲しみもジャッジしてます。
身勝手な人をジャッジする人は
身勝手な自分ではダメとジャッジしてます。
親や家族と仲良くない自分をジャッジする人は
親や家族と仲良くない他者もジャッジしてます。
ただ、
ジャッジは誰の中にもあります。
プライドも
「弱い自分」も
怒りも
攻撃性も
誰の中にもあります。
ぼくの中にもあります。
時にはジャッジしてしまいます。
問題は
「ジャッジすること」じゃなく、
「ジャッジに気付かないこと」なのです。
気付いたら手放せるし、
気付かないと無意識にジャッジし続けるから
です。
自分のことジャッジしがちな人は
「他者にどんなジャッジしてるか?」
を見た方がいいし、
人のことジャッジしがちな人は
「自分にどんなジャッジしてるか?」
を見た方がいいですね。
ジャッジすること、
あるある。
ありますよね。
わかる。
あっていい。
そんな自分は居てもいいのです。
なぜなら
自分の中のジャッジを認めることは、
どんな自分にも価値がある
ことを認めていくためのプロセス
でもあるからです。
ジャッジしてしまう自分も含め、
「今いる」ならどんな自分も
「今そのままの自分」で
自己価値や自己愛とは
「今そのままの自分」を
無条件に認め受け入れることだからです。✨
世界はいつでも美しいのです。
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