先日、厚生労働省が、有効求人倍率0.46倍、完全失業率5%という数字を発表した。

そこで、なぜ失業者が増えるのかについて考えてみたい。


①利益至上主義

 今の日本では、利益を上げる企業=優秀な企業 という考え方が支配しています。

アメリカ型の企業経営が理想とされている中で、企業経営者には利益最優先の経営が求められています。

そして、物言う株主の増加により、利益を株主に還元できる経営者こそが市場で評価される優秀な経営者とされてきました。


では、利益を上げるにはどうすればよいか。

一番は売り上げをあげることですね。次にどうするか。

経費を削減します。経費を削減するのに最も有効で簡単な方法は何か。

人件費を削ることです。人件費を削るにはどうすればよいか。

リストラです。従業員を解雇する。給料を減らす。正社員を減らして派遣を雇う。機械化して人を雇わない。

極論すれば、優秀な経営者=リストラできる経営者 ということになります。

その結果、ほとんどの企業が利益のためにリストラ、経費削減に走ることになります。


②デフレ

 ①の結果、労働者の賃金は上がらず、消費者は節約に走り、安さを求めます。安売りできない企業は、淘汰され経営体力のある企業に飲み込まれます。その結果、大企業はますます巨大化し、中小零細企業は減少していきます。

企業がなくなるということは、当然、働く場所が減ることを意味します。



結局のところ、

企業の株主重視・従業員軽視の経営姿勢⇒デフレ⇒企業の利益圧迫⇒更なるリストラ、企業倒産 …
という悪循環を生み出しているのだと思います。


先日、NHKのクローズアップ現代で、興味深い特集をやっていました。

機械化・オートメーション化による経費削減により低価格商品を提供することによって、順調に売り上げを伸ばしていたラーメンチェーン店の売り上げが、突然、減少し始めたというのです。

原因究明のため客のアンケートを見ると、チャーハンが冷めてるとか、味がまずいとかいった意見が多かったそうです。

そこで、社長がとった策は、店長の年収を一律80万円上げるということでした。

その結果、売り上げが回復し始めたというのです。

従業員の士気を上げることで業績回復につなげたわけです。


企業は誰のために存在するのか…そんなことを考えさせるエピソードです。


ただ、従業員の側にも全く問題がないとは言えないと思います。

高度成長期は終わり産業構造が変化する中で、今までどおりの製造業の求人は望めません。

それにもかかわらず、製造業の求人だけを求めていてもなかなか見つからないのは当たり前です。

介護や農業などでは求人が足りないと言われています。

仕事がないと言って嘆いているばかりでなく、労働者も変わる必要があると思います。





FXのレバレjッジに規制がかけられるようです。


FX証拠金倍率、来夏にも50倍に制限 11年夏メドに25倍に強化

 金融庁は29日、外国為替証拠金取引(FX)業者に対し、顧客が預けたお金の何倍の取引まで認めるかを示す「証拠金倍率」を規制すると発表した。まず来夏にも50倍に制限し、2011年夏をメドに25倍まで規制を強化する予定。急な規制導入で市場が冷え込むのを防ぐため、段階的に厳しくする。

 金融庁は同日、金融商品取引法関係する内閣府令の改正案を発表した。6月29日まで意見を募り、今夏にも公布する。改正案では「公布からおおむね1年後」に50倍に制限、「その1年後」に25倍に強化するとしている。

 金融庁が規制に乗り出すのは、昨秋の米リーマン・ショックをきっかけに広がった過度に投機的な取引を抑えるため。金融危機の影響で為替相場が乱高下し、短期売買を繰り返す顧客が増加。顧客から預かったお金の何百倍もの取引を提供する業者が増え続けている。(NIKKEI NETより)



この規制の背景には、投資家保護の考えがあるのでしょう。おそらくFXが初心者投資家の間に広まり、無謀な投資をして予想外の損失を被った人間が、金融庁へ苦情を申し立てているのではないかと想像されます。

投資は自己責任である。仕組みをよくわかりもせず、投資する人間が明らかに悪い。もちろん大多数の投資家はそんなことは承知で取引を行っているが、一部の愚かな投資家のためにこんな規制が設けられる。全うな大多数の投資家からするとこんなにバカげた規制はない。

では、なぜ役所はこんな規制をするのか。答えはマスコミである。マスコミによる執拗な的外れな役所への批判が、役所を規制強化へと走らせるのである。FXで損をする人が増えると、必ずなぜ金融庁は何もしないんだとマスコミが騒ぎ出す。そういう批判への対応が規制という形で現れる。そして、こういった規制が企業の経済活動の自由を狭めていく。


もうひとつ例をあげよう。英会話のNOVAである。役所の規制(行政処分)が企業を破綻に追い込んだ例である。

一部の受講者が、受講料の返還訴訟に勝った途端、マスコミは突然NOVAを吊るし上げにした。NOVAに不満を持つ人間ばかり取材で取り上げ、NOVAの苦情は数千件に達し他の英会話学校と比べて突出して多いと報道した。しかし、NOVAの受講生は40万人と突出して多かったのだから、人数比でいえば1%程度である。苦情人よりはるかに多くの人が文句を言わず学んでいた。それにもかかわらず、マスコミに影響された経済産業省は業務停止命令を発してNOVAを破綻に追い込み、40万人もの被害者を出すことになった。


役所の規制は時として有効であるが、過度な規制は経済活動を阻害し、企業を破綻に追い込む。

マスコミが理不尽な少数者を擁護する報道を繰り返し、マスコミに批判されることを恐れて、役所が規制する。最近は、消費者保護、弱者保護の名の下に各種規制が強化されているが、理不尽な少数者を守る規制など不要である。





 よい記事を見つけました。以前、私は世襲制限に関する記事を書きましたが、私の拙い文章で伝えられなかった思いを書いてくれています。



【正論】日本財団会長・笹川陽平 枝葉の世襲論より国家の大論


議員定数削減こそ公約に≫

 世襲候補の立候補制限が次期総選挙の焦点となりつつある。確かに小選挙区制度移行後、世襲議員が目立って増えた。新たな人材の政界入りに障壁となっているのも否定しない。しかし彼らを選んだのはあくまで有権者である。政党が世襲制限を言うのは、有権者の判断が誤っていたと批判しているに等しい。

 まして次期総選挙が政権交代をテーマに争われる以上、国民に問うべきは安全保障、経済・財政再建、憲法改正といった明日の日本にかかわる国家の大論である。その上でなお選挙改革を言うのであれば、議員定数削減こそ公約に掲げられるべきである。

 これらに比べれば、本来、有権者の自由な判断に委ねられるべき世襲制限は枝葉のテーマであり、それで政治に対する信頼が回復するほど国民の目線は甘くない。

 現に自民党の党改革実行本部は衆参両院の議員定数を段階的に約3割削減する方向を打ち出している。これを公約に掲げ、自ら血を流す覚悟を示せば、政治に対する国民の信頼を取り戻す道も開けてくる。民主党が導入するから自民党も、というのでは選挙技術論としても安易で、有権者を愚弄(ぐろう)することになりかねない。

 一般的な定義に従い、世襲を3親等以内の国会議員の影響力を背景に党の公認を得て出馬、当選したケースとすると、自民党では3割、100人を超す議員がこれに当たる。


 ≪各党は堂々と横綱相撲を≫

 私はこのような現状に問題がないと言っているのではない。地盤、看板、カバンをそっくり引き継ぐ世襲候補が有利であるのも間違いない。安倍元首相や福田前首相の唐突な辞任劇を見れば、世襲議員を淡泊、ひ弱とする評価にも一理あろう。

 しかし世襲議員が多くを占める現状は、有権者がこうした点を承知の上で示した選択の結果である。政治の劣化は世襲議員の多寡より、本格的な政策論、政治の在り方論を欠いたまま推移してきた政治の貧困にこそ原因が求められなければならない。

 地方の首長選挙などで、しばしば投票率が50%を切る国民の冷めた目線、政治を軽く見る傾向は政治に対する国民の不信以外の何ものでもない。国民が明日の生活を政治に託すような熱い期待、信頼を取り戻さない限り、劣化した政治を再生するのは不可能である。

 各党は今こそ横綱相撲で政権交代の是非を国民に問う時である。半身の姿勢で国民の納得が得られるほど現状は甘くない。私は以前この欄でマスコミと国民の認識の差を指摘したが、政治家と国民の間にはさらに大きな認識のズレがある。政治家が党の明日、自分の明日より国の明日を優先させてこそ、国民の信頼を得られる。

 政治に対する信頼が回復し投票率が大幅にアップすれば、世襲候補に対する投票結果が変わる可能性も出てくる。政治資金管理団体の資金が非課税で相続されている点が世襲批判の根拠の一つになっているが、団体の清算・解散規定を見直せば解決できる。

 加えて労組を支持母体とする議員が引退する場合、引き続き労組が後継候補を補給する現状も、突き詰めれば世襲と同質の問題である。単に世襲議員の立候補を制限すれば足りるとするのは、あまりに安易な発想である。

 今、検討すべきは世襲の是非より、この国の将来にどう備えるかである。戦後日本は「一流の経済」で世界の中の日本を築いてきた。だが、米国の一国支配が終焉(しゅうえん)し新たな秩序形成に向かう国際社会、安全保障や財政再建に向けた国民の負担増など避けて通れぬ政策課題が山積する現状に対応するには「経済も政治も一流」でなければならない。

 

 ≪小選挙区制にも問題あり≫

 現在の小選挙区比例代表制は1988年に摘発されたリクルート事件で「政治と金」が問題となる中、導入された。各党の公認候補を一人に絞る小選挙区制には、それ以前の中選挙区制とは別の弱点もあり、世襲議員の増加も予想された事態であった。しかし小選挙区制に対する慎重論は「政治改革消極派」とのレッテルの前に封殺された。山本七平氏が「『空気』の研究」で「日本ではある一定の空気が醸成されると、一気にその方向に流され少数意見は無視される」と指摘した通りの状況であったと言っていい。

 同じ拙速は避けなければならない。加えて実施は次々期の総選挙から、あるいは小泉元首相が後継に指名した次男について公認候補を立てず無所属で当選した暁に追加公認するといった奇策がささやかれるようでは、政治に対する信頼は一層、失われる。

 私は現在、亡父が永らく務めた日本財団の会長の立場にある。政治とは異なる世界とはいえ、公的性格の強い民間団体の会長職であり、今回の発言をきっかけに世襲批判の声が出るかもしれない。にもかかわらず、あえて世襲制限に反対するのは、日本の政治の再生を願うがためである。(ささかわ ようへい)



 このブログで笹川氏の記事を紹介するのは二度目です。氏は、「目先のこと、細かいことにとらわれず、大局を見よ。」という主張で一貫している。全くそのとおりである。

 マスコミのくだらない、目先のことしか考えない批判に対して、堂々とNO!と言える政治家が登場してほしいものである。