子供のころ
おコメ粒が一粒でも残っていると
「お百姓さんのことを考えて
ちゃんと残さず食べなさい」って
言われたものだけど
食卓に炊かれたごはん
↓
白い米
↓
米屋店頭で並ぶ米
↓
卸の人
↓
精米する人
↓
収穫する人
↓
育てる人
ってすごい遡って想像しろってことよね。
とてもいいことです。
この前見たドラマでも
“安っぽくて気に入らない贈り物でも
その商品が手元に届くまでの
いろんな人々のことを想像して
本気で感動しろ”みたいな場面があって
店頭に並べる人
↓
店を警備する人
↓
店頭に運ぶ人
↓
物品管理する人
↓
工場で検品する人
………
と多くの人が携わっていることを思えば
感動できるはずだ、ってことなんです。
いや、何がいいたいかってね。
今も山で行方不明の男の子なんですけど。
親が本当に…本当にですよ。
山にしつけとして
置き去りにしたとするならば。
親が言っていることが
本当だとすれば。
その躾ける原因となった
悪さが本当だとしたら…
人や他人の車にむかって
本当に石を投げつけたんだとしたら……
人を傷つけるかもしれない悪さを
日常的にする子供だったんだとしたら
…ってか、
なんでそんな子になったの?
ってことになるよね。
些細ないたずらや反抗はいいけど
他者を傷つけてはいけない、というのは
一番大事な親の教育なんじゃなかろうか。
そこどうなってたん?
(余談)
昔、ランドセルを居間に
置いておいたってだけで
「おまえを橋の下に捨てるぞ」と
怒られた思い出。