Thank God, It's Blooomin'‼️🪴
まいど、ATSUSHIです😽
◆今日の小話:「信仰」の危うさ
10/28から
安倍晋三元首相を銃殺した
山上被告の公判が始まりました
連日、山上被告とその家族の
悲惨な家庭環境に関する陳述が
記事になりました。
ひとつだけ余談。
この一連のニュースの報道で気になるのは
色んなコメンテーターが
「しかし、殺人という手段はけっして許されない」
と、分かりきったことを
さも私はわかっていますよと言わんばかりに
口にするんですよね。
順番に振られても
みんなそれぞれに毎回免罪符のように。
いや、免罪符としてならいいんですよ、
その後に「一方で、〜という論点がありますよね」
となるのであれば。
そうでもなくて、
ただただ正論のように振りかざすのは
なんかね。。。笑
さて、話を戻しますが
この一連のニュースを見ていて
げに恐ろしきは
信仰の恐ろしさですよね。
母親は、息子が自殺した時でさえ
献金が足りなかったとか、信仰の問題に
すり替えてしまうんですよ。
そして、息子が一国の総理大臣を殺してもなお
信仰をさらに深めることしか
できない。
それしか選択できないんです。
宗教以外でも、信仰は存在します。
僕もわりと「縁」や「3」を大事にするとか
恐らく仕事の仕方やライフスタイル
ささやかながら人生で培ってきた
何かしらの「信仰」があります。
それらを変えるのは
とても難しいことがある。
夫婦になって、あるいは同棲とか
他者と生活したり、
仕事をしたり、
何かを共にする。
そんな中で衝突が起きるのは
そんな「信仰」の衝突だと言えますよね。
例えば、清潔さとか
人によって感覚が違う。
ワクチンを打つか打たないか、それも
ひとつの「信仰」ですよね。
我々が初詣なんかでお賽銭を投げるのも
もはや形式と言えますが
宗教行為と言えなくもない。
その「信仰」に柔軟性があるかどうか
軽重は人それぞれ、
ケースバイケース。
それが重くなった時に
他の価値観=信仰と衝突する。
自分なんかはたまに考えて嫌な気持ちになるのは、
娘や息子ができた時に
アイドルや芸能人、アーティスト、配信者
などなど
なんでも良いんですが、
そこに非合理的なお金を使い始めたら、
変な話に引っかかってたりしたら、
どうしようかとか
考えちゃいますね。
ホストや、アニメグッズ、ゲーム
この時代、その他色々なケースが
あり得ますよね。
中には大人が見ていかがわしいものや
子供を近づけたくないところも
きっとあります。
もちろん適度なら一定いいんですよ。
程度の差というか、
まさに信仰の軽重といいうか。
うまく現実の自分にとって
良い方向に利用できていれば。
しかし、
親のクレジットカードで何十万何百万を
使ってしまったニュースとか、
ゲームを通して知り合った人に
危害を加えられた話や、
お金や性をめぐるトラブルに巻き込まれたり
最悪命を落としたり、、、
ありますよね。
何かそこに盲信みたいなものが
生まれてしまった時、
親が注意したところで逆効果なんてことは
ありあるわけですよ。
親よりもその対象のことを
正しいと認識する。
世の中に絶対的な真理なんて
生と死が存在する
くらいのことしかないわけで
物事はほぼ全てにおいて是々非々なわけです。
盲信ほど非合理なことはない。
そんなことはいい年した大人ならば
誰しも知ってるんだけど、
子どもにはわからないし、
大人ですらも
それでもそこにハマってしまう恐ろしさ。
宗教にハマった家族を
脱会させるのが困難を極めるといいますからね
宗教が元来、苦しみからの救済であることを
思えば、
何かしらの闇を抱えていることが
この「信仰」の根源的なでは
ある気はするんですけどね。
そんな闇を抱えなくて済むような
家庭環境ならば。。。
いや、人間どこで闇を抱えるかなんて
分かりませんから
難しいんですよね…
願わくば。
◆おしまい
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ありがとうございました‼️‼️‼️
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