今回のコラコラは、ラジオ番組とは離れた、

完全オリジナルバージョンとしてお楽しみください。

テーマは我が国の新元号についてです。

 

いやはや、世間の一部では結構盛り上がってもいるようですね。

さてそこで、本日は僕から国民の皆様にご提案と言うか、

もちろんあくまでも個人としての主張を、申し述べてみたいと思います。

 

『さて安倍総理、あなたがこの国の長い歴史と、営々と築き上げてきた誇るべき様々な伝統を、たった5、6年でぶち壊してきた張本人なのですから、あなた自身の総仕上げとして新元号は[安 倍]にしたら如何ですか?

 

[安倍元年]!

どうです? なかなかカッコいいじゃないですか。

今のこの国には熱狂的に受け入れてくれる人も、沢山いるんでしょ?

そもそも天皇家に対してここまで無礼で不敬な言動を重ねてきたあなたなんですから、今のうちに躊躇うことなく絶大な権力を有する政治家の力を見せ付け、新天皇に釘を刺しておくことからあなたが理想とする新しい国家像作りに励まれたら如何ですか?

あなたも、あなたを支援している日本会議とやらも、その方向性に遠慮も恐れも一切持ってないようですから、絶対に反対などするものですか。

 

ところが、僕のこの提案に対して最も反発し、決して受け入れようとはしない急先鋒は、やはり安倍の存在など到底認めたくはないし、一日も早く国民の前から消えて欲しいと願っている方々。そして似非野党などではない真正野党の皆様方は猛烈に僕の意見に噛み付き、絶対に受け入れようとはしないでしょうね。
当然、そのような思想的な右左とは無縁の、極く常識的、且つ中立・公正の立場で日常を過ごしておりますから…を自認しておられる方々も、常識的な判断とか言うものによって僕の意見は否定なさるでしょうね。
しかし、野党の皆さんを筆頭に、猛烈に彼を否定したいと願っている方々は、本当にそれで宜しいんですか?
彼が表舞台から姿を消すと同時に、彼の存在などなるたけ早く忘れてしまいたい、少しでも早く彼などいなかったことにしてしまいたい…と望んでいる国民も少なからず居るのではないかと推察してもいますが、でも本当にそれで宜しいんですか?
彼がこの国に対して、国家の長い歴史から見ればほんの短期間とは言え、仕出かした余りにも罪深く根元的な事柄の数々は、長くこの国の歴史に刻んでおくべきではありませんかね。いや、永久に忘れてはならない恥辱と忌まわしい歴史として、日本の歴史に残すべきだと僕は考えます。
だから[安倍元年]を提唱するのです。
[安倍2年]まで続くかどうかは判りませんが、他の国には何の意味も影響も持たない我が国独自の元号の話なのですから国民の意思と意向があれば問題はないんじゃありません?
あんなトカゲのような陰湿さで、いつまでも「新しい元号についてはまだ何も考えてないし、何も決まってません」とネチネチ言い続けるだけの官房長官談話なんざこれ以上聞きたくもないし、どうですか野党の国会議員の皆さん、あなた方が先頭に立って、国民運動として[安倍元年]推奨運動を起こしてくれませんかね?もしかすると大いに盛り上がり、熱狂の渦の中であっさりと決まるかも知れませんぜ。
 

絶大なる安倍信者の皆さんは当然として、今や自民党議員の大半を占めているらしい安倍絶対の国会議員の皆様も、彼への忠誠心を示すあまり国家公務員の矜持も誇りすらも捨て去ってきた高級官僚の皆様方も、あなた方の思いを完遂させる絶好の機会ともなりますよ。是非、その運動に、あらゆる文書もデータも捏造しまくってくれて結構ですから、何とか[安倍元年]実現の為に力をお貸し下さい』

さて、国民の皆様、僕からのご提案をどう受け止めて頂けますか?

2018年4月15日放送

 

この国の各省庁は、何のために、誰のために存在し、仕事をしていたのかが

今ほど判り易く明白な時代はなかったのかも…ね?

 

いやはや何とも、先週の放送でも述べたように、国会に於ける証人喚問という厳正、且つ国権の最高機関たる場面に対してですら、敬意も畏怖も、微塵たりとも持つことなく平然と嘘はつくわ、答弁を拒否するわで押し通そうとする傲慢さは、一体どうやって育てられたら身に付くものなのでしょうか?

なんとそれが、本来が治外法権のアウトローとして生きてきた人間ならば兎も角、法治国家であるはずの我が国に於いて、その国体とすら言える国家運営に直接携わる最重要職務に就く為に、全ての国家試験の中でも最難関とすら言われている国家公務員一種試験(彼の採用時はそうでした)、それを突破して採用されたエキスパート…言わばこの国のあらゆる法律をも理解し、国家機能の真髄も、そして政治と行政の関係性についても、いや、もっと直截に言えば、この国に住む全ての民の命と生存にすら関与する崇高なる職務に奉じていたはずの官吏が、ここまで手酷く国家と国民を裏切ることが出来るものだとは、まさに想定も想像もしていませんでした。僕にとってそれは、真に驚愕すべき対応でもあり、彼などから見れば歯牙にもかけない些細な仕事にしか見えないであろう僕の日常の職務ですが、何十年にも渡って多くの高校生諸君へ紹介し、解説もしてきた『憧憬(どうけい…正しくはショウケイと読むべきですが、憧れのことです)の職業』の一つと認識もしてきました。

その際、いつも僕は「超難関の国家試験ではあるが、これほどまでに国家そのものを背負う責任と遣り甲斐のある職業もないのだから、それに挑戦するだけでも意味はあるかも知れないね」と背中を押してきたものです。だからこそ今は、二重、三重に裏切られた気持ちでいっぱいです。

個人プレーで華やかに、若くして高額の年収を目指し、己の野心と努力次第でいくらでも社会的に伸し上がっていける民間企業での活躍も魅力的ですが、国家のいしずえ、社会のいしずえとして、国や国民を支えていく職業も大いに意味があるのではないかと説いてもきました。しかし、具体的な当事者としての彼らにそのような意識も責任感もまるでなく、誰も彼もが己の欲と利益と地位の保全、公務員退職後のより有利で不自由なき生活確保の為だけに時の権力者へおもねり、へつらい、ご追従ついしょうする姿を、私たち国民はしっかりと目にしてしまいました。

「誰も彼も…」は言い過ぎだ? どう致しまして、例の“森友疑惑”についての国会質疑で、ほとんど難癖のような自民党議員の言い掛かりに対し、「私は公務員として政治家にお仕えするのが仕事。さすがにいくらなんでも、いくらなんでもそんな決め付けはご容赦下さい…」と、絞り出すかのような悲痛な叫びにも似た答弁を口にした現・財務省理財局長太田 充氏でしたが、そんな姿に若干の同情すら覚えた国民も居た筈です。しかしその後、そんな彼もが1年以上も前から“森友疑惑”問題隠蔽の為に、官邸と当時の理財局長佐川 某氏らと共に、官房総括審議官として主体的に動き回っていた当事者の一人だったことが、今では判明しています。国会の答弁に於いては、何度もその官房総括審議官がまるで別の第三者であるかのような言い回しで誤魔化していましたが、ホトホト呆れ果て、ため息をつくしかありませんね。

 

前・文科省事務次官前川さんの中学校での講演に対し、いくら政権与党自民党の強面国会議員たちの指示があったとは言え、ヤクザ紛いの恫喝を何度も中学校に繰り返していた文科省の役人たちしかり。今現在、スッタモンダしている防衛省の日報隠蔽問題に関しても、既に安倍総理に見限られたらしい稲田元防衛大臣の調査不足、指示不足で集結させようとする気配が濃厚となっていますが、制服組と軍服組とのシビリアン・コントロールの問題に落とし込むなど以ての外で、防衛省の軍服組織幹部だって、国会に於いて自衛隊の位置付けや集団的自衛権の具体的活動範囲拡大に向けた与野党の論争に、政府方針の阻害要因となるヤバい日報隠しであることぐらい理解も忖度もしていただろうとは、

小学生にだって推察出来る話です。それを命令伝達が曖昧だから…って、よくもまあ言えたものです。軍人としての矜持や、武力集団としての法律遵守の概念、いや、それよりも存在そのものの正当性などについて真剣に受け止めているのかすら、疑わざるを得ない対応だと思いますよ。

そこに重ねて今度は、北海道の高校に於いて北大・大学院の助教授が、我が国のエネルギー問題と原子力発電の位置付けとリスクなどについて講演しようとしていたところ、経済産業省の出先機関からクレームと修正要求が為されていた事実が発覚したようです。昨年の10月の出来事のようですが、詰まるところ原発批判はするな…という命令を出した訳ですね。

「この講演予定内容では、原発のリスクを過大に見せる印象操作だ」と文句を言い、「国の事業である以上、原発の長所と短所をバランスよく紹介すべきで、修正を求めたのは調整の一環だから問題はない…」と主張している様ですが、国家の教育現場への不当な介入を指摘する以前に、その通達役を担った経産省の役人は、どんな顔をしてそんなセリフを口にしたのかに、僕は個人的には大いに興味がありますね。

ま、とっくに人間の表情などは捨ててしまっているのかも知れませんが、あれほど原発安全神話を振りまいてきたご本尊の経産省の人間が、どの面下げて長所と短所をバランスよく説明しろ…なんて言えたもんだと思いますよ。

情報によると、この助教授が講演の資料として準備した福島原発事故の写真や、原発の発電コストの実態を示すデータを出すことを止めたかったようですが、つまりそれは、相変わらず嘘と隠蔽と誤魔化しのスタンスでこの国の原子力行政を進めようとする国家の目論見以外の何者でもありません。

この国の各省庁は、いったい何のために、誰のために存在し、仕事をしているのかが、判り易いほどに判る昨今です。

少なくとも財務省は国家財政を大切に運営し、増やして行くつもりは毛頭ないようですし、文科省は生徒や児童の為などとは微塵も考えていないようですね。

防衛省も本気で国民を守る気などサラサラなく、自分たちの存在を誇示し、地位を高めることが何よりも大事なのでしょう。

 

経済産業省にとっての経済とは、国民が等しく豊かになって安らかに暮らしていけることを目指している訳ではなく、大企業の経営陣と株主をより豊かにしていくことにあり、産業保護とは、働く労働者を保護する訳でも何でもなく、死ぬまで搾り取った労働力の犠牲の上に大企業の存続と新たなる産業の構築が成されるのは当然だと捉えているようです。各省庁のおエライさん方、僕のこの分析は間違っていますか?

少なくとも僕のこれらのセリフを、サヨクの世迷言…などとは言わせませんよ、クズ役人共には…決してね。今週は怒りを込めて、以上です!

2018年4月8日放送

 

そう、もちろん強烈・強大・絶対的に大きな意味があったと、僕は捉えていますよ。とは言え、確かに証人喚問の場には次々とお猿さんたち…て、そもそも前日までの国会質疑の場にも、政府与党である自民党さんからは次々とお猿さんたちが登場し、厳正なる国権の最高機関としての国会を徹底的に盛り上げ、馬鹿馬鹿しくも凄まじい余興の世界に私たち国民を誘ってくれてはおりましたが…ね。

あっ、誤解しないで下さいよ。僕が連中を“お猿さん”と呼ぶのは、決して顔が似てるとか仕草が猿みたいだと揶揄してる訳でも何でもなく、お猿さんたちが演ずる猿芝居に等しい…と言いたいだけなんですから。お猿さんほど可愛い訳でもないし…。

 

僕が言う“猿芝居”とは、「広辞苑」にもある通り、猿に衣装やかつらなんかを付けて芝居の真似を演じさせる見世物に過ぎないという意味でして、同じく「広辞苑」に於けるこの用語の解説・第二項に書かれている、「すぐに見透かされるような、浅はかな企み…」そのものを演ずる質問者が次々と登場して、何を目的にそんな質問や発言を繰り返すのかが、解り易いほどに解り易かったし物…、その延長線上に今回の証人喚問もあったのだと見れば良いだけの話なんだという意味です。

 

猿にもいろいろありまして、強面こわもての猿から、「ちょっと逝っちゃってる…」としか言えない類いのお猿さんまで、一生懸命ネクタイ絞めて高そうな背広をまとい、何とか政治家を演じようと頑張ってましたが、如何せんそこは猿。株主総会での総会屋さんと勘違いして演じてしまっていた方もいらっしゃったようですね。残念!

そもそもが、野党の国会議員も含めて国会質疑の目的を見失っているのが、この国の特徴であるのも歴史上の厳然たる事実なのではありますが、このような国家犯罪を疑わざるを得ない事案に直面すると、鮮やかにそれが浮き彫りとなるようです。

 

つまり僕が言いたいのは、頭のテッペンから爪先まで法と社会的正義の支配下に身を置き、その中での正当性を唯一の根拠として自らの主張と疑義、賛同、又は広く国民全体へ呼び掛けていくのを責務とする国会議員が、確かな証拠はあるのか…とか、書き換えや捏造があったとしても、それが必ずしも結果への影響があったとは言えない…などといったスタンスで自分の解釈や空想、意見を述べるのは、稚拙としか言えないからです。そもそもが「法の支配」という言葉は、法律の字面ではなく精神にあるのですよ。その法律の条文が書かれた背景には、その精神をたっとぶ敬意が含まれています。抜け穴を見つけてもらう為にその法律がある訳ではないのです。

ましてや社会的正義という言葉は、もっと重いものです。だからこそ、そこに求められている究極の条件とは、その人間が持つ良心に辿りつくことになります。猿たちには到底理解も共感も出来ないであろう、人間だけが持つ哲学とも言えるでしょう。

[佐川 なにがし]氏の証人喚問に対して、「どうせ真実を語る訳はなく、刑事訴追の恐れがあるので証言は拒否します…の連発になるのは判り切っていたこと。だから野党議員はパフォーマンスの為だけにやったんだ…」とシニカルに切り捨てる声も少なくないようですが、いえいえ、どう致しまして。かの人物は、徹頭徹尾、法の支配という厳しい拘束の中でろくむべき国家公務員という立場に居ながら、究極の目的である“法の精神”も、社会的正義という人間の“良心”すらも持ち合わせていなかったことを証明した訳です。つまり「人間」ですらなかった猿が、モノの見事に人間を演じ切って、財務省というエリート官僚の巣窟とすら評される組織のNo.2にまで上り詰めたのですから、見事な猿芝居…と拍手を送りたいぐらいです。

 

同時に私たち国民は、もっと他の官庁にも人間の皮を被った猿どもが大勢居るのだろうと理解し、警戒すべきだ…との警告と警鐘を受けたことを忘れてはいけません。併せて、証人喚問の場に自民党から質問に立った丸川なんちゃらとかいうオネエちゃんについては、彼女が第3次安倍内閣に於いて、何をどう間違えたのか知らんが「環境大臣」兼「内閣府原子力防災特命大臣」とか言う大層な肩書きを名乗っていた際に、放射能汚染地域に関する除染の数値目安について、「年間の空間線量1mSv.以下なんていうのには何の科学的根拠もなく、民主党政権時代の環境省が勝手に決めたこと…」なんてな出鱈目を思いっ切り口にした時から、僕は彼女を「丸川…とか言うオネエちゃん」としか呼ばないことにしてましたが、そんな嘘を堂々と、のうのうと口にする人間を大臣と呼べという方が無理ってもんでしょう、違いますか?

そんな彼女が久し振りに表舞台に登場して、昂揚感に溢れてはいたようですが、やはり、実に見事な猿芝居を演じて見せてくれましたね。

しかし、もう一匹の猿との掛け合いの中で、鮮明に私たち国民に伝わったものがあります。この二匹の猿は精神なき法律をもてあそび、社会正義とはほど遠い、あくまでも個人的な事情と目的のみを優先したプロパガンダによって、私たち国民の眼を眩ますことが出来ると踏んでいたようですが、さすがにそれは無理と言うものでしょう。猿芝居は猿芝居にしか過ぎず、よく仕込まれた芸であればあるほど、鮮明にあらかじめ訓練した相互の役割もシナリオも伝わってきましたよ。

しかし、そのシナリオは、舞台を終えた後の関係者によるリアクションまで詳細に書かれていたようで、官房長官から党の幹事長に至るまで、示し合わせた通りのコメントを発するというご丁寧なものだったようです。でも、それってやっぱり、やり過ぎってもんでしょう。

何よりも、いくらおごそかに舞台を整え、それに対する評価と総括をもっともらしく取り繕ってみたところで、頭隠して尻隠さずの喩え通り、当日彼の補佐人とかを務めていた熊田弁護士さんは、あの小渕 優子元・経産大臣の政治資金規正法違反事件の際に、事務所のパソコン・データをドリルでぶっ壊してまで証拠隠滅を図ったであろう事実も、同様に甘利 明元・経済再生担当大臣に賄賂を渡しました…と、贈った側が認め、告発していた件で刑事告発されていた明々白々の斡旋利得罪の疑義すらも、楽々と乗り越えてきた凄腕弁護士さんで、言わば政府御用達の切札的存在の方ですよね?

何故にそんな方が、自民党員でもなければ、今や国家公務員でもなくなった佐川さんの顧問弁護士として補佐人などを務めているのか、少し考えただけで邪推も勘繰りも、するなという方が無理というものです。違いますか? 当然、彼へのギャラは、佐川さんの個人負担で払われているのでしょうね? つい先日まで国税庁長官に君臨していた佐川さんですが、是非とも彼の所轄税務署は見落としなきよう、来年の申告時には今回の支出に対しての綿密な調査をお忘れなきよう、お願い申し上げます。

 

いずれにせよ今回の証人喚問によって佐川さんは、もう一つの真実を私たち国民にあからさまに見せ付けてもくれました。それは、証人喚問が開始される直前まで、少なからずの国民は彼に半ば同情もし、土壇場で吐露されるかも知れない彼の良心に期待もしていたと思います。ここまで追い詰められた彼の、国家公務員としての矜持に期待もしていたのかも知れませんね。

しかし彼は、モノの見事にそれらの期待を一蹴してみせました。お見事です。しかしそれは、ある意味で彼の真の正体を明かした瞬間でもあったのだと、僕は受け止めています。つまり彼は、幹部クラスの国家公務員としては途轍もなく運が悪く、その立場に置かれてしまった以上、否も応もなく従うだけしかなかった悲劇の登場人物かと思っていましたが、それは完全な見立て違いだったようです。そう、彼は確信犯として己の役割を理解し、公務員としての自分ではなく、その後も含めた彼個人の人生とを天秤にかけた上で発言も行動もしてきたのだと、僕は強く確信しましたよ。

同時に、昨年も徹頭徹尾、野党の議員に対して挑戦的且つ愚弄する態度を見せ付けた国会答弁に終始していましたが、証人喚問に際しても全く同様でしたね。そう、彼は心の底から現在の野党がお嫌いのようです。あの、鼻でせせら笑いながら人を小馬鹿にしたような対応が全てを物語っています。野党の皆さん、それはあなたたちが最も強く感じているのではありませんか? だとすると売られた喧嘩です。徹底して買うべきではありませんかね?

偽証罪でも、国会侮辱罪でも何でも結構です。彼は確信犯のようですから、当然そのことすらも視野に入れて証人喚問に臨んだのでしょうから、野党の皆さんは、目一杯彼の期待に期待に応えてやって欲しいものです。

2018年4月1日放送

 

財務省の公文書偽造・捏造問題についてや、文科省の明白な法律違反としての教育現場への不当な介入など…どうするの、この国をどうしたいの? 政治家の皆さん?

 

さて、今週の本題に入る前に、

HPに寄せられた嬉しいお便りをご紹介したいと思います。

「私、信条は右でも左でもなく、中庸を旨に生きていきたいとする者です。

 しかしながら、今、この国の現状は……。

 ところで、[コラコラ・コラム]は活字で出版出来ないのでしょうか?」

 

という書き込みでした。有り難うございます。

先ずは一言…。僕も、誰に何を言われようとも、自分を〈左〉だなどと自認も公認もしてはいませんし、そう思ってもいません。

単に、おかしい、いぶかしい、腑に落ちない、合点がいかない…事々に対して、率直にその疑問を口にしているだけです。

それを勝手に左のレッテルを貼り付けたり、己の脳内での妄想だけで他者をラベリングしたがる馬鹿も少なくないようですが、止めた方が良いと思いますよ。己の稚拙さと思考レベルの低さを示す効果しかありませんからね。

言葉を操る人間であるならば、まあ精一杯論理的、且つ説得力のある言葉で、相手を論破してみて下さい。それすらも出来ないならば、黙っとれば?

次に、お尋ねのありました[コラコラ・コラム]の書籍化についてお答え致します。本当に身に余るお言葉を光栄至極に存じますが、同時にご炯眼、恐れ入ります。実は現在、既に出版に向けて歩み出しておりますので、然程遠くない時期に、具体的なご案内が出来るものと存じます。

実のところ、数年前から同様のお便りやご要望をたくさん頂いており、僕としても何とかしたいと望んではおりました。ネット上では既に何年も前から、僕とは何の関係も面識もない方々が、割と熱心に[コラコラ]を取り上げたり紹介したりしているのは知っておりましたし、僕が直接手掛けた公式の出版物として出しておく責任もあるのかな…とは感じておりました。

とは言え、このコラム自体が即応性や話題性を主に述べてきてもいますから、過去の発言として残す形となるアーカイブ性を楽しんで頂くことになるだろうとは思います。となると、こう見えてサービス精神に満ちた僕は、訂正や修正を加える気は毛頭ありませんが、より直言的で直往邁進の精神をプラスした多くの言葉と文言を加筆したがるんだろうな〜と、あらかじめ、出版に向けた自らの姿勢と意気込みを予告しておきたいと存じます。[コラコラ]ファンの皆様、どうぞお楽しみに!

 

さて、本題です…と言いながらも、果たして先週までも予告したように、この国の政治は今、大きく揺れ…いや、揺らぎだして、その波紋はひょっとすると際限なく広がる様相すら窺わせています。

それは当然と言えば当然で、法と正義と主権在民の精神があったればこその自由主義国家として、且つ、世界に冠たる経済大国として発展してきたわが国の根幹を、その根元から揺るがす重大な国家犯罪である可能性が高い問題なのですから、それすらも重大事と捉えられない者たちは、この国の国民であるのを放棄したのと同様なのではありますまいか?

ましてや、国家公務員法に基づいて官吏として選任され、国家に忠実であり、誠実である旨を前提として誓約を交わし、その身分を保証されていた筈の国家公務員が、国家という公(つまり、おおやけ)に忠実だったのではなく、時の権力者の一部にのみ忠実で盲目的に従っていただけだとしたら、それは同時に国家に対する信頼と依存性すらも失ってしまう結果を招くことになるでしょう。

今、それが疑われているのです。

政治家が誠実で清廉であるなどとは、この国の民は誰一人思っても信じてもいませんから、今更ながら当事者であろうと目されている政治家の皆様方は、屋上屋を重ねるような嘘も詭弁も必要ありませんよ。明確な犯罪というのは、窃盗から殺人に至るまで共通している要素がありましてね、それは結果的に誰がどんな得をしたのかを丁寧に辿っていくと、否が応でもくっきりと浮かび上がるものなんですよ、ね、皆さん?

己の持つ権力の行使に後ろめたさや疚しやまさを、最も強く感じているのはご本人の筈なのですから、そりゃあ隠したくも誤魔化したくもなりますわな。それがくっきりと言葉遣いやご面相に現れれば、配下としてはご配慮もご忖度もしたくなるのでしょうよ。ですから、今更のように「私はそんな指示も命令も下した憶えはない!」などと大見得切られても、なんであなたの部下や下僕、下部しもべたちの心底(しんてい…心の奥底のことですよ)まで把握していると断言出来るんだよ? …と言い返したくはなりますわな。普通に人間の心理として捉えれば、あなたの極く身近に居る人間が、自分の立場を保持したかったのか忠誠心をアピールしたかったのかは知らないが、杞憂と配慮と気配りの末に、そのまた下で仕える連中に対し、目配せと阿吽の対応なりを求めたのかも知れんし、もしくは直栽ちょくさい的に指示を出したのかも知れませんぜ。

 

そう言えばホラ、例の加計学園・獣医学部認可の際に、誰かさんが、当時の文科省事務方トップであった前川氏に対し、「トップが直接言えないので私から言うが…」と言って、早く認可を下すよう求められた…という証言も出てましたよね? あれとほぼ同様の流れがあったんじゃあないかと、僕のような下衆な一般市民は想像を逞しくしてしまうんですが、違いますかね? よしんばそれらの全てが、僕たち庶民の妄想であり悪意であったとしても、普通に年齢を重ね、大人になってきた人間であれば容易に空想し、邪推してしまう類いの話だとは、政治家の皆様方は思わないものなのでしょうか? 何故なら私ら一般市民は、日常的にそんな行為や言動、気配りを、胃に穴が開くぐらい繰り返しながら生活してるものなんですよ、ね、リスナーの皆さん? それも解らずに国のトップ・リーダーを力強く主張なされても、果たしてそのセリフに説得力などあるものなのでしょうか?

どちらにしても[佐川 元・理財局長]が虚偽の答弁を繰り返していたことは、今は与党議員たちこそ最も強く言い募っているようですから、間違いないのでしょうよ。だとしたら[佐川 元・理財局長]が、国家公務員法に反してまで求めた彼の利とは何だったのか、国への忠誠心を捨ててまで尽くそうとした対象は誰であったのかが、私たちが知りたいたった一つの真実です。彼にも親は居るし、子も居るのですから、とっくにそのような、人としての心を失っていそうな連中からは心を放ち、人間としての良心の原点に立ち返って、または最低限、国家公務員として原点たる矜持を取り戻して語る真実を、私たち日本国民の全てが聴きたいと願っているのです。

 

今週はそのような願いを込めて、以上です。

 

2018年2月4日放送


近頃は僕自身も、このコーナーでは余り取り上げなくなってました“我が国の原子力発電”について…いや、それ以上に重要かと思われる“この国の放射能汚染の実態”について、今日は改めてのご報告と、僕なりの疑問点などを述べてみたいと思います。

その前に何故、最近余り原発問題について触れなかったかと言うと、単純な理由ですが、それは「クサイ臭いは、元から断たなければダメ!」理論です。

 

つまり、現在の安倍政権が続く限り、この国の政治家が原子力発電の根本問題や、それが引き起こす(いや、既に引き起こしてしまった)放射能汚染問題に、真摯に真正面から取り組むなど有り得ないのは明白だからです。

現に政府は、足下の国内状況完全無視のスタンスで、福島原発事故による被害者たちを一顧だにすることもなく、次々と支援も保護も平然と打ち切り、今は堂々と原発ビジネスに参入する強い意志すら示しています。そう、海外への日本製原発の輸出ビジネスなどに向けた本格介入です。

ま、いくつかの国々では、その国の政府が政治レベルで受け入れ、実現しようと目論んではみたものの、土壇場で国民の激しい反対運動などによって頓挫したり、頓挫し掛かったりもしているようですが、そうなると必然的に、売り込み対象とする国家への保障や条件の譲歩などへと話は転がって行くのでしょう。

同時に民間企業レベルだけでは先方が納得しない場合、日本国政府も巻き込んだ国家プロジェクトとせざるを得ないのでしょう。それが現在進めている英国への“日立製作所・原発新設プロジェクト”のようです。その実現に向けて日本の3大メガバンクを中心に、国際協力銀行や日本政策投資銀行などが1兆5千億円規模の融資を行ない、万が一の貸し倒れリスクを考慮して日本政府が全額補償を請け負うというものです。

当然、その全額補償の中には、原発事故やトラブルによって生ずる多額の債務保証の全てが含まれている訳で、最終的には総額3兆円を優に超えるであろうとすら言われているこの英国への原発輸出ビジネスは、当事者である日本の企業団にとってこれ以上はない好条件ビジネスとなるのは間違いないですね。

ま、基本的にはどうでもいい話ではありますが、次期〈経団連〉の会長に、歴史上初めて日立製作所出身者が就任するらしい…との先日の報道の意味が、漸く判ったような気がします。

そんな、お金の話でムンムンしている我が国の社会状況の中で、淡々と“福島県・県民健康調査”による甲状腺検査の第3回目の結果が、昨年の暮れも押し迫った12月末に、いつもの如く検討委員会によってサラリと発表されました。

結果は、前回から新たに5人増えて、これで被曝当時18歳以下だった子どもたち約40万人の内、159人が甲状腺癌であると公式に認められた訳です。いや、リスナーの皆さんは誤解しないで下さいね。これって、認められただけの話ですからね。福島県も検討委員会も、未だに公式には福島第一原発の事故による結果だとは一言も認めてないんですよ。頑として「過剰診断による過剰認定と過剰手術の結果だ」と、未だに言い張っているのですから、まあ、この数字が十倍…いや百倍に膨れ上がったとしても、この国に於いては、現実的には何の意味も持たないということです。

福島からの自主避難者たちを次々と経済面で冷酷に追い込み、被災者たちの希望や要求、または条件面などで敢えて被災者同士が対立するように仕向けていく政府の方針とか目論見などは、判る人には完全に見抜かれていても、厚顔且つ冷酷な役人たちは平然と上司の指示に従うだけです。

ホント、改めてこの国の役人たち…いや、もっと具体的に言うと地方から国家レベルまで含めたこの国の公務員たちは、感心する程、笑ってしまいたくなる程、自分の為にしか仕事をしない人たちばかりなんですね。公僕…などという言葉は今やSF用語でしかなく、“公務”という言葉自体も詐欺に近い意味しか持ってないようですね。

多分恐らく己の偏差値を高める過程の中で、心の機微や他者への思い遣りなどは数値の向上にとって阻害要因にしかならない…と、徹底的に鍛えられた結果なのかどうかまでは知りませんが、そんなこの国の公務員全てを束ねる行政機関の最高位に鎮座しているトップの御仁の知能指数は決して高くはなさそうだ…ともっぱらの評判ですから、必ずしも偏差値と人間性の因果関係が成立するとは言えないみたいですね。リスナーの皆様は、どう思われますか?

 

確かに、昔から“神輿”は軽くて馬鹿がいい…とは言われてきましたし、今の我が国の社会情勢や経済方針、そして実体経済の有り様を見ていると、神輿の担ぎ手たちは、神輿が軽いうちに「あっそれ、よさこい! あっそれ、どんどん!…」などといった囃子詞(はやしことば)と同様に、「あっそれ、やれそうなことなら、今なら何でも出来る! 今がチャンスだ、何でもかんでもやってしまえ!」との合いの手を口ずさんでるようにしか見えないんですが…。皆さんには、聴こえません? そうなんですよね? 日本会議の皆々様方も…?

以上です。