2018年4月15日放送

 

この国の各省庁は、何のために、誰のために存在し、仕事をしていたのかが

今ほど判り易く明白な時代はなかったのかも…ね?

 

いやはや何とも、先週の放送でも述べたように、国会に於ける証人喚問という厳正、且つ国権の最高機関たる場面に対してですら、敬意も畏怖も、微塵たりとも持つことなく平然と嘘はつくわ、答弁を拒否するわで押し通そうとする傲慢さは、一体どうやって育てられたら身に付くものなのでしょうか?

なんとそれが、本来が治外法権のアウトローとして生きてきた人間ならば兎も角、法治国家であるはずの我が国に於いて、その国体とすら言える国家運営に直接携わる最重要職務に就く為に、全ての国家試験の中でも最難関とすら言われている国家公務員一種試験(彼の採用時はそうでした)、それを突破して採用されたエキスパート…言わばこの国のあらゆる法律をも理解し、国家機能の真髄も、そして政治と行政の関係性についても、いや、もっと直截に言えば、この国に住む全ての民の命と生存にすら関与する崇高なる職務に奉じていたはずの官吏が、ここまで手酷く国家と国民を裏切ることが出来るものだとは、まさに想定も想像もしていませんでした。僕にとってそれは、真に驚愕すべき対応でもあり、彼などから見れば歯牙にもかけない些細な仕事にしか見えないであろう僕の日常の職務ですが、何十年にも渡って多くの高校生諸君へ紹介し、解説もしてきた『憧憬(どうけい…正しくはショウケイと読むべきですが、憧れのことです)の職業』の一つと認識もしてきました。

その際、いつも僕は「超難関の国家試験ではあるが、これほどまでに国家そのものを背負う責任と遣り甲斐のある職業もないのだから、それに挑戦するだけでも意味はあるかも知れないね」と背中を押してきたものです。だからこそ今は、二重、三重に裏切られた気持ちでいっぱいです。

個人プレーで華やかに、若くして高額の年収を目指し、己の野心と努力次第でいくらでも社会的に伸し上がっていける民間企業での活躍も魅力的ですが、国家のいしずえ、社会のいしずえとして、国や国民を支えていく職業も大いに意味があるのではないかと説いてもきました。しかし、具体的な当事者としての彼らにそのような意識も責任感もまるでなく、誰も彼もが己の欲と利益と地位の保全、公務員退職後のより有利で不自由なき生活確保の為だけに時の権力者へおもねり、へつらい、ご追従ついしょうする姿を、私たち国民はしっかりと目にしてしまいました。

「誰も彼も…」は言い過ぎだ? どう致しまして、例の“森友疑惑”についての国会質疑で、ほとんど難癖のような自民党議員の言い掛かりに対し、「私は公務員として政治家にお仕えするのが仕事。さすがにいくらなんでも、いくらなんでもそんな決め付けはご容赦下さい…」と、絞り出すかのような悲痛な叫びにも似た答弁を口にした現・財務省理財局長太田 充氏でしたが、そんな姿に若干の同情すら覚えた国民も居た筈です。しかしその後、そんな彼もが1年以上も前から“森友疑惑”問題隠蔽の為に、官邸と当時の理財局長佐川 某氏らと共に、官房総括審議官として主体的に動き回っていた当事者の一人だったことが、今では判明しています。国会の答弁に於いては、何度もその官房総括審議官がまるで別の第三者であるかのような言い回しで誤魔化していましたが、ホトホト呆れ果て、ため息をつくしかありませんね。

 

前・文科省事務次官前川さんの中学校での講演に対し、いくら政権与党自民党の強面国会議員たちの指示があったとは言え、ヤクザ紛いの恫喝を何度も中学校に繰り返していた文科省の役人たちしかり。今現在、スッタモンダしている防衛省の日報隠蔽問題に関しても、既に安倍総理に見限られたらしい稲田元防衛大臣の調査不足、指示不足で集結させようとする気配が濃厚となっていますが、制服組と軍服組とのシビリアン・コントロールの問題に落とし込むなど以ての外で、防衛省の軍服組織幹部だって、国会に於いて自衛隊の位置付けや集団的自衛権の具体的活動範囲拡大に向けた与野党の論争に、政府方針の阻害要因となるヤバい日報隠しであることぐらい理解も忖度もしていただろうとは、

小学生にだって推察出来る話です。それを命令伝達が曖昧だから…って、よくもまあ言えたものです。軍人としての矜持や、武力集団としての法律遵守の概念、いや、それよりも存在そのものの正当性などについて真剣に受け止めているのかすら、疑わざるを得ない対応だと思いますよ。

そこに重ねて今度は、北海道の高校に於いて北大・大学院の助教授が、我が国のエネルギー問題と原子力発電の位置付けとリスクなどについて講演しようとしていたところ、経済産業省の出先機関からクレームと修正要求が為されていた事実が発覚したようです。昨年の10月の出来事のようですが、詰まるところ原発批判はするな…という命令を出した訳ですね。

「この講演予定内容では、原発のリスクを過大に見せる印象操作だ」と文句を言い、「国の事業である以上、原発の長所と短所をバランスよく紹介すべきで、修正を求めたのは調整の一環だから問題はない…」と主張している様ですが、国家の教育現場への不当な介入を指摘する以前に、その通達役を担った経産省の役人は、どんな顔をしてそんなセリフを口にしたのかに、僕は個人的には大いに興味がありますね。

ま、とっくに人間の表情などは捨ててしまっているのかも知れませんが、あれほど原発安全神話を振りまいてきたご本尊の経産省の人間が、どの面下げて長所と短所をバランスよく説明しろ…なんて言えたもんだと思いますよ。

情報によると、この助教授が講演の資料として準備した福島原発事故の写真や、原発の発電コストの実態を示すデータを出すことを止めたかったようですが、つまりそれは、相変わらず嘘と隠蔽と誤魔化しのスタンスでこの国の原子力行政を進めようとする国家の目論見以外の何者でもありません。

この国の各省庁は、いったい何のために、誰のために存在し、仕事をしているのかが、判り易いほどに判る昨今です。

少なくとも財務省は国家財政を大切に運営し、増やして行くつもりは毛頭ないようですし、文科省は生徒や児童の為などとは微塵も考えていないようですね。

防衛省も本気で国民を守る気などサラサラなく、自分たちの存在を誇示し、地位を高めることが何よりも大事なのでしょう。

 

経済産業省にとっての経済とは、国民が等しく豊かになって安らかに暮らしていけることを目指している訳ではなく、大企業の経営陣と株主をより豊かにしていくことにあり、産業保護とは、働く労働者を保護する訳でも何でもなく、死ぬまで搾り取った労働力の犠牲の上に大企業の存続と新たなる産業の構築が成されるのは当然だと捉えているようです。各省庁のおエライさん方、僕のこの分析は間違っていますか?

少なくとも僕のこれらのセリフを、サヨクの世迷言…などとは言わせませんよ、クズ役人共には…決してね。今週は怒りを込めて、以上です!