まだ暑さの残る9月上旬の夕方、祖父が危篤だという連絡が入り、急いでタクシーに乗って病院へ駆けつけました。
そこで見たのは、
悲しみに暮れる親族と
体はやせ細り、
肌の色は紫がかっている
口からチューブが挿入され、
胸には心臓まで届くコードが突き刺さっている
機械で無理矢理、呼吸と鼓動を維持させられながらベッドに横たわる祖父の姿でした。
(これは、むごすぎる)
(もはや無理矢理生かされているかのような状態だな)
(遺族が受け入れる時間を作るためだけのものだな…)
(本人のことなんて御構い無しだ)
(死ぬとき、こんな姿になるのは嫌だな)
そんなことを思ったのを覚えています。
祖父は心臓の手術を受け、入院中でした。
手術は成功し、一次意識も戻ったのですが、心肺機能が低下しており、再度意識を失って帰らぬ人に。
(昔、よくタバコを吸っていたからな…)
(それで、心肺機能が弱ってたんだろう…)
(タバコ吸うと血圧上がるって聞いたことあるし、心臓の血管詰まったのもタバコが原因の一つかもしれないな…)
(自業自得だな…)
不謹慎ですが、そんなことも思っていました。
葬儀中持ち上げた祖父の体は驚く程軽く、死後硬直で関節は曲がらなくなり、冷たかったのを覚えています。
(手術してからの数日、じいちゃんはどんなことを思っていたのだろう?)
(怖かっただろうか?)
(苦しかっただろうか?)
(辛かったのだろうか?)
(こんな痛々しい体になっても生きたかったのだろうか?)
(未練はあるのだろうか?)
(もし、俺が死ぬとしたら、死因は老衰がいい)
(直前まで元気で、「また明日!」とか言ってたくせに、眠ったらそのまま…)
(そういう最後がいい)
(体切り裂く、薬漬けにする、チューブが何本も繋がってる、そんなことになりたくない)
(体の自由を奪われて、寝たきりで過ごすなんて我慢できない)
(何の苦痛も感じないのがいい)
(死ぬまで元気な肉体が欲しい)
死というものを見たときに、そう思ったことを思い出しました。