綺麗すぎる訳
どう考えても実力の無い子が、素晴らしい流暢な訳をしたのでどうしてこう訳したのか問いただしてみると、
調べました😀
との答え。
調べたってどういうこと?と尋ねると、
ネットのサイトで訳を探しました😀
とのこと。
うん、英語が全くわからなかったところから、なんとか調べて答えられるようになろうと努力をしていることは認めるけれども、
それって全く意味ないよね😮💨
綺麗な訳を聞きたいのではない
なんのために寺子屋に来ているの?勉強できるようになるためだよね?ここでの授業をつつがなくやり過ごすために来ているんじゃないよね?
こちらが知りたいのは、どこまでわかっていて、どこからわかっていないのかということ。そもそもなんでそういう訳になるのかわからないようなものを、ただ読み上げることになんの意味がある?
辞書使って、ノートひっくり返して、自分の頭で一生懸命考えて、そうやって苦労して訳を作らないと力はつかないし、入試で初見の文章を理解するのは不可能だよね?
そりゃ、こんこんとお説教ですよ。
教科書ガイドとか、それを「引用(盗用)」したサイトとかにはまぁ「綺麗な」訳が載っているのだけれども、中学生がその訳を見たところで、そもそもどうしてそのような訳になるのかわからないのが現実。そんなものになんの意味もない。
意訳とは単語を適当につなげて意味の通る日本語を作る作業ではない。ガヂガヂの直訳やってみて、日本語としていずい時によりこなれた日本語に翻訳する作業を意訳と言うのである。
そのためには、まずはきっちりと文法に則った直訳ができなければ、意訳など英語弱者には不可能(英語強者はわかっちゃうので、私の指導範囲ではないので)。
英語Hを煽っている
英語B組は意識改善が進んで来ているので、今回のテスト対策を通して英語H組を私は煽っている。自分たちがいかに甘いかということを、ぐうの音も出ない現実を突きつけながら。
この程度やるのが当たり前なのだと。そして舐めていると下剋上されるのだと。私がB組を徹底的なスパルタで鍛えているので、怠けていたら差し切られるのだと。
単語集開いて必死に単語覚えようとしているのも出てきているので(一切指示を出してない)、本当にいい傾向だと思っている。
私の理想は、私の授業を受けていてこれでは足りないと自分で勉強し出すこと。そしてこれをやり出した子は、例外なくきっちりと結果を出してる。
自分で気がつけるようになるのがやっぱり理想。言われてやっているうちは、まだまだ。
今回は正直テスト範囲をなんとか終わらせられれば万々歳で、定着のための時間を全く取れないので、まぁ、少しでも上がってくれればよしとしようとは思っている。
でも、次は間に合うので、次はきっちりとテスト対策をして臨みたい。
英語、右も左もわからないところから始めてここまで来ているので、よく食らいついてきていると思っている。be動詞、一般動詞、助動詞からはじめて、5文型やって、受動態やって、完了形やってようやく教科書に入ったわけで、この短期間にこれだけやったのによくやった。
本当にもう少し定着の時間を確保できればテストの結果も期待できるのだけど、流石に今回は時間が足りない。形式的に終わらせるのさえおぼつかないのだから。
だから、今回は解いた範囲の中での得点率を見ると言ってある。時間的に間に合わなくてもいいし、範囲的に間に合わなかった場所で失点するのは致し方ないと。その代わり、勉強したところはきっちり点を取ってこいと指示を出してある。
できない子にはまずはわかるという実感と、そしてそれが結果につながるという成功体験が重要なわけで。
あとは、ここまで煽っているのでH組の尻に火がつけば、全てOK。
H組に本気になられたらB組は勝ち目がないのでw
でも、ギリギリ直線一気で差し切りを狙って私は鍛えることにしているし、H組には危機感持ってやってもらいたいと思っている。