昨年の春、東京での1勝を目指し、週末の走り込みは始まった。

そのころは走ったり歩いたり、走らなかったり、無茶走りしたりと、まとまりなく、ダラダラと取り組んでいた。

東京遠征前頃から、週末にはきっちり走るようになったものの、その努力は実らず、東京で大炎上をした。

その後、1ヶ月は何をする気も起こらず、野球をやめようかとも思った。

しかし、何かをしなければと思い立ち、また、走り込みを始めた。

熱く苦しい中、吐きそうになった日もあった。

努力が実るかどうかもわからず、ただただ走った。


秋頃になり、レースに出場しようと思い立ち、3つのレースにエントリーできた。

年が明け、寒さが厳しくなった頃、毎朝の走り込みを決意し、がむしゃらに突き進んだ。

寒すぎる朝、布団からでられない。

昨日の疲れが取れず、何ともしんどい。

逃げ出しそうになる自分がそこにいて、いつも心の中で2人の自分が戦っていた。

そんなとき、いつも「逃げるのは簡単だ。」との言葉が頭をよぎり、気がつけば白い息を吐きながら走っていた。

白い息はいつの間にか、体全体から蒸気となって真っ青な空をめがけて上がっていった。

それは自分に乗り移った亡霊のごとく、私に勇気を与えてくれた。


盲目のランナー、バンブー、ノリ、ルーキー、そしてバンブーのお父さん。

いろんなたくさんの人のお陰で今の自分がある。

くみやまマラソンで自分と戦うことのすばらしさを感じ、宇治川マラソンで走りきることの喜びを感じ、そして今回の京都シティハーフマラソンで自分を乗り越えることの難しさを感じた。

それぞれのレースにそれぞれのドラマがあり、そのドラマはもったいないくらい、いつも私を主人公に展開していってくれた。

しかし、まだこのドラマはプロローグにすぎない。

今から、いくつもの苦難や喜びなどが舞い込み、予想もできない展開が待っているはずだ。

レースは当分控えるとして、これからはいよいよ本職の野球での戦いが始まる。

いつも中途半端に逃げまわっていた私が、今度はどこまで逃げることなく勇気を持って前に進めるか。

できればこれからも主役で話を展開していきたい。


とにかく、、、、、、思えばよくここまできたもんだ。。。。。。そう、思うのであった。

控室に戻り、バンブーと会い、今日のレースの話をした。

バンブーは足のマメがつぶれたようで、血が滴っていた。

「こんなんで、よう走ったなぁ。」そう言うと。

「止まる時間がもったいなかったですから。」とひょうひょうと答えていた。

その後、着替えを済ませ応援団達と一緒に昼ご飯を食べようと、控室の外に出た。

外ではランナーが続々とゴールしており、大変な混雑だった。

この光景を見ると、私は結構早いほうの部類にいるんだと感じることができた。

ニシモに会いに行く途中、アナウンスで各年代の順位が発表されていた。

「60歳代の部、優勝、<バンブーのお父さんの名前>さま。」そんなアナウンスの声が耳に入ってきた。

バンブーのお父さんが、60歳代の部で優勝された。

本人は走っていないが、本人に代わって、その息子が父の名前を記録集に刻み込んだのだ。

バンブーは「ちょっと、優勝杯はいただけませんね・・・・。」と、苦笑いで言っていた。

確かに違反は違反である。でも、バンブーの父に対する気持ちが熱く伝わってきた。

父の名前をどこかに刻みたい。。。。そう思ったのかもしれない。


ニシモ達と会い、みんなで記念写真を撮り、岡崎公園を後にした。

わざわざ応援に来てくれたので、御礼の意味も込めて、昼食をおごってやった。

店に入り、ランチメニューを注文した。同時に生ビールを1杯ずつ頼んだ。

ビールが来て、みんなで今日の走り(完走・記録更新)を祝い、乾杯をした。

冷たいビールはたまらなく美味しく、1時間30分の疲れを癒すように、最高ののどごしで胃へと流れていった。

その後、ニシモ、バンブー、美人女子マネと私の4人での楽しい団らんの時間がしばらく続いた。


美味しく頂き、三々五々、帰って行った。

私も家に帰る途中、妻に電話をした。妻の第一声は「何分で走れた?」との質問だった。

「家に帰ってからのお楽しみ。」そう言って回答をはぐらかした。

「えぇ~。」と電話の向こうで妻の声が聞こえた。

帰りの電車の窓の外を見ると、我が大学が悠々とうつり動いていた。

フッと東京の悪夢から今までのことや、寒い早朝の走り込みのことを思い出した。

しばらくすると、八坂神社が見えてきた。

時計を見ると、1時間30分まで、もう1分ほどしかない。

必死の思いで突っ走った。

八坂神社を右手に、南に曲がり、最後の直線を走る。

ついにゴールが見えた。もうそこである!

ふっとゴールに設置してある時計に目をやった。「1時間29分47秒」だった。

げげっ!もう時間がない。

そんなとき、人混みの中から「キャップ!がんばれ!」との大きな声援が聞こえてきた。

ニシモ達だった。

「もうちょっと!気合いで走れ!」自分に言い聞かせた。

しかし、20メートルくらいというところで、無惨にも時計は1時間30分を刻んだのが目に入った。

「ちっきしょう!」と、思うと同時に頭が真っ白になり、力が抜けていくのがわかった。

悔しい・・・・。しかし、自分なりには精一杯走ることができた。

自分をほめてやろうと、最後は大きくガッツポーズをしながら、ゴールを駆け抜けた。

タイムは1時間30分36秒である。

目標の1時間30分は惜しくも切れなかったものの、自己記録を5分も縮めてのゴールである。

この記録なら、なんとかバンブーのお父さんにゆるしてもらえるのではないだろうか。

振り返ると今回のレースは、一時は出走をあきらめたものの、バンブーのお父さんのお陰でチャンスをいただけた。

そのお陰で、最高のタイムをたたき出し、かつ自分を強く磨けたと思う。

心の底からお礼を申し上げたい。


~ほんとうにありがとうございました。~


とぼとぼと控室に向かう途中、バナナ1本とスポーツドリンクをもらった。

バナナをほおばるとたまらなく甘く、パワーがわいてくるのを感じた。

それにしても、この走り終えた後の何とも言えない達成感はたまらない。

最近はこの感覚がやみつきになろうとしている。

そして経験したものだけにしか分からないこの感覚は自分の財産となろうとしている。

あの東京の悪夢のお陰で、普通に過ごしていたら経験することのない、一生ものの趣味を得ることができた。

これからも、冬はマラソンに挑戦して、さらに心身ともに鍛えていきたい。

そんなことを考えながら控室へと向かう。

何ともやさしく、温かい日差しが私を包み込み、春の訪れを感じさせるひとときであった。

本当に気持ちがよい。風も、日差しも、そして沿道の応援も。すべて私の見方である。

植物公園をすぎると10kmのサインがあった。通過タイムは42分。

久御山マラソン(10km)のタイムは43分、宇治川マラソン(ハーフ)では46分だった。

そう考えるとかなり速いペースである。しかし、体調は非常に良く、足がスムーズに出ている。

「いいぞぉ、いいぞぉ。」状況によってこんなにも変わるものなのか。

このペースなら、記録をねらえる!新しい腕時計がニンジンのように目の前にぶら下がっていた。

レースは、いよいよ後半戦に入る。

北山通りを抜け、今度は一気に宝ヶ池を目指して北上する。ここから1kmほどだろうか、少し急な坂道があるが、宇治川マラソンのコースに比べればどういうことはない。

白川通りにでたとき、折り返しのランナーが見えてきた。しばらく行くとバンブーが見えた。

やはり早い、今回のレースは思い入れが違うのだろうか、かなりのペースで飛ばしているように感じた。

右手を挙げると、バンブーも右手を挙げ応えてくれた。

「よし、俺もこれから行くぞっ!」そう心の中でつぶやき、徐々にペースをあげた。

国際会館に入り、折り返す。あとは下りを一気に岡崎公園に向けて突っ走るだけである。

白川通りを南下し、岡崎公園の標識が見えたと同時に「あと4km」のサインが見えた。

時計を見ると1時間12分くらいである・・・・・。ちょっと待て、あと18分ほどで4kmとすると、1kmを4分30秒ほどで走らなければならない。

ここに来て1kmを4分代というのは正直かなりきつい、もう少し前半ハイペースで走るんだったと後悔する暇もなく、ひたすら1時間30分を目指して突っ走っていた。

こうなりゃ決死のラストスパートしかない、覚悟を決めて、ぐんぐんペースをあげた。

途中から、もう新しい時計のことなど、どうでも良くなっていた。

ただ、無意識に「逃げるのは簡単だ。。。。」とつぶやきながら走っていた。

「あと1km」のサインが見えた。

心肺機能も筋肉も、もう限界が来ていた。

もうちょっとペース配分を考えることができれば、もっと楽にレースを展開できるのに。

初レースというのは本当に難しいことだらけだ。

とにもかくにも、もう数分の戦いだ。

あとは精神力のみ、気合いで走りきるしかない!

スタート10分前になり、選手は前に詰めるよう指示があった。

なんとかゼッケンチェックを逃れ、バンブーと二人一緒に最前列からスタートすることができる。

ただ、最前列といっても、招待選手と登録選手の次であって、私たちの前には100人ほどがならんでいる。

でも、私たちの後ろには約7,000人ほどが並んでいるのだ。

スタート時点は八坂神社がある岡崎公園である。

ここをスタートし、川端通りから御池通りを西に走り、烏丸通りを折れ、北向きに走る。

北山通りまで上がり、今度はそこを東に向かって走る。さらに白川通りを北に上がって、宝ヶ池(国際会議場)を折り返して、今度はそのまま白川通りをまっすぐ南下し、岡崎公園に戻ってくるというコースである。

今までのレースとは違い、ほとんど大通りを通行止めにして走る。何とも言えない気分の良いレースである。


さて、いよいよスタートである。

ピストルの合図とともにみんなが一斉に走り出し、八坂神社の鳥居の下をくぐり抜けていく。

肘と肘がぶつかり合い、非常に走りにくい。

早くこの団子状態から脱出しなければ・・・・・。そう思いながら、転ばないようにペースをあげていく。

何とか団子状態を抜け、御池通まで来た。

だいぶ自分のペースでレースを進められるくらいゆったりと走れるようになった。

それにしても、大通りのマラソンというものはこんなに気分が良いものとは知らなかった。

沿道の応援団は今までに比べ非常に多く、老若男女問わず、たくさんの声援が飛び交う。

さらに所々では吹奏楽の演奏などもあって、気分は一流ランナーである。(笑)

それにしても天候がよい。見渡す限りの青空で、本当に気分がよい。

ただ、予想以上に温かく、すでに汗ばむくらいであった。

「気分がいいなぁ。。。でも調子に乗ってペースをあげるとこの暖かさだから、失敗するおそれがある。それにコースもよく知らないし、慎重に走って失敗することはないだろう。」そう自分に言い聞かせた。

今までになく、慎重な自分がそこにいた。

烏丸通りを北に向かう、なだらかであるが、少し登りである。決して無理することなく、前半は1kmを5分以内のペースで走ることにした。

そんな中、前方の応援団の中に見覚えのある顔がある。ニシモが応援に来てくれていたのだ。

でも、ニシモは私には全然気づいていない。

私から「おいっ!」と声をかけると、驚いたようにこちらを向き「がんばってください!」と、声をかけてくれた。

さて、レースの方は烏丸通りを東に折れ、北山通りを走る。

まもなく10km地点にさしかかろうとしていた。

さて、どれくらいのタイムであろうか?

時計をにらみながら、さらに足を進める。

さて、外は快晴であり、春の訪れを十分感じさせる程の温かさであった。

アップも兼ね、私の家の最寄り駅まで約30分歩いていった。

そこから電車に乗り、会場に向かう。その途中、乗り換えが1回あり、駅で電車を待っていると私と同じような服装をしている人がゾロゾロといた。

どのような服装かというと、ウィンドブレーカーにランニングシューズを履いて、大きな荷物を持っている。

ほとんど私と行き先が同じ人ばかりであろう。

みんなライバルに見えてきた。

会場の最寄り駅に到着するとバンブーもそこにいた。

駅からゆっくりと会場までさらに歩き、更衣室でまずはゼッケン等をつけ、体制を整えた。

ゼッケンは私がバンブーのものを、バンブーがお父さんのものをつけた。

いろいろ思いがあったのだろう。私は素直にバンブーの指示に従った。

さて、今回のレースのエントリー代であるが、普通のレースに比べ金額が高いにもかかわらず、バンブーのお父さんの枠をもらったので私は全く出費がない。

申し訳ない。よってバンブーにそのお金を払おうかと思ったが、もし私が逆の立場だったら受け取らないと思う。

よって、その金額相当のマラソングッズを購入し、それをバンブーに渡すことにした。

その気持ちを伝えると、バンブーも喜んで私の気持ちを受け取ってくれた。

うれしかった。


その後、アップのためにジョギングを行った。

多くの選手が同じように体を動かしている。

徐々にボルテージが上がってくるのを感じる。

さて、今回はバンブーが30分ほど前にスタート地点に並ぼうとの提案をしてきた。

これは並ぶ場所によっては5分ほどタイムが異なるとのことからである。

9:00にスタートなので、8:30にはスタートラインに整列した。

ただ、ゼッケン別にならぶ。このゼッケンであるが、どうも自己申告タイム別に振り分けられているようであり、ゼッケン番号の数字の小さい順に前へと並ぶ。

ちなみにバンブーのゼッケンが2000番台、バンブーのお父さんは6000番台であった。

よって、本来なら2人は別々の場所にならばなければならず、バンブーのゼッケンを付けている私が前の方で、お父さんのゼッケンを付けているバンブーは最後尾近くにならばならない。

ただし、そうはいかない。

よって、まずバンブーが2000番台の列の前の方にならび、しっかりと腕組みをする。これで前からはゼッケンは見えず、チェックの目は逃れる。次に私がバンブーの真後ろに接近してならぶ、これで後ろからもゼッケンは見えない。この体制を保つことにより、二人同時に前の方からスタートができるというわけだ。

結構チェックが厳しく、3000番以上のゼッケンの選手は次々と後ろにならぶように注意を受ける。

もし、バンブーのゼッケンが見つかれば、バンブーは最後尾からの出走となり、そうなれば私は申し訳が立たない。

とにかく早くスタートしたいと願うが、こういうときは本当にゆっくりと時間が進む。

あぁ、見つからないでくれ。そう一心に願うのであった。

京都シティハーフマラソンを2日後に控えていた日、所用で実家に帰った。

そして実家に帰った直後、長男が体調を崩し、39度近い熱で寝込んだ。

久しぶりに長男のしんどそうな顔を見た.

翌日、病院に行くとインフルエンザA型との診断がでた。


とりあえず、明くる日はレースなので長男を含む家族を車に乗せ、京都に向かった。

帰りの車で、妻と明日のレースの話をしていたとき、妻にレースで賭をしようと申し出た。

それは私が1時間30分を切ってゴールしたら、時計を買うというものだ。(ちなみに切れなくても何もない。これを賭というのか?)

妻も笑いながら快諾した。5分短縮することがどれほどしんどくて難しいことなのか、素人ながらわかっていたのかもしれない。

さて、京都についたものの、晩ご飯を作る時間がないので、近くのスーパーにお総菜を買いに行くことにした。

長男を残し、次男と三男をつれての買い物だ。子ども達は揚げ物が好きである。

私もどちらかというと好きであるが、明日はレースであるので、油ものは(自分の中で)禁止している。

家に帰って(長男以外の)みんなで手抜き料理をむさぼった。

疲れていたので、ビールを1杯飲みたかったが、1杯で終わるはずがないと思い、酒も控えた。

子ども達は美味しそうに食べているが、私はうどんとサラダで夕食を済ませた。

それにしても、いつからこんなにストイックになったのだろう?自分でも不思議だった。


さて、核家族では妻が倒れると全く生活が回らない。

よって、妻にインフルエンザが移ったら大変なので、長男の世話は私がすることになった。

長男は別室に寝かせ、次男・三男とは接触を禁じ、私も風邪用のマスクをして長男と寝ることにした。

寝る前に長男が私に言った。

「お父さん、明日がんばってや。僕の風邪、うつらんようにしてや。。。。」

涙が出そうになった。

「おとうさん、がんばるわ。おとうさんな、1時間30分までに走り終えたら、お母さんからすっごいご褒美もらえるねん。応援しといてや。」

息子はニタッと笑うとウトウトと眠りについた。

その後、熱にうなされ何度か夜中に目を覚ましたものの、特に異常はなく静かに朝を迎えた。

私は長男の眠りについている顔を見ながら、起こさぬように静かに起きた。

少々、寝不足であったが、外を見るとその寝不足の憂鬱な頭をスカっとさせるようなさわやかな天気だった。

さっ、いくぞ!

妻に長男は今、スヤスヤと寝ていることを告げ、朝6時に我が家を後にした。

いざ、勝負だ!

さすがに21kmは長かった。

宇治川マラソンの翌日は、念のため休みをもらっていたが、思いのほか筋肉痛はなかった。

朝も普段どおりに起きることができたし、普通に歩くことができていた。

やはり日々の鍛錬はすごい。知らないうちに明らかに筋力がついている。

しかし、ルーキーに負けたことは確かである。

そこで私が勝っていたら嘱託さんにお菓子を作ってもらう約束だったので、負けたことを反省するためにも私がドーナツを作っていった。

職場で言うと、みんな笑いながらこのエピソードを聞いていた。

そして予想以上にこのドーナツは好評であり、あっという間になくなった。

うれしいやら、なんとも複雑な気持ちであった。

ルーキーに筋肉痛のことを聞くと、かなり痛んでいるらしい。

痛すぎて、夜、目が覚めたらしい。

たぶん極限の中で足を前に出していたのだろう。まさに気力で勝ち取った勝利である。

若さ故なせる技に私は言葉を失った。

さ、次は京都シティーハーフマラソンであり、気がつくと2週間後に迫っていた。

まずは足の疲れを癒すこと、それから筋力を継続させること。

この2つを残りの2週間で実行する。


その夜から、足のケアは欠かせなかった。入浴後はストレッチを行い、ジェルを塗り、マッサージをする。

次のコースはバンブーに聞くと、ほとんど高低差がないらしい、こうなりゃ記録の更新だ。

宇治川マラソンが1時間35分だったので、次は1時間30分を切ってやろう、、、、、そんなことを考えた。

しかし5分短縮すると言うことはそうたやすいことではない。

宇治川マラソンを走っている自分の約1km先を走らなければならない。

これは、大きな挑戦であるが、今回はバンブーのお父さんにいただいたレースだ。

これくらい大きなプレッシャーを自分にかけても良いのではないか。

そう思いながら夜のマッサージと朝のトレーニングは続くのであった。

レースを終え、4人全員が無事完走したことを確かめた。

タイムは、バンブーが1時間20分、ルーキーが1時間29分、私が1時間35分、ノリが1時間40分だった。

高低差が高くハードレースといわれるこの大会で、4人とも自己ベストを更新した。

バンブーはともかく、ノリを引っ張ったのは私であり、私を引っ張ったのはルーキー、そしてそのルーキーを引っ張ったのは紛れもなく「課長の一言」だったに違いない。(笑)


さて、その後、みんなでお風呂屋に行った。

お風呂屋といっても天然温泉の沸く人気のあるお風呂である。

みんな、そそくさと服を脱ぎ捨て、温かい湯船に飛び込んだ。

ういぃ~。極楽浄土とはここかもしれない。

天然温泉は、疲れ、冷え切った体を芯から温めてくれた。

私は体を洗う時間を惜しんで必死に足をマッサージした。

約1時間の入浴の後、今度は我が家にて、これまた温まるモツ鍋をごちそうした。

予想以上に好評で、みんなむさぼりつくように美味しそうに食べてくれた。

モツ鍋、煮込みラーメン、その後は雑炊と1度に3つの味を楽しめる。


その後、ノリの奥さんが撮影してくれた記録ビデオをみんなで見ながらレースを振り返った。

ルーキーは折り返し地点の私の一言でビビったといっていた。

やばいと思い、必死で逃げたと言った。まさに気力で走ったレースといえるだろう。

ノリは私に負けたことが悔しいといっていた。ノリも私も後半必ず落ちてくると思っていたらしい、しかしルーキーを追いかけていたため、自分で気づかなかったが、それほどペースは落ちていなかったのかもしれない。

それにしても、この充実感は何なのであろうか?

走っているとき(特に最後の上り)は、本当に出走したことを後悔していたのに、今はまた走りたいと思っている。

そして、今回の記録を更新したいと思っている。

まさに自分との戦いだ。

そして、ノリと「今度は東京遠征やな。がんばろうな。」と決意を新たにした。

しかし、私には最後のレースである京都シティーハーフマラソンが待っている。

バンジーのお父さんが贈ってくれた貴重な機会だ、精一杯走って、ぜひとも冬のトレーニングを終わりたいと思っている。

もう少し、いや、まだまだ自分との戦いは続く。

長い下りが続く中、ルーキーの背中を求めて、ただひたすらに走った。

しかし、下ったかと思うと今度は上りがあり、上ったかと思うと下り、コースに振り回されながら、必死で前に進んでいた。

まったくペースがつかめない・・・・・。どこで、どう力を入れて良いのやらわからない。

そしてルーキーの背中は全く見えない。

ルーキーの、あのペースなら必ず落ちてくると読んでいたが、いっこうに背中が見えない。

ちっきしょう!

そう思って少しでも無理をすると、必ずひどい目に遭うに違いない。

今は自分のペースをしっかり守り、ルーキーのペースが落ちてくることを願うしかないのか。。。。。

レースも後半にさしかかった。宇治川沿いを抜け、いよいよ最後の上り坂にさしかかる。

そして「あと3km」との表示が見えた。

時計を見ると1時間15分くらいだった。

「もう少しがんばれば、1時間30分切れるんじゃないか?」そんなことを考えた。

その反面、やはりハーフとなると足に来ていた。

今思うと無理をしなくて正解だった。

なにか足が締め付けられる様な感じになり、筋肉が固くなっているのがわかる。

その度合いがますますきつくなってくる。

ルーキーどころじゃないね。ゴールまで足がもつか、、、、、。

大きな不安が襲ってきた。

必死で前の走者に食らいついて、何とか足を前に出した。

やっとのことで「あと1km」の表示が見えた。

それにしても、予想以上にこの上りはきつい。

本当に想像を絶している・・・。

「ダメだ、、、歩こうか。。。。」そんな考えがマジで私の頭をよぎる。

心臓が口から飛び出そうになり、足が棒の様に硬く、パチンと今にもはじけてしまいそうなくらい痛い。

そんなとき無意識に「逃げるのは簡単だ。」とお経のように口走っていた。

無意識に近い状況でただただ前に向かって足を進めた。

見えた・・・・。ついにゴールが目の前に見えたのだ。

しっかりと競技場に足を進めた。

ゆっくりとだが、確実にゴールが迫ってきていた。


やっとの事でゴールをくぐり抜けた。

「やった!完走だ!」ついに21kmを自分の足で走り終えたのだ。

何とも言えない疲労感と充実感が私を包み込んだ。