このたびは「加齢臭を気にしながら」を永きにわたりご愛読頂きありがとうございました。

何とか、1年2ヶ月もの間、定期的にupできました。


思い起こせば、昨年の8月、ぼっこぼこになった自分を忘れないようにしようと考え、このブログはスタートしました。

その結果、思いもよらないクライマックスに出会い、このように充実した気持ちでこのブログを終えることができます。


とりあえず、このブログは終わりますが、可能な限り、野球は続けていきたいと思います。

よって、わたしの中ではこの物語はずっと続いていくのでしょう。

そのようなことで、また機会があればブログに登場したいと思います。

そしてその際には、ぜひともまたお会いしたいですね。


とにかく、このブログがここまで続いたのも、読んで頂いた皆様の感想が励みになっていたことは確かです。

本当に心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。


では、また。。。。。


2008年11月7日    キャップより。


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※同職場の同僚・後輩のみんなへ

 暇なときで良いので、メールででも感想聞かせてくれたら嬉しいです。

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ピピッ!ピピッ!ピピッ!・・・・・。


心地よい眠りを切り裂くように午前6時15分にセットした目覚まし時計が鳴り響いた。

「うぅ・・・・眠い。。。。」

そんな思いを必死に振り払い、目をこすりながら、私はゆっくりと起きあがった。

ジョギングパンツとTシャツ、靴下をもって私はリビングにおりた。

「おはよう。」

妻と長男が、私の挨拶に応えてくれた。10分ほど前に起きたらしい。

私はゆっくりとパジャマから運動ができる服装に着替え、玄関へと向かった。

ジョギングシューズを履き、1kgの鉄アレイを両手にもち、耳にi-podを付け、スイッチを入れながら玄関扉を開ける。

午前6時30分。何とも言えないすがすがしい風と、私と同じような寝ぼけ眼の日差しが温かく包んでくれた。

あの東京の奇跡から約2ヶ月が経っていた。季節はもう秋である。ただ、季節は変わったけれど私は何も変わることなく同じように走っている。

大通りまで歩き、信号が変わるのを待ちながらストレッチを行う。青色に変わり、反対側にわたって、今から走る道をじっと見つめた。

大きく息を吸い込み、ゆっくりと足を進めた。

早朝にもかかわらず人通りは結構多い。大通りを進み、コンビニのある三叉路を左に曲がる。そのままゆったりとした上り坂を、これまたゆったりと走って行く。

登り切ったところでさらに左に折れ、いつもの公園に入った。

シンと静まりかえった公園内を走る。少し走ると野球場にさしかかる。今日はあまりに天気が良く、気分が良かったので、その野球場のベンチで少し休むことにした。

ベンチから空を見る。透き通ったような青い空が、私を包み込むように広がっていた。そっと目を閉じ、東京の日々を思い浮かべた。

いろんな想い出が、昨日のことのようによみがえる。まるで宝箱を開け、ワクワクしながら次々と宝物を取り出すように、その一つひとつが輝いていた。


一年前の悪夢、その悪夢を振り払うかのように始めた走り込み、自分の力を試すためのマラソン大会、仕事が終わってからの投げ込み、暑さに負けず必死で取り組んだ全体練習、監督の選手起用法への反感、1年ぶりの東京、東京で初めてのゴリとのバッテリー、ノリの力投、チームが一つになった瞬間、堂々3位への入賞、涙の打ち上げ、ともに語り、笑い、泣いた奇跡の3日間、そして、得難い経験と仲間達。


そっと目を開けた。空を眺め、去年も同じような青い空を私は見ていたのかもしれないと思った。ただ、気づくことすらできない自分だったのだろう。そんなことを静かな早朝のグラウンドで1人考えていた。

そして、自問自答した。

「おい、いつまで主将やり続ける気?もう、ええ歳やろ。それなりに結果でたし。ぼちぼち引き際ちゃうか?」

私は少し考え、

「そうやなぁ。そろそろ引き際やろなぁ。でも、まだまだ若いやつに負けられへんって言う気持ちと若手に任せなあかんって言う気持ちが交錯してるわ。」

と、そう答えた。すると、

「そうか・・・・、でも、すぐにとは言わんけど、近いうちに世代交代せなあかんのちゃうか?結構、うっとおしがられてたりしてなぁ。みんなはよやめてほしいって思うとるかもよ。おっさんの戯言は聞きたないやろし・・・・。」

確かにそうかもしれない。今年で38歳だ。いい加減、若手に任せた方がよいかもしれない。

でもせっかく軌道に乗ってきたところだ、ここで身をひくのも無責任ではないかと思う。

正直、そんな気持ちが大きく交錯している。何度も言うが今年で38歳だ。若い奴にバトンを渡したい気持ちは大いにあるが、同時にもうじき野球がしたくてもできない、若い奴らを引っ張っていきたくてもいけない年齢がやってくるという現実も見えていた。

もう、40歳だよ。。。ほんと、おっさんだよ。。。筋肉は衰えるし、体臭きつくなるし・・・・。

そう考えると、できる「今」を大切にしたいと思った。

「確かにおっさんやなぁ。もうじき40歳やもんなぁ。でも、もうちょっと自分が納得いくまでがんばってみよかなって思うわ。それであかんかったらきっぱり引くわ・・・・。ただ・・・・。」

「ただ・・・?」

「加齢臭を気にしながらな。」

そういうと、もう1人の自分は大きな声で笑いながら、あきらめた様に私の心の奥底に消えていった。


遠くの山々は、頬を赤らめるように徐々に紅葉を始め、本格的な秋の訪れを知らせていた。

涼しい秋が終わり、寒い冬になり、温かい春が来て、そしてまた・・・・。

次、東京で会う自分はどんな自分だろう・・・・・ただ、どんな自分であれ「熱い夏」にはしたい。

私はゆっくりとベンチから立ち上がり、「よしっ!」と、小さく声をかけ、また走り出した。

眼前に広がる道は、まっすぐ、そして永遠に続いているように感じた。



~ 加齢臭を気にしながら ~    = 完 =

翌朝、いつもよりゆっくり目覚め、いつもどおり築地市場で朝食を食べた。

そのあと、みんなそれぞれ荷物をまとめ、帰り支度をする。このまま実家に帰る者、観光して帰る者、そそくさと京都に帰る者。みんなそれぞれ新しい目的に向かって三々五々、散っていった。

私も帰り支度を済ませ、みんなに別れを告げて、定宿をあとにする。帰る途中、築地本願寺の本堂に立ち寄った。

中では勤行がつとめられており、私は椅子に座り、両手を合わせ合掌をした。その後、正面にある阿弥陀仏をじっと見つめ、おおきく息を吸い込んだ。

何とも心が落ち着く。

いろいろあったと、静かに目を閉じ、今までのことをゆっくりと思い出していた。

しばらくして、私は立ち上がり、出口に向かって歩いた。

出口の扉を開けると、強い日差しが目をかすめ、まわりが真っ白に光り、外が見えなかった。

そのまま、その場に立ちすくみ目が慣れるのをまつ、徐々に視界が戻るとゆっくりと築地の町が眼前に現れた。


明らかに去年の風景とは異なっている。なんか新しい築地(東京)が自分の中に生まれたような気がした。

いつか夢叶う、そう、この東京で。。。。。何とも言えないすがすがしい気持ちになり、重い荷物を肩に抱えると、私は家族の待つ京都へと向かった。


地下鉄に乗り、東京駅についた。東京駅はお盆休みに入っていたのか、すごい人だかりであり、京都までのチケットを買おうとしたが、直近の指定(禁煙)席はすべて売り切れであった。次の指定席を買うには夕方まで待たなければならなかったので、あきらめて自由席で帰ることとした。

新幹線を1本遅らせ、自由席車輌で席を確保し、よしよしと思いながら、ゆっくりと腰掛け、発車するのをじっと待っていた。

しかし、発車すると同時に乗客がたばこを吸い始める。なんで・・・?

そう気づいた時には遅かった。しまった・・・・この席、喫煙席じゃん。。。

今から席を探してもたぶんないだろうなぁ。。。かといって新幹線はもう発車したし・・・。

しばらく考えたが、2時間半もの間、この煙の中では耐えられないので、あきらめて立って帰ることにした。

新幹線の連結の所に座り込む。ほかにも多くの若者達が座り込んでいた。

窓の向こうの流れる町並みに目を向けた。去年の今頃は何とも言えない失意の中でこの風景を見ていたよなぁ。そんなことを考えながらフッと笑ってしまった。

私はおもむろに携帯電話を出し、チームメイト、特にこの東京遠征の実現に運営委員として、かつ悩んだときに相談にのってくれた数人に御礼のメールを送った。

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東京遠征は本当にありがとう。みんなのおかげで決してお金では買えない宝物をいただきました。

先日テンションが下がり、皆さんに私の愚痴を聞いてもらったことを恥ずかしく感じ、自分の浅はかさを痛感しております。

 < 省 略 >

いろいろ思うことはあるけど「変えよう」と思ったら、まずは自分が変わる努力をすることが重要だと痛感しました。

投手としては去年のままでしたが、主将としては少しはお力になれたのでは?と思っています。そして私の変わろうとした努力が、チームを変えたのかもしれませんね。

これからもおごらず頑張っていきます。末永いお付き合いをよろしく。本当にありがとう。

一言お礼がいいたかった。

もし、周りにメールを送ってない連中がいたらくれぐれもよろしくお伝えください。今はゆっくり休みましょう。では。

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この純粋にうれしい気持ちを伝えたかった。

間もなく京都駅に着く。


ついに「ありがとう」の言葉とともに、私の夏は終焉を迎えた。

打ち上げの盛り上がりはまだまだ続く。

引き続き場所を変え、2次会のカラオケへと突き進んだ。

ただ、私の声は全く出ない・・・・・。

開口一番、ゴリがすごい勢いで盛り上がる曲を歌う。それと同時にみんなヒートアップした。

カラオケBOXはすごいことになっていた。まるで火事になった動物園のようだ。

そんな中、監督とマツさんは驚きを隠せない。あまりの勢いのすごさに圧倒されているのだ。

私たちはヤンチャーズでなれている。ヤンチャーズの打ち上げはいつもこんなもんだし、静岡のチームIさんとの懇親会ではこれ以上の暴れぶりを見せる。

私も、声が出ないけど、エントリーした。ほとんど気持ちで歌う。ただ、かなりの盛り上がり様で誰が唄っているのか、誰がマイクを持っているのか、全くわからない状態である。

誰かが入れた歌を、みんなで大声で歌っているという状態である。

みんな唄いながら、笑いながら、踊りながら、楽しそうに過ごした。

それぞれ、思い切り唄いきり、時間も押し迫った。最後の1曲として、ノリが唄った。

その歌はモンゴル800の「夢叶う」だった。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


明日には夢叶う 夢叶う いい風が吹く
明日には夢叶う 夢叶う いい風が吹く

春夏秋冬 季節は変わり行く 僕らの進む道 己の中で風は吹く
周りへの優しさ忘れ 先立つ個人の主張
頼れない大人たちの好きな 意味のない価値観戦争
同じ土の上で なぜに人は殺しあう
お国の為に命捨てる そんな常識従うな 自分を信じて
何を急いで何競う 早々歩く大人たちよ 言葉の意味を知れ 我がもの顔で歩く大人よ
誰が作った当たり前 誰の目を気にし生きてゆく

勉強よりも何よりも素晴らしい友を作る 大切な人は後回し そろそろ気づけよおバカさん達
これが人の運命だと偉そうな言葉は胸にしまえ 守るほどの地位はない

明日には夢叶う 夢叶う いい風が吹く
明日には夢叶う 夢叶う いい風が吹く

親が子の道作りすぎて 夢持つ事を忘れた子 自分を責めないで
劣等感に怯えないで あなたには あなただけの大切な意味がある
重ね行く歴史は思い出 人は日々生まれ変わる 
僕らはどこかで間違った 下手な生き方を学んだ 人として生きる意味
明日には夢叶う いい風が吹く

人として生きる為 大切な何か忘れてる 小さな頃描いた夢は 今でも消えず心の奥
夢追うこと忘れたあなたを いつまでも優しく待ってる 現実の海に溺れ 常識に泣く暇はない
ありのままのあなたの姿で 好きな事をやるだけさ

 ~ 『夢叶う』 (作詞:Kiyosaku Uezu 作曲:MONGOL800 歌:モンゴル800) ~

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


良い歌だった。みんなノリの歌声に聴き入った。

考えさせられ、今の私たちにはとても説得力がある歌詞だった。

そしてこの歌を最後に、我々の夏は終わった。

ノリの唄った歌のように我々の夢もいつか叶う。必ず叶う。そう強く信じ、帰りの道ではみんなで遠くの空を眺めながらゆっくりと歩いた。そこには誰も知らない明日があり、さらにそのずっと先には優勝という二文字が見えたような気がした。

「明日には夢叶う」 そんな言葉を耳に、私は疲れ果てた体をいたわるように心地よい眠りについた。

美味しい料理と楽しい連中、つきない野球の話題、これ以上何が必要か。そんなことで宴は終わることを知らない。

野球談義の中では、監督がニシモが将来の4番だと言った。みんな興奮気味に「えぇ~!!」と叫んでいた。

でも、確かに今回の東京遠征で一番当たっていたのはニシモかもしれない。ま、我がチームにはノリとリョウタという大学野球経験者もいるが、それは別として、今回のニシモの神懸かり的な活躍には驚いた。

その後、監督の話しの矛先はハマと私に向けられた。

私とハマは「やばいっ!」と思ったものの、逃げる場所がなかった。(笑)

ハマについては、あまり打てなかったのと、少し失策が目立ったことについて言われた。私については、言うまでもない、マウンドでのノミの心臓のことを言われた。

でも、同じように指摘され、話題にされても、ハマは誰知らぬ顔。私は深刻に受け止めてしまう。

みんながそれを見て言う「ハマはポジティブ。キャップはネガティブ。二人を足して2で割ればベストですね。(笑)」この言われようはどうか・・・・正直、言葉がない。

そんな話を聞きながら、私とハマは悔しそうに笑いながら目を合わせ、「来年はやったろな!」と、密かに誓うのであった。


本当に楽しい時間だった。しかし楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

時間もだいぶ経ったので閉めることとなった。最後に監督から一言をいただいた。

「本当にお疲れさん。そして、本当に感動をありがとう。東京に来る直前、キャップからのメールがあった。そのメールのとおり、ほんまにみんな一つになって、ようここまで戦った。キャップもよくやった。みんな、ほんまにようやった。ありがとう。」

あまり監督から褒められたことのない私にとって、その言葉はたまらなくうれしかった。その直後、私の目から溢れんばかりの涙がこぼれ落ちた。もう、耐えきれなかった。今までの苦労とうれしさとが一気に押し寄せた。昨年に続き、年甲斐もなくボロボロと泣きまくっていた。

私に釣られてか、ゴリも、ヒデキもノリも泣いていた。みんなみんな涙を流していた。

監督が言う「こら、ここで泣くな。優勝まで涙はとっとけ。」そう、うれしそうに語っていた。

その後、締めとして「キャップからのひと言」と言うことになった。

正直、最後にみんなにお礼を述べたかったし、言いたいことはたくさんあった。しかし、声がまともに出ない上、気持ちばかりが高ぶり、言葉が上手に出てこない。しかし、私は涙を拭くのも忘れ、みんなにこう伝えた。

「本当にありがとう。こんな主将でしたが、みんなのお陰で何とか勤め上げることができました。しんどい練習や試合・・・・いろ・・んなことが・・・・思い出されます。」

一気にいろんな思いが蘇り、涙がボロボロと出てきて、言葉にならない。でも、私は必死に言葉を続けた。

「最後に・・・・、これだけは・・・・言いたいし・・・・胸を張って言えることがあります。」

そういったところで私は息を吸い、呼吸を整えた。


「このチームの主将であることを誇りに思います!」


そういって、私の言葉を終えた。泣き虫キャプテンの心からの素直な気持ちである。

このとき、苦しかった想い出が、みるみる良き想い出に変わっていった。

やって良かった。がんばって良かった。ありがとう。本当に、本当にありがとう。

その言葉しか思い浮かばない。

野球談義が盛り上がる中、突然かわいいバースディケーキが運ばれてきた。築地のマグロやゲソ天がならぶ。あまり似つかわしくないテーブルにだ・・・・。そう、今日はマネージャーの1人、ワカマサの誕生日だったのだ。粋なサプライズ企画である。

そのケーキを見て、当のワカマサは驚いたように、うれしそうに笑っていた。

その後、ケーキのローソクに火をともす。その炎はユラユラと、はにかむように灯っていた。すると店員さんが店の電気を少し暗くしてくれた。

顔を真っ黒にした野郎どもが、だみ声でバースデーソングを唄い、ワカマサが一気にローソクの火を消す。何とも焦げ臭い臭いが立ちこめたが、他のお客さんも誰1人文句を言うことなく、むしろ温かく一緒に祝福してくれた。

みんなの笑顔は最高で、まるで自分の誕生日のように、かつ最高のプレゼントを手にした子供のように、本当にうれしそうに笑い、そしてワカマサを心からお祝いしていた。

選手1人1人がグラウンドで戦った。でもマネージャーがベンチで私たちをしっかり支えてくれたから、試合に集中でき、戦い抜くことができた。その事実は誰もが心底感じていることである。この日にマネージャー全員が集まれなかったのは残念であるが、マネージャーに対する感謝の気持ちは大きかった。

本当にありがとう。


改めて全体を見渡した。楽しそうに笑い、語っていた。

そして、だれ1人自己主張せず、誰かが誰かを讃え、みんながみんなをいたわり、感謝を述べあい。最高のメンバーが集まっている。

ふと横を見るとヒデキが目頭を押さえながら、「キャップ。最高のメンバーです。私うれしいです。最高や。最高や。」そういいながら涙を拭いていた。

そしてその後、私はヒデキに言った。「それにしても、本当にチームが一つになったよな。ほんま、すごい強かったな。」

そういうとヒデキは胸を指さしながら「キャップ、野球はほんまにここ(心)でするもんですね。」そう、いった。

同感である。まさにその通りだ。確かに速い球を投げたり、遠くに打ったりいろいろあるが、心が一つになるほど強いことはない。みんながみんな、一寸狂わず同じ方向を見定め、それに向かって突き進んでいた。

そして、その中にはお互いがお互いをいたわり、1人はみんなのために、みんなは1人のために一生懸命戦っていた。だれ1人疑うことなく、そこには「信頼」という言葉があった。


私はいつも思っている。この関係を、この思いを野球だけにとどまらせてほしくない。大学職員として同じ仕事をしている連中が、たまたま野球を通してこの一時を共有しているだけなのだ。

だから、この思いは野球がなくても共有できるはずだし、共有するべきであると思っている。

野球以外でもきっとこの連中はどこかでつながるはずだ。そしてこの「つながり」を知っている者が中心となり、さらに大きなつながりを作ってくれるはずである。

こんな私も今回の「つながり」以外にも、たくさんの深いつながりをもっている。それは「信頼」という言葉で強く、強く結ばれていて、どんなことがあっても切れることがない強固なものである。

メンバーのみんなには、今回の経験をただ単に良き想い出とするのではなく、さらに貪欲に様々な場で、野球以外のツールで、たくさんの人を巻き込んで活躍して欲しいと願う。

そして大学の中でそんなつながりがたくさんできた時、我が大学は最高の、最強の大学になれるはずだ。

そんなことを、みんなの笑顔を見ながら考えていた。

ヒデキと一緒にこの東京遠征を振り返った。

特にヒデキは第1試合での私とゴリのバッテリーのことについて触れた。

ヒデキが言った。私が投手をしていて1死3塁になった時のことである。

「(大量得点差があったので、)ベンチから定位置にさがれって言われたでしょ。でも、私はいやでした。なんたって絶対に点はやりたくありませんでしたから。だって、ここまでこれたのもヤンチャーズのお陰で、そのヤンチャーズを作ろうって言ったのはキャップで、引っ張ってきたのはキャップとゴリさんのバッテリーですよ。そのバッテリーが東京で投げている。私は何が何でも得点させたくなかったんです!だから、ベンチの指示に従いませんでした。」ヒデキは涙を浮かべながら、熱く語ってくれた。


思い起こせば9年前、この職員野球部がほとんど活動しなくなった時期である。詳しくは言わないが、今、職員野球部を引っ張っている中心選手の多くは、職員野球部で理不尽な思いをし、職員野球部を去っていこうとした連中が多い。

その後、ヤンチャーズを作り、その中で活動を続けてきた。その結果、再度集まり、一つとなって5試合を戦い抜いたのだ。

さらにヒデキは言った「キャップの一声がなければ、ここにいるメンバーは集まらなかったし、キャップじゃなければついてこなかったと思います。」

もったいない言葉である。私はあまり引っ張ってきたという気持ちはない、むしろみんなに背中を押してもらった方が多いと思う。

ただ、これだけは言える。9年前、職員野球を楽しいものに変えたいと思ったが当時の現状を考えたら、どうしようもなかった。でも、そのまま引きさがるのも嫌だった。だから私は思いを変え、それなら現状が悪いと愚痴を言う前に自分の力で変えてやればいいんだ!と、そう思いヤンチャーズを作った。

ただ、先にもふれたようにヤンチャーズの活動を続けていくのも並大抵ではなかった。

しかし、こうして今、みんなの楽しそうなすがすがしい表情を見ていると、本当にがんばって続けて良かったと思うのである。

ヒデキやナベさん、ハマ、チンパン、ツバキ、ゴリなどはヤンチャーズ設立当初からのメンバーである。私が投手をすることによって、設立当初の様々なことを思い出すのかもしれない。だからこの連中は私が投げて、ゴリが受けると言うことに執着するのかもしれない。

こうしてヒデキと話をしていると、私のようなノーコンでも、投手をする意味が少しでもあるような気がしてきた。

私が投手をすることにこだわる連中・・・・この連中は9年前の職員野球部崩壊の時から、私を投手としたへなちょこチームで、ともに苦労を重ねてきた連中である。

だから、特にいろんな思いがあるのだろう。こうしてヒデキと語るまで、そんなことを考えもしなかった。

そういやゴリは、第1戦で私を先発起用しない監督に対して怒りをあらわにしていた。

私としても初戦はノリと決めていたので、特に驚かなかったが、ゴリにとっては私以上の思いがあったのだろう。だからヒデキも私とゴリのバッテリーが実現した時、涙を流すほど、喜んでくれたのだと思う。(ただ、その喜びに応えることができなかったのが悔しいが・・・・。)

そう考えると、本当に私は生かされている。こんなにすばらしい連中がまわりにいたからこそ、今日の栄誉があるのだ。


話は変わるが、私は「変えたい」と思って取り組んできた。しかし振り返ってみると、その前に自分自身が変わろうとしていたのかもしれない。走り込みや投げ込み、自分から1歩を踏み出してきた。その姿が少なからずみんなに影響を与え、チームを変えていたのなら、これほどうれしいことはない。

ただ、自分自身が変わるのにも決して私1人の力ではやり遂げられなかったであろう。チームを「変えよう」としていた私自身が、ここにいるみんなの力によって「変えられ」、そしてその結果がチームを「変えた」のかもしれない。

大事なことは、まずは変えようと思うこと、そして勇気を持って1歩を踏み出し、その次に自分が変わろうとすることだ。そしてその行動は自分を離れ、気づかないうちにまわりに大きな影響を及ぼす。そして1つの力が2つになり、2つが3つ、3つが4つと、気がつけば数多くの力が一つになっている。そう、痛感した。


「世界に変化を望むのであれば 自らが変化となれ」(マホトマガンジー)

「世界を動かさんと欲するものは まずみずから動くべし」(ソクラテス)


世界の偉人が言っていた言葉を改めて痛感した。

与えられた環境に文句を言う前に、動くこと。でもそのためにも、心の底からつながる「仲間」の存在は欠かせない。

この東京で、また後輩達にこんなにすばらしいことを教えてもらった。

この東京で初めての閉会式に参加した。今まで閉会式に参加することさえできなかった。

そして我が大学に奉職して15年。ずっと野球をやってきて、こんなにすがすがしい、最高の気分はない。

運営スタッフから、各大学から3名出てほしいとの依頼があったので、私、監督、ゴリの3人が代表で表彰を受けることになった。

監督は賞状、私はカップ、ゴリは副賞をそれぞれ手にした。小さなカップだったが、何よりも重く、美しく感じた。

優勝はK大学。準優勝は準決勝で敗れたN大学。そして我々が3位であった。

表彰式終了後、賞状やカップをもってみんなで記念写真を撮った。この1枚は間違いなく私にとって最高の宝物になるであろう。

過去(20年近く前?)に我が大学は準優勝を経験している。それ以来の入賞である。またその際は高校・大学の野球経験者も多く、戦力的に高いレベルにあったと思う。たぶんその時のチームと今のチームの戦力を比べると大きな差があり、かなり低いレベルであると思う。

しかし、しかしだ、今回の東京遠征で感じたことがある。野球は腕や足でするもんじゃない、「心」でするもんだ。

9人の心が一つになった時、予想以上の力を発揮することができる。そして、ベンチを含んだ全員が一つになったとき、さらに力は増し、勝ち続けることができるのだ。

そう考えると、我々は誰にも負けない、最高のチームではないだろうか。

着替えながら、メンバーからは底抜けの笑い声と笑顔が溢れていた。それを見ていると、また涙が溢れそうになる。

最近は本当に涙腺が弱くなってきた。困ったもんである。日々、歳を取ったことを感じてしまう。


着替えを済ませ、タクシーにのり、いつもの帰路をたどった。上野駅でツジ課長とヨッシーが所用のため、先に帰ることとなった。

再度御礼を言い、しっかりと握手をした。昨年、ツジ課長とリベンジを誓いながら握手をしたことを昨日のことのように思い出した。

宿に着き、その後みんなで風呂に行って体も心もすっきりし、ひと息つく暇もなく、打ち上げ会場に向かった。


打ち上げ会場はいつもの居酒屋であった。相変わらず大入りである。魚が美味しく、料金が安いとなれば、この理由もわかるというものである。

全員がそろい、監督の「感動をありがとう!お疲れさん!」の一言で宴が始まった。とてもシンプルな言葉であったが心に残る一言であり、私も同感の気持ちであった。

宴も進み、私は向かいに座っていたニシモに今日の3位決定戦での活躍を讃えた。ニシモの本塁打やファインプレーが無ければ、勝ちでこの遠征を終えることはできなかったと伝え、心から御礼を言った。

しかし、ニシモは私に向かって

「こちらこそありがとうございます。でも、キャップのプレーがなければ、もっと早くに負けていましたよ。ベスト4がかかった試合での、キャップのダイビングがみんなに火をつけました。間違いないです。それからその後の2塁打、あれで流れは一気にうちにきました。キャップがいなければ、勝ててませんでした。」

と、こんなもったいない言葉を頂戴した。

ただ、あのときのプレーは正直あまり覚えていない。ただただ、ノリのがんばりに応えて取りたい!・・・・・・、そう思ってボールを追いかけ、次に気がついた時は後逸したボールを追いかけていた。

結果、2点取られたものの、もしあのプレーで少しでもみんなの気持ちに火がついたなら、とても嬉しい。現に一人、そう言ってくれる者がいたんだから、救われた気持ちになった。

そしてその後、となりにいたヒデキと話した。

ヒデキからは、さらに熱い思いを、ヒデキの野球に対する、ヤンチャーズに対する、そして私に対する思いを聞くことができた。

私たちの熱く、楽しい夜は、勢いを増していくのであった。

打球はライナー制であり、容赦なくぐんぐん伸びていった。

しかし、打球のその先に必死に打球に向かって走る男がいた。

左翼手ニシモである。

疲れたボロボロの体に鞭を打ち、必死で打球を追いかける。迷うことなく打球につっこんできた。

「ニシモ、頼む。」私はベンチからそう願うしかできなかった。

ライナー性の打球に、迷うことなくニシモがつっこんでいった。


バシッ・・・ッ!!!


捕った、確かに捕った。死守したニシモがそのままガッツポーズをする。それを見てナインも飛び上がり喜ぶ。私も大声を張り上げ、大きく飛び上がった。

「勝った!勝ったんだ!3位だ!3位になったんだぁ!!!!!」

我がチームのベンチ前は歓喜の声で包まれた。全員が全員と抱き合い、みんなは1人のために、1人はみんなのために。誰がヒーローでもなく、誰もがヒーローだった。

短いようで長かった3日間。5試合をボロボロになりながら、必死で戦い続けた選手達の瞳から溢れんばかりの涙がこぼれていた。

私は、ノリに近づき、涙を拭くのも忘れて抱きついた。言葉を探すが、適当な言葉が見つからない。

「すまんかった・・・・・。ありがとう。ほんまにありがとう!」そう、言うので必死だった。

ノリは「大丈夫です。ありがとうございました。」と、そういってくれた。

マウンドのまわりから、ベンチのまわりまで、我がチームの歓喜に満ちあふれた喜びの声が響き渡っていた。

ノリ、ゴリ、ヒデキ、リョウタ、ハマ、ナベさん、チンパン、ニシモ、ツバキ、マツさん、ツジ課長、ヨッシー、そして監督、それぞれと抱き合い、勝利を喜んだ。(さすがにマネージャー二人には抱きつけなかった・・・・。)

1年間、必死で練習を行い、試合を行い、メンバーと語り、笑い、議論を交わし、そんな想い出が一気によみがえる。なかなか涙が止まらない。

その後、監督を胴上げし、夢のような一時を実感した。

東京の地で監督が宙に舞った。負けての胴上げではない、最後まで戦って、そして勝っての胴上げである。

その後、整列を行い挨拶をし、お互いの大学がそれぞれを称え合いエールを交換する。ボロボロだったが、「勝利」という二文字が我々の疲れを吹き飛ばしていた。勝利という魔法の味を痛感した一瞬だった。

ついにすべて終わった。最後の最後までこの地にいることができた。この歳になって、初めて「勝利」で東京遠征を終えることができたのだ。


その後、閉会式があるということで、向かいのグラウンドへの招集がかけられた。

それぞれ足を引きずりながら、重い荷物を持って閉会式の場所に向かっていた。

私の目の前に監督が歩いていた。私はかけより、一言声をかけた。

「監督。最後までダメピッチャーでした・・・・・すいません。チャンスをいただいたのに、応えることができませんでした。本当にすいません。」そう、謝った。

監督は、じっと遠くを見たあと、私の方を振りむき、首を振りながら「いやいや・・・・・。」と、それだけ応え、また遠くを見た。

そのあと、「表彰式、お前が代表ででろ。」と、そう言い、その後、二人でならんで歩いたが、一言も会話をすることはなかった。

遠くから、夏の終わりを告げるように、蝉が最後の力を振り絞って鳴き続けていた。

その声は、何とも力強く、そして優しく、我々の戦いを賞賛しているように聞こえた。

もう、両チームとも選手はボロボロだった。立っているのがやっとの状態であろう。

みんながみんなに声をかけ合い、その声で何とか持ちこたえているという状況である。

そんな中、両チームとも選手が必死で戦い、5回はお互い譲らず0点で終了した。

6回表の我々の攻撃。先頭3番のリョウタが2塁ゴロ、4番ノリが投手フライで2死となった。

続く5番のニシモが、これまた左翼に超特大のフライを放った。しかし、ここはさすがC大学である。先ほどの本塁打の経験を生かし、今度は大きく深めにポジションをとっていた。しっかり捕られ惜しくもアウトとなってしまった。

6回裏の攻撃が始まる前、審判が一堂に集まり、何か相談している。どうも時間の関係上、この回が最終回になったようである。・・・・・と、言うことはあと3人打ち取れば私たちの勝ちとなる。

しかも得点は8-4で4点の大量リードである。

その最終回、先頭8番と9番を簡単に打ち取り、とうとうあと1人と言うところまできた。しかしここから勝利の女神のいたずらが始まった。

1番に返り、右翼線に安打を放たれ出塁、すかさず盗塁を決められる。その直後2番も安打を打ち1点返され、8-5。その2番も盗塁を決め、2死2塁となったところで、なんと2塁走者が3塁に盗塁をしたのだ。考えられない攻撃である。

すぐにリョウタが三塁に投げたが、これが悪送球となり走者をそのまま返してしまい8-6となり、点差は2点まで追い上げられてしまった。

ノリにも動揺が走る。3番に四球を与え、さらに盗塁を決められ、2死2塁としてしまった。4番打者を迎えた。暑さと疲労から選手の集中力・体力は限界に来ている。

なのに私はベンチで選手を見守ることしかできない。少しでも力になりたい。私は届かないしわがれ声で必死で声援を送る。

1S1Bからの3球目、打球は3塁ゴロとなった。しかしここで3塁のハマが失策をしてしまい、その間に走者が3塁に進塁した。

悪い流れは連鎖するものだ。2死1・3塁のピンチとなってしまった。

しかし、4番を迎えた時、ノリのテクニックが冴え渡った。牽制で1塁走者をおびき出したのである。この選手をアウトにすればそこで試合は終了である。

1・2塁間に挟まれた1塁走者は、開き直ったのかそのまま2塁へ突進する。ノリはすかさず2塁へ投げた。

しかし。。。

遊撃手ヒデキと2塁手ナベさんが2塁カバーに入ることができない。もう体が反応しきれないのだ。

そのまま、球は中堅前に転がる。それを見て3塁走者が生還、さらに後逸を見て2塁走者も3塁へ進塁した。

ついに得点は8-7の1点差となってしまった。振り返ると、ニシモの本塁打がなければ、ここで振り出しに戻っていた。

大量得点差をつけていたときの本塁打で、貴重な1点とは思わなかったが、ここに来てこの1点の重みを痛感していた。

試合の方は、絶体絶命である。こうなれば目の前の打者を打ち取るしかない。

しかし、マウンド上のノリもフラフラである。ノリだけではない、グラウンドにいる9人、ベンチで声援を送っている私たちも同様だ。

しかし負けない、いや、負けてはならない。このときのために暑い中、必死で練習してきたのだ。その気持ちが伝わったのか、みんなは1人のために、そして1人はみんなのために、フラフラになりながらも必死で戦おうとしている。

最終回、8-7の1点差、しかも2死3塁の大ピンチ。

勝利の女神のみがこの試合の結末を知っているのだろうか、いたずらにもほどがある。


ノリが対する4番打者をにらみつける。追い込んでからファールで粘られた2S2Bからの6球目、シンと球場は静まりかえり、ただ、セミの声だけが異様に大きく聞こえる。

「いよいよ最後の1球だ・・・・。」直感的にそう感じた。

ノリがゆっくり振りかぶり、我がチームの全勢力と気持ちを乗せた1球が、今、ノリの右腕から投げ込まれた。

打者も、最後の力を振り絞り、思い切り振り切った。バットは打球を完璧にとらえ、左翼線にライナー性の強い打球を打ち返した。

その瞬間、C大学のベンチが大きくわき上がった。

「あぁ、、、抜けた・・・・。」直感的にそう思い、私は絶望のまなざしで打球を追いかけるのであった。