手術なんていう一大事 | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

どんな手術でも、一大事なはずなのに

ブログを読み返すと


へー、そんな感じだったっけって思うくらい

詳細を忘れている。


書いといてよかった、って思った。



ほんとうに忘れているから。




でも、なんだかんだなんだかんだなんだかんだあって


手術して、手が動かなくなり

それは、今でも動かない。



とはいえ、見た目的に手も残り

切断はしないで済んだ。



普通、溶連菌って

傷口から入ったりして

体内で毒素を出し始めると

性質が変わり

肉体を食べ始めて増殖しだし、

繁殖した部分は切り落とすしかなくなる。




わたしは、菌が入る傷口がなかった。



どこから入ったのか分からなかった。




でも、思い返すと



昔からの習慣で炭水化物は食べない

夜中に高強度の運動をする



そんな変な生活を続けていた。



熱が出るけど、次の日には下る。



風邪のような症状もない。



いつもそうだった。



明らかにケトン体代謝で

身体が臭い。




がんばらなければならないっていう呪縛みたいなもののお陰で


溶連菌に負けて、

休まざるを得なくなった。




人は不思議で


体力を落とすわけにはいかない、と食べても食べても体重は減った。



ケトン体代謝だからだ。



糖新生。




糖新生を利用して、糖尿病対策をしたり

痩せたりする方法が流行ったりしたけど



実際、ケトン体代謝になると



良いことはなかったなー。




死ぬ寸前、もしくは、

腕を切り落とす手前、ですからね。







普通に食べよう



普通に休もう。



そう思った。





糖新生が多かった頃は


階段が、二段しか上れなかった。



二段登っては息を整えて、腿の上に手を置いて

腰を曲げて階段の端で休む。




そんな状態でも


地下一階から8階まで



入院中でも、階段を登って体力を落とさないようにしていた。




思うに、


何かを頑張ることにより


何かを感じないように、見ないようにしていた気がする。



それは、今でも変わらないけど




どうせいつか死ぬんだもの。




もっと楽でもいいのにね。





自分にも言ってるけど


実家の家族にも言ってあげたい。





嫌な思い、不平不満、愚痴、悪口、


ずっとそれにまみれて



疲れない?



何を手に入れたいの?




手に入れれば心はおだやかになりますか?




私達みたいな家族って




この世から旅立つ時に



あぁ、これで、もう頑張らなくていいんだって




やっと、やっと

心が落ち着くのだろうね。




まぁ、それでもいいかなって思えるようになっただけ、私も少し成長したかな。






私もそうだけど

もうだめだだめだ、

と大騒ぎを繰り返し

もう死ぬ死ぬ、と言い続けても


母は普通に生きている。






ありがたいことよ。





なんだかんだ言って




ありがたいことよ。




お互いにそう思えたらいいのにね。