病人になっても太陽 | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

自宅で癌摘出手術後の養生をしている母に1週間ぶりに会いに行った。


 28日に癌の精密検査をした父の検査結果も知りたかった。 

 精密検査の結果はまだ出ていなかった。





 行ってみると

 いつもの 

看病に疲れて弱り果てた健康な父と 


ベッドから起き上がれないほど弱っているのに悪態ばかりつく、強気な病人の母だった。




 母は、父親がおかゆが作れるようになったこと作ったおかずが不味いということ 


 ごはんを母の側に置くとすぐに父親がどこかに行ってしまうのでさびしい、ということを言った。 





 ほんとうに口に出して 

「 寂しいやね」 と言った。




 結局、あまりに構ってもらえないことへの反撃としていつも父の行動に文句を言っているような気がする 。




私が母の側でいつもの悪口を聞き始めた頃、弟が現れた。 

 いつも、このタイミングで現れるので約束でもしたのか、と母にいつも聞かれるがほんとうにいつもたまたまだ。




 弟は毎日、朝と晩に実家に来て

 母のベットの隣にあるオマルのお掃除をする。 

 母が食べたもののお皿を洗う。 




 毎日、毎日。



 母は私に 「あの子は、ここにきても何も話さない」  と言う。


 愚痴とまではいかないが男の子だから喋らないからつまらない、といった感じだ。 





 愛情って言葉にしないと見えないかな?





 笑わない母親 

褒めない母親 

優しくない母親 


 それでも、弟が父が、母を看病するのは母の自分たちに向けた言葉になっていない愛情を感じていたからだろう。


 病人だからそばにいるんじゃない。

 母だからそばにいる。



 そういう感情を母が感じてくれたら優しい空間ができるんじゃないかな。




「 悪態をつくことが母の仕事だから 」と笑いながら父が言った。





 母のために仕事を辞めた父の言葉。 





 すべてが母中心に回っている家。




 でも、これはずっと昔からよね。




 母は強いの。 




 そして、太陽なの。