心の距離感とは | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

母が退院して
家に帰っできてから、それこそもう何十年ぶりに家族が揃った。 




 そこで、気がついたことがある。 




 物心ついたときから 

母の手は常に弟に繋がれていて 

 母と手を繋いだ記憶はない。 

 父は子どもに暴力は振るわなかったが
お風呂に入れたりごはんを食べさせたりは一切せず 

 おむつは汚いし子どもが手を付けたものは絶対に食べなかった。 



 ごく一般的に想像する親の愛情と言うものを私は、知らない。 

 とはいえ、少なくとも
弟は記憶が残る年月まで母と手を繋いだりしていたはずで 

 私とは
母への心の距離感がは少し違う感覚なのではないかと思っていた。






 家族が揃うと母は私を見つけ
私に一生懸命、愚痴をこぼす。泣き語を言う。


 私は、それを母のベッドに座り

誰より近くで聞く。


 母のシワシワの腕を触る。


 食べられなくて凹んだお腹をさする。 


 


 母は、わたしに親の顔をしない。

友達のようにいつも接する。 

 母親の顔をしない母に寂しさを感じたこともある。 



 でも今、声の出なくなった母は 

私を見つけて

ひたすら話す。

 ただひたすら話す。



 他の誰でもない。



私に話す。 



 体力はなく、声にならないかすれ声で


何を言ってるかよくわからないが

私は、うなずいて相槌をうつ。





 私は、気かついた。 




 家族の他の誰にもしない。

 母は私に

愚痴をこぼすという
心のつながりを示す。




 おそらく他の家族には聞き取れない。





 母の、言葉だけをひたすら拾ってきた 。


母もそんな私にだけ言葉を放つ。






 私にだけ向けられた愛情もあったのだと気がついた。