およそ一ヶ月前、胃と肝臓の癌を摘出した母は、術後のリハビリも兼ねて地元の病院に入院している。
そこは、平日14時から16時までしか面会ができないため、
私が面会したのは、二日前の月曜日だった。
もともと肥満の母だが食べられない時期が続きガリガリになっている。
面会に行くと
弟も来ていた。
母に頼まれてスイカを持ってきた、と言う。
仕事を抜けて来ていた。
様々な大きさに切り分けられて
小さなタッパーに
一欠片
二欠片、と母が食べられる量を考えて
一口大に切られて
保冷器の中に入れられていた。
40過ぎの男が、
母のために
スイカの皮をむき
実を切り分け
タッパーに入れて
保冷器で運ぶ。
仕事を抜けて、母に会いに来る。
その愛情を母は受け取れない人だ。
持ってきてくれた感謝ではなく
病院の食事がまずいことを愚痴ることが頭にある人だ。
私の顔を見ても
看護師さんの悪口と病院への不満をひたすら繰り返す。
後は、父の悪口だ。
母の言葉を全て信じていた私たち子どもにとって
父は悪い人で
母は可愛そうな人だった。
それは、あくまでも母の意見だと気がついたのは大人になってから。
結婚して家を出たので
弟がどう感じているのか
具体的に弟に聞いたことはない。
弟と二人になるのももう、何十年なかった。
母がリハビリで一旦、病室から居なくなった時
弟と二人きりになった。
愚痴ばかりの母を寂しく感じているのではないか、と
弟に聞くと
「 まぁ、そういう人だから 」そう言って笑った。
「 ストレスを自分で作る人だから 」そう続けた。
なんだ、知っているのか
とホッとした。
こちらがいくら心配したり励ましたりしても母には届かない。
母から母親らしい言葉をかけられたことはない。
それを、寂しいと感じているなら
私と同じように弟も
永遠に埋まらない穴のような物を持っているのではないか、と思っていた。
でも、弟も知っている。
普通のお母さんではない。
不平不満、悪口、愚痴しか言わない母親 。
でも、
そんな人でもいい。
私たちは愛されていないわけではない。
母の不器用なへんてこりんな愛情は
私達に届いていた。
不平不満しか心にない人、
それを逆に寂しくはなかろうか、と母の心を心配するほど
弟も母を大好きだ。
弟の愛情もいつか母に届きますように。