非人道的な人体実験が
まだ普通に行われていた頃
生まれたばかりのあかちゃんに
ミルクを与えたり
おしめを変えたりはするが
一切、話しかけない
交流を持たないで育てると
人は何語を話すか、という実験が行われた。
親の愛情を一切受けずに
育てられた子は
全て死んでしまった。
何度繰り返しても同じだった。
人は
そういう生き物だ。
小学に入るまで
わたしは、
人に感情があること、
心があることを知らなかった。
人は、テレビの中の誰かの真似をして毎日生きているのだと思っていた。
男の子のいじめを嫌がって泣いている同級生の姿を見て 「この子は、本当に嫌がって泣いているのか! 」と気がついた瞬間の
ガーンと頭を殴られたような感覚は50年近く経っても忘れられない。
私の父も母も
子供を抱っこしたり
褒めたり、
あやしたり、
そんなことはしない人だった。
父に限っては
手を繋いだこともない。
当然、そんな私なので 「可愛いね〜」なんて親に言われたこともない。
褒められたことがないのだ。
なので、
何かの間違いで 「かわいいね」などと言われると
「 バカにしてる! 」と心底思う。
親にも与えられたことのない言葉。
脳に入ってない知識だ。
とはいえ、
女の子同士が
褒めるときに 「カワイー! 」と言うのは
本当の見た目の可愛さを褒めているわけではないと知ったので
褒め言葉の一つとして
受け止める事が出来るようになった。
感情形成の時に、
私は、
温かい感情を見ることができなかった。
なので、そんなものは、持ち合わせてはいないのだ。
なのに、不思議だなと思う。
母には笑っでもらいたいと思って生きてきた。
子供の宿命なのか。
感情欠乏症。
そんな私だ。
そんな私でも、いつか心底笑える日が来るだろうか。