すれ違いの多い夫婦とは2 | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

今でこそ、暴力は振るわなくなったが 

父はごく最近まで、警察を呼ばねばならないほどの恐ろしい爆弾男だった。



 何がきっかけかわからないが 

身体の動かない母につかみかかる。



母は、 過去にずっと殴られていたので
その時の恐怖が蘇り、

父が、キレると
警察を呼ぼうとする 。




 そんな、仲の悪い夫婦だ 。



 思えば
ずっと二人は

すれ違っていて 

 家族の前では一切笑わない母は
若い時は、

外ではよく笑い 

愛想が良く 



 逆に父は
変わり者で
世渡りが下手だったため、 

父の世間への橋渡しのような存在だった。



 当然、その頃は

父が

自分には持てない社交的なものを持った母を 束縛し

専業主婦を義務付け

 会社から帰ると
お茶のみ茶碗を持っては 

家の中で母を追いかけ回し

 口からツバを飛ばしながら

ずっと、母に話しかけていた。



 そんな、付きまとう父を母は嫌がっていた。 





 私が、高校生の頃に母が体調を崩し

太陽のような母が
暗く寝込むようになると


父は、母を煙たがり


 逆に病弱になった母は、

そばに寄らなくなった父に不満を漏らすようになる。



 その頃から、母は父に諦め


 両者、そばに寄らず 

寄れば、喧嘩になり、
喧嘩は時には、警察沙汰になりそうになる。 




 そんな関係が
もう何十年続いただろうか。



 嫌いあっている。


そういう父と母だった。 






二人が仲が悪いからではないが、

 うちの家庭には

挨拶がない。




 おはよう、おやすみ、ただいま、
ごめんね、ありがとう、


など、一切ない。



 とくに、ありがとう、は


父も母も
自覚はしていないが

一番ほしがっている言葉のくせに


人には絶対に言わない。 




 ずっとそうだった




 癌になり

母は、今までのように
自分を毛嫌いするであろう父に敵意を剥き出しにし、

父は


自分に牙を剥く母に対して


 それでいいから、生きてくれ、と


別人のようなことを言い出している。




 これが、いつまで続くかわからない。



 家に帰れば母の面倒をみることに疲れ、また、暴力男になるのかもしれない。




 でも、もし、入院中の母が退院して


 父が、自分の面倒をみてくれるとわかったときに


 母は、


初めて、父に


ありがとう、と言うのかもしれない。




 すれ違いが、終わる日はその時かもしれない。