75年間のイヤイヤ期 | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

胃がん切除手術後、今日で5日。 


 母に頼まれ事をされたのでその荷物を持って面会に行った。 


 ちょうど食事の時間で重湯とコーンスープが運ばれた。 


 ほとんど手を付けなかった。 


 少し食べると、痛い、と言ってお腹を押さえて苦しそうに目を閉じた。 


 ずっと食べていないんだ。無理もない。 


 でも、食べないと痩せていってしまう。 


 無理に食べたほうがいいのか、それは、わからない。 


 苦しそうな姿を見ると食べたほうがいいよ、と声をかけることができなかった。 





 ずっと前から、思っていた。 


 わたしは、40歳くらいまで 母のために生きてきた。 


 母は、誰かのためではなく誰のためでもなく いやいや75歳まで生きている気がする。 


 今日の重湯を食べない姿を見ても思った。 



 食べたくもない。生きたくもない。 


 でも、生きなきゃいけないから生きている。 



そう感じる。 



 これは、全てに当てはめる。




 掃除もしたくないけどしなきゃならないからする。 


 子育てもしたくないけどしなきゃならないからする 。


 病院に行くことも、テレビを見ることも何もかもしているすべてがしたくないけどしなきゃならないからしているそう見える。 



 今回も、せっかく、手術ができたのにまるで生きようとしていない。



 でも、不思議だ。 



 そうなのに自分の身体の変調には人一倍、気を使い何より気にする。 



 病院に連れて行こうか?というと今までは、通いきれないからいかない、といい、どっちなんだよ?と思うことしかなかった。 



 うまく説明できないが、本当に自分のことなどいなくなればいい、と思っているなら自分の身体のことなど気にもしないだろう。 



 自分で気がついているかわからないが誰より、生きたがっているんじゃないか、と感じていた。 



 自分の体の不調を毎回、毎日、何回でも永遠に話をする。 



 手術を終えてもそれは変わらない。 



 生きていることの感謝みたいなものは一ミリもない。 



 でもさ、生きたかったんだよね?うまくは説明できない。



 母は今年で75歳。 



 実の母に頑張りを認めてもらえず優しくされず人への愛情表現を知らず長い長いイヤイヤ期を繰り返している。 




 いくらでも駄々をこねればいい。 



 娘の私は、母の親にはなれない。    



でも、いつか


 「私、生まれてよかったんだよね?」   って、母に聞かれたら 


 「もちろんだよ」って答えてこの世にいる嬉しさを少しでいいから感じてもらいたい。