せん妄になるということ | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ

緊急入院し、初めての面会のときなので 会えない期間は、ほんの数日。


 自分のことを理解できない母がいるとは、家族は誰も思わなかった。


 多分、前情報がなければ、わたしも途方にくれていたかもしれない。


 前に、ユーチューブで、がんの治療をしないと決めた人の動画を見たことがある。


癌末期に近づくとせん妄が現れる。


 こうなるのはしかたがない、


 知っていたので心の準備ができていたのかもしれない。


 会いに行った、私に気が付かない。 


 娘が来たのを聞いても、理解できず

会いたがらない。 


 その瞬間にせん妄を確信したけど


ほんの数日前まで、普通に話していた家族にしてみたら、

とても、とても動揺してしまう現状だった。


 車椅子に座り、

家族の方を見ることもなく、

意味のわからない何かを
つぶやいたり、

目を伏せて下を向いたり。


 お医者さんの言うには

高齢者は、入院して環境が変わると、せん妄になりやすく、

家に帰るとまた戻るので心配しないように、と言うことだった。 


 母の場合、

癌によるものなのか、
高齢者だからなのか、

いまいちわからないが

本当に、入院して、一日か、二日でそうなった。



それでも、 本当に、時々、

通常の会話ができる。


 一瞬、帰ってくる、という感じ。


 その会話の中で、

唯一、

父にだけは、まっとうな返事をしていた。 


 「ご飯を食べているのか?
野菜も食べろ」 そう言っていた。


 仲の悪い父母だったが、

夫婦ってすごいなって思った。


 「ほうれん草を茹でて食べいる。だから心配するな」と父は泣きながら答えていた。


 弟のことを見ようともしない姿に

弟は、泣き崩れ

顔を手で覆って、40過ぎの男が

声を上げて号泣した。


 私は、弟の背中をトントン叩くしかできなかった。



 癌の末期にしろ
認知症にしろ

いずれ、母は、私たちのことを忘れる。 


 よく、認知症で記憶が曖昧になると

本性が出てきてわがままになったり、攻撃的になったりする、というが、


 その日、何もわからないはずの母は、


私が帰ることを告げると 


「 ありがとね。ありがと。 」そう、二回呟いた。 


 今後、ボケてた変なことを言ったとしても


これが、母の

本心なのだと

 普段、ぜったい言わない

ありがとうを、2回も言ってくれたのだと 

 この日のことを忘れないでいようと思い

今日の記事を書きました。


うちは、母も自ら言っていましたが、ありがとうとか、おやすみ、とか


一切ない家だったんです。



その母の二回ものありがとうは

家に帰るまでずっと脳内でリピートされ


なぜかわからない涙流し続けました。




 母の状態は、 今日、お医者さんから説明があったらしく


父に電話で聞いて、明日記事にします。