数日で変わった母 | 不幸を書こうか幸福を書こうか、それが問題だ





入院した当日、
どうやら父親は母に会えたけど、話はできなかったようで、
車椅子に目をつむり、寝た様子を見ていただけだったらしい。

そこから、土日を挟みほんの数日

月曜日に母に会いに行った。

日赤は、面会は2時から4時まで

一人10分、一回に二人まで。

決まりがある。


二時ころ、着くと
ナースステーションで受付をしないとならない。

ナースステーションの
少し奥、見える位置にいる人が
母親だとは全く気が付かなかった。


土日を挟んで、数日で
母親は見た目的に全く別人になっていた。

車椅子に座って、まだ目をつぶっている。

看護婦さんが

娘さん来てくれたよ、と声をかけると

今日はわたしは、いいかな、って

何かを断るように母は言った。


その姿を見て、

状況を理解した。


ここに来る前に、
父親から、歩き回ったり管を抜いたりして、危ないからやめるように言ってくれ、

と病院から頼まれた、と聞かされていた。


父は、

半分ボケてる、

そう言っていた。

母を目の前で見て理解した。


半分じゃなくて、完全に分からなくなってる。


アルツハイマーとかではなく

おそらく、せん妄だろう。


嫌がる母親の近くに行き、

何かを話しているので近づいて聞いてみた。


昔の職場で、ドバイに行くのを断ろうとしている話だった。

私のことも誰だかわかっていない。


家には、孫がいてね


そう教えてくれた。


泣いていいものかどうか、


むしろ、動揺が酷くて涙は我慢できた。


しばらく、よくわからない会話を聞いていたら


看護婦さんが、検査があるので15分くらい連れいきます、と言って連れて行った。


その間に父親に電話した。


偶然にも父親は病院には来ていた。

聞くと、弟も来るらしい。


それを聞いて思った。


いきなりこの母を見たら、父と弟は、どうになかってしまう。




先に、伝えないと。


父が先にここに来てくれることを願った。

母の姿はあまりにも考えられないほど


男か女か、わらないほど

見た目も会話も、何もかも面影がなくなってしまっていたから。

今の状況を伝えて、心構えをしてもらわないと。