一年前の自分
満たされてなかったなあ…
やってもやっても
結果が出ても、出ても
全く満たされてなかった💦
むしろ、
苦しくてしょうがなかった。
きっと、その答えを
自分の外側に
求めていたと思う。
外側に求めていたのは
自分にイエスが
言えてなかったから。
自分はどこを見て
進んでいるのか。
何を求めて
進んでいるのか。
それを自分に
意識を向けることで
見えてきた気がする。
頑張ってきた自分に
まだまだ、
まだまだって
全然認めてなかったなあ…
そりゃ、満たされへんよな💦
今は、少しその頑張りに、
進んでる方向に
イエスを言えてるように思う。
自分を認めてあげることで、
少し自分が好きになれた気がします。
日頃、子供たちには、
自分を好きになるように
サポートしてるけど、
ふと、自分に目を向けると、
自分も子供たちと
同じ課題があったことに
気づいて、
子供たちに感謝です。
最近、元気な子供たちのことを
振り返る時があります。
1年前、S-BASEの駐車場に
停められた車の中で、
顔も上げられずにいたお子さま。
通っては来てくれるけど、
なかなか自分の気持ちを
伝えることができなかったお子さま。
S-BASEに入った瞬間、
カルチャーショックを起こした子。
もう外の世界の人とは、
関わらない!と数年、
動けずにいた子。
20人いると20通りの
S-BASEの仲間になるまでの
それぞれに違ったストーリーがあります。
ただ一つ言えることは、
みんな一歩踏み出す前には、
想像もしていなかった景色が
現実として掴んでるのではないかと思います。
1年前は、きっと、前が見えない、
真っ黒なトンネルの中にいた子供たちですが、
とにかく、勇気を持って
一歩を踏み出したのです。
いつ踏み出そうか、
いつ踏み出そうかと、
何度も
心の葛藤を繰り返しながら、
勇気の一歩を踏み出したのです。
今、見ている景色は、
決して、S-BASEが用意したものではありません。
一歩踏み出した子供達が、
本来持っている、
本当の姿なのだと思います。
家に引きこもっていた頃は、
描けなかった世界を、
今は、また次の一歩先の世界を
ぼんやりと想像できているのではないかなあと
思います。
一歩踏み出すことは大事なことですが、
タイミングというものがあります。
そのタイミングは、
自分が決めれることも
忘れては行けないことだと思います。
制限って、
自分を守るものでもあり、
自分の邪魔をしているものでもある
と思います。
こういうものだから…
こうするしかない。
と、道を狭める思考であることも
多いと思います。
子供たちもそうだったんだと思います。
学校生活において、
義務教育なんだから、
頑張ることが当たり前。
ルールを守るのは当たり前。
この制限に、苦しめられていたのは、
事実だと思います。
それは、親である私たちも同じで、
また、その制限に苦しめられました。
でも、当たり前と思っていた制限は、
実は、
自分の思い込み
であったことに気づいて、
手放すことができれば、
また、今と違った景色を見ることができます。
この制限は、
実は、学校が作ったわけではなくて、
社会が作ったわけでもなく、
自分が作り出した制限
なのだと思います。
不登校に限らず、
今の自分の状況を俯瞰してみると、
自分で作り出している制限、
自分を縛っている思考に
気づくかもしれません。
制限を手放すって、
簡単にできるものではないと思いますが、
制限を手放すって、
自分に許可を出す!
ということかなと思います。
他人に認めてもらうことではなく、
まずは自分で自分を認めるところから、
始まるものだと思います。
そうすることで、
変わらないと思っていた状況が、
変わり始めるのだと思います。