前回の記事の最後に、コートさんは 「境界線(バウンダリー)」 を解説したサイトのリンクをそっと添えてくれていました。

 

“責任の所在を明確にするためのヒントです。お時間のあるときにどうぞ”

とだけ書かれて。

 

クリックしてみると──

 

1)バウンダリーが引けないことの問題点やなぜ引けなくなったのか

2)境界線を超えないことが大切なわけではないこと

3)バウンダリーを引けるようになるための方法

 

などがわかりやすい言葉で書かれていました。

そのなかで、私が理解できたのは、1)のバウンダリーが引けないことで何が問題となるのかとなぜバウンダリーが引けなくなったのか、ということだけでしたが、当時の私にとってはとても大きな収穫でした。

 

  思い出した“境界線越え”の出来事

 

震災後、仕事を求めてコートさんが東京へ出たとき、私は東北の実家で母の介護をしていた時期がありました。

別居の期間は約1年程度だったと思います。

 

私は日に何度もコートさんに電話やLINEを送り続けていました。

ある日コートさんから返ってきた言葉が――

「監視されてるみたいだ

 

え? 監視? そんなつもり全然ないよ。どうしてそう思うの??

あのときはショックで泣きました。

でも今になって思うのです。

 

あれは私がコートさんの領域に土足で踏み込んだ証だったのだ、と。

 

しかも私はその後、コートさんを追いかけるように上京し同居を再開。

コートさんなしでは生きた心地がしなくて、とにかく毎日辛くて苦しくて、頭の中が100%コートさん一色だったのです。

 

当時、私がイネイブラーであることを知っていたコートさんの親族からは私の上京を強く反対されました。

兄のことは放っておいてくれ

(コートさんの妹夫婦はコートさんがアルコール依存症であることも私がイネイブラーでもあることも知っていたのです)

 

当時は意味がわからず、ただ傷つきました。

誰も私のことなんか分かってくれない、私は一人なんだ、私はどうしてみんなからこんなに嫌われているの?

こんなにいっぱい我慢してきているのに、どうして私が責められるの??

そんなふうに思っていました。

 

 

  私だけが知らなかった

 

もう一つ、衝撃的なことがあったことを思い出しました。

私も上京してケイトさんと暮らし始め、ケイトさんのお酒の問題行動が多くなってきた頃、弟は私の変化に気づき「力になれることがあったら言ってね」と密かに私を支え続けてくれていました。

その弟から、こんな言葉を言われたのです。

「ケイトさんがアルコール依存症なのは分かってたよ。お姉ちゃんも承知の上で結婚したんだと思ってた」

 

え? 知ってた? どうして?

どうして分かったの?

私だけ知らなかったの?

どういうこと??

当時、私の頭の中は混乱を極めていました。

 

 

  「境界線を引く」が腑に落ちた

 

コートさんのメールから過去の出来事を思い出した私は、突然頭のなかの回路が繋がったようにピン!とした感覚を覚え、「放っておいて」と言われた意味がわかった気がしました。

私だけがコートさんの依存症に気づかず、「蚊帳の外」に居たのだとこのとき気づきました。

 

「あぁ、コートさんが自立しようとしていたチャンスを私が奪ってしまったのかもしれない。」

「コートさんの逃げ道を少しずつ塞ぎ、息苦しさを生んでいたのも私なのかもしれない。」

「私は境界線を超えていたんだな」

そう思った瞬間、何かがすぅっと頭に入ってきたような感じがしました。

そして、胸が痛み始めました。私はなんてことをしたんだろう・・・と。

私はイネイブラーなんだ・・

 

 

  胸に落ちた三つの学び

 

今回のコートさんのメールから学んだことは

  1. 境界線は「相手を突き放す壁」ではなく「互いの責任を区別する線

  2. 線を越えないこと自体がゴールではなく相手の“自立する力”を守るための手段

  3. 私が踏み込むたび、コートさんは「自分で選び、自分で責任を取る機会」を失っていたかもしれない

依存症や共依存のことをいくら学んでももやがかかったように明解でなかったものが、コートさんとこんなに乱暴なコミュニケーションしか取れなくなってしまったのは、私にも一因があったのだと初めて理解できました。

 

ところが。

 

ここでまた新たなモヤモヤが発生したのです。

私はまたコートさんにメールしました。

 

 

*コートさんへのメール

 

 

夫のことを知らないのは私だけでした。

そして、私は夫の逃げ道を少しずつ奪い、夫は息苦しさからお酒により一層依存していったのです、きっと。

・・・と、ここまでは自分自身で納得というか理解ができました。

 

頭の中がケイトさんのことでいっぱいになってしまった私は、自分ではどうにもできなくなり、福祉施設を運営しているコートさんへ、3通目のメールを書きました。

 

*ぶらうすからコートさんへのメール*

 

ぶらうすです。

連日のメール、すみません…

お返事、有り難く拝読致しました。

正月早々、ネガティブな話しを聞いてくださり、またお返事も頂き、感謝の思いでいっぱいです。

本当にありがとうございます。

 

「結果的に夫が何かしてしまっても、それは夫が自分で決めて自分でした行為にすぎない。」

そうですね。

私は、私のせいだと思うことで、自分を責め、その事実から逃れたいだけなのかもしれません。立派な共依存症ですね…

簡単には抜け出せそうにありません。

でも、変わらないと!

一歩進んで三歩退がる…かもしれませんが、その一歩も進まなければ、退がるだけですものね。

コートさんに今の心の不安を知って頂いて、初めて「私は独りじゃないのかもしれない…」と思いました。

 

 

夫との境界線を引く…言葉の意味は理解できますが、具体的に何をどうする(考える)のでしょうか。

初歩的な質問で申し訳ありません。

具体的に教えて頂けると助かります。

 

蒼いぶらうす

共依存症の最も大きな特徴の一つに他者との境界線が引けないことがあります。

このことは本やインターネットの情報で知ってはいましたが、何がよくて何がいけないことなのか基準がわかりませんでした。

 

それに対し、コートさんの回答は実に明確でした。

 

 

コートさんからのメール

 

「仰る通り、難しい課題ですよね。

端的に言えば、【 責任の所在を明確にする 】ということです。

例えば、

 |会社は上司の理解の元、休職扱いにしていただいています。

こちらのケースについて。

もしかして、会社の上司に相談の電話を入れたり、休職扱いにしてもらえるよう、ぶらうすさん自身が動かれていませんか?

その場合は、ぶらうすさんが境界線を超えてしまっているかもしれません。

※夫婦なのだから助け合って当然ではないか...と思われるのもごもっともなのですが,,

【 最終的に、困るのは誰か? 】という視点で考えましょう。

仕事がなくなって、妻にも愛想をつかされて困るのは、ご主人だと思います。

(そこで、過度にご主人の世話をしたりすると、「まだ妻は俺を見捨てない」と安心し、お酒の問題に向き合おうとしません。)」

 

コートさんからのメールを読み終えて、今まで何を読んでも頭に入ってこなかった依存症・共依存症の知識が初めて私の脳に辿り着いたのを感じていました。

自分の事例で教えていただいたことで初めて

「イネイブリングってこういうことなんだな、境界線を引くってこういうことなんだなひらめき電球

と少しだけ共依存症について理解できたのでした。

ただ聞いて欲しいだけの私のメールに対して、福祉施設を運営しているコートさんは元旦にもかかわらずすぐに返信をくれました。これにはとても驚きました。

 

大晦日の深夜に送ったメールに対して元旦に返信が返ってきたことだけでもとても感激だったのに、元旦に2通目の返信もくれるなんて....。このコートさんという方はどういう人なのだろう?お正月も返上で働いているのかしら?

 

そんな疑問とともに、自然とコートさんへの興味が湧いてきます。

 

しかも、こんなに依存症家族の心情を理解してくれる人は初めてです。

私はそれらのことにとても感動していました。

 

そして、コートさんからの2通目のメールには、私の心情に寄り添いつつも冷静に見つめる支援者としての視点が込められていました。

 

まず最初の一文。

 

とてもお辛い経験をされてきましたね。詳細にお話しいただきありがとうございます

この文を読んだ瞬間に、「あぁ、ここにわかってくれる人がいる」という安心感がありました。それは、縮こまっていた私の心が少しずつ広がっていくような、あたたかい感覚でした。

 

この感覚を得られたことで、次の一文が素直に私の中に落ちてきました。

 

前夫とケイトさんを重ねてしまっていた私は、ケイトさんが自ら命を絶ってしまうのではないかということをとても恐れていました。

そんな私に対して、コートさんは難しい言葉を使わず、わかりやすい表現で、でもきっぱりと諭してくれたのです。

 

 

ぶらうすさんがご主人に対応しないことで、結果的にご主人が何かしてしまっても、それはぶらうすさんのせいではありません。ご主人が自分で決めて自分でした行為にすぎません。

 

もし、ぶらうすさんが対応する心の余裕がないのであれば、対応しない方がいいです。

そして、最後にコートさんは再び私に勇気を与える言葉を残してくれました。

 

 

まずは、境界線をしっかり引くことを一緒に意識していければと思います。

独りぼっちだと思っていた私の元に「一緒に」と言ってくださる人が現れたーーその事実に、私は強く胸を打たれました。

このとき心の中に、「理由はわからないけれど、もしかしたら大丈夫かもしれない」という小さな光が芽生えたのをはっきりと感じていました。


 

そんなことがあった翌日、私はようやく履歴書を書き上げました。自分の心が見えていない中で自分をアピールするのはとても難しく、随分と時間がかかりました。

 

ほっとしたのも束の間、履歴書の作成を終えた私の頭の中はすぐにまたケイトさんのことでいっぱいになりました。そう、まるでストレスから逃れたい一心で、脳がケイトさんの存在で埋め尽くされているかのよう

 

昨日から胸がざわついて仕方ないな・・

ケイトさんは無事でいるのかな?

居所を追えなくなったのはただ単にスマホを紛失しただけなのかな?

もしかしたらホテルで倒れたりしてるんじゃないかな?

意識を失っていたらどうしよう? 

 

眠れない。

LINEは既読にならないし、たぶん今もオフラインのまま。

スマホの電源を切った?スマホをなくした? それとも・・・ 入院してる?

親戚のぼたんさんに尋ねてみようかな・・

でもケイトさんに何か起きたとしても、きっと蒼い家の人たちは私には連絡してくれないだろうな。

例えばそれが(ケイトさんが)意識混濁のような状態だとしても私には知らされないのだろうな。

だって私は強力なイネイブラーで、彼らはそのことをみんな4年も前からわかっていたのだから・・

 

頭の中が異常なほどケイトさんのことでいっぱいになり、身動きが取れなくなってしまった私は、自分の力ではどうにもならないと悟りました。そこで翌朝、再びコートさんに相談のメールを送ることにしたのです。

私はずっと、お正月が大嫌いでした。

心がざわざわして落ち着かず、なんとも言えない不安や恐怖に包まれてしまうからです。

 

その原因は、私が抱えているトラウマにあります。

 

以前にも少しお話しましたが、私はケイトさんとは再婚です。

最初の結婚は、夫の無理心中未遂が決定的な出来事となり、別れることになりました。

そしてそれは1月2日夜の出来事だったため、何年経ってもこの時期になるとコントロールできないほどの不安感と恐怖心に襲われ、身動きが取れなくなるのです。

 

そのせいか、この日もケイトさんの動向が気になって仕方なく、「iPhoneを探す」で居場所を確認していました。まるで病的なほどに。

ところが、ケイトさんの位置情報は検出されず、不安だけが募っていきます。

 

なんだか凄く嫌な気持ちがする。胸騒ぎ・・ 

私の中で、あの無理心中未遂事件とケイトさんの姿が重なっていました。

 

たまらなくなった私は、依存症回復施設のコートさんへメールで心の内を吐露しました。

相談というよりも、ただただ胸の内を吐き出したかったのです。

 

*コートさんへのメール*

もし、夫が前夫のように愚かなことをしたらどうしよう!?

お願いだから、そんなことはしないで!

…考えないようにしようとしても、勝手に涙溢れてきます。

私は自分が痛めつけられるのが怖いのではなく、それよりも夫が自分の命を断とうとすることが怖いのだと気付きました。 

 

前夫の時も思ったんです。

こんなことをするほど彼を追い詰めてしまったのは私だ。

私と出会わなければ、彼はこんな人生にはならなかったのに…と。

思い返せば、私はこの時既に重篤な共依存症だったのだと思います。

 

夫が田舎に帰って2週間が過ぎます。

夫の方から「サヨナラ!!」と捨て台詞を吐いて出て行ったのに、毎日のように電話もラインも来ていました。(私は応対しませんでした)

それが、一昨日から途切れていることが、私を不安に掻き立てているのかもしれませんが…

 

夫は私に助けを求めていたのかもしれないのに、私は手を振り払った。そのせいで自傷行為に及んだらどうしよう…

そんなふうに思ってしまい、今、どうにもコントロールできない渦にはまり込んでいます。

でも、こうして書いているうちに、心の中が少しずつ整理されていく感覚を覚えました。

これは私にとって、初めての体験です。

 

誰かに聞いてもらえるって、こんなにも心が落ち着くものなんだ。

一人で頭の中でグルグル考えるよりも、こうして言葉にして外に出すほうが、ずっと楽になれるんだな…そんなことに、ようやく気づき始めました。

年が明けて2019年1月1日。

いつもはコーヒー豆の節約で1杯しか淹れないけど、今朝は2杯分淹れてみました。とはいえ、特にめでたいわけでもなく、何もない、一人のお正月です。

 

この年最初にしたことは、避難用のアパートで履歴書の最も難関部分「志望の動機・特技・アピール」欄の下書きでした。そもそも私には特技もアピールできること、取柄や強みなど何もありません。何を書けばいいのか本当に困ります。こんなありきたりな文面を読んで先方は納得するのだろうか?と思ったり・・

 

履歴書の作成が思うように進まないまま、私はケイトさんが東北の実家に帰って不在であることの安心感から、荷物を取りに本来のアパートへ行くことにしました。

来たついでに久しぶりにテレビを見たりしてくつろいでいると、あぁやっぱりここがいいなぁと思うのです。この部屋に居てはいけないとわかっていてもやはり一番安心する空間でした。

 

ただ、それはケイトさんがいない今だからこそそんなふうに感じられるのだということもわかっています。もし彼が戻ってきたら、やはり一緒に暮らすのは無理なのだと思い知らされるはず・・・。

暴言、八つ当たり、お金の無心、ろくに寝ないで外出する、突然不機嫌になる、道理の通らない持論を正当化しようとする、家具家電を殴る・・そんな暮らしは耐えられない。

病気がそうさせているとわかっていても耐えられない。だから、なけなしの貯金を叩いて避難用のアパートを借りたのです。

 

そう。

すべてわかっていても踏み出せず、この部屋を去りたくないと思っている私は、ただの意気地なしなのでしょう。

 

そんなふうに考えていた矢先でした。

昨日(大晦日)の深夜に、藁にもすがる思いで相談のメールを送った福祉施設の方から返信が届いたのです!

 

 

詳細に、お辛いなか状況をお伝えいただきありがとうございます。

今まで、よく耐えられてきましたね。

まずは、そのような気持ちになれないかもしれませんが、

自分自身をめいっぱい褒めてあげましょう。

私はこの前文だけで心を鷲掴みにされていました。

まるで私の傷ついた心をしっかり受け止め、寄り添ってくれているように感じていたのです。

とてもあたたかい感情が私の中に満ちてくるのを感じ、思わず泣いてしまいました。

こんな私に「褒めてあげましょう」だなんて・・・

言葉になりませんでした。

今まで張り詰めていた緊張の糸が、すうっとほどけていくような感覚でした。

さらに、

 

私どもで開催している家族会は、体験談に合わせて一緒に参加者みなさまの課題について考えていく会になりますので、もしかしたらお役に立てるかもしれません。

 

ご主人への対策を一緒に考えていきましょう。

という言葉が続きました。

特に「一緒に考える」というフレーズが深く胸に刺さったのを、今でも覚えています。

もしかしたら、ここで私は何かを掴めるのかもしれない、そんな予感がありました。

 

そしてその予感通りに、2019年元旦に届いた、この「コートさん」という方との出会いが私の人生を大きく変えていくことになるのです。