今週半ばに、執筆する本の『はじめに』と『目次・見出し』を一旦提出する予定ですが、『目次・見出し』の構成を練っていて、気づいたことがありました。
それは、自分が心の中で反芻してきた過去の出来事と、それを実際に書いてみて感じたことはまるで違っているということです。
ただ心の中で反芻していた時には、その出来事に関係する人に対する思いが何度も浮上してきて、良くも悪くもそれ以上の進展が得られなかったのですが、実際に文字にして見ると、客観的に自分が見えてきました。
書くってすごい❗️
先週、母の命日に、私の幼い頃の写真を目にしました。
私が5、6歳のころ、母は広島の中国放送という放送局の家庭番組で、アシスタントをしていたことがありました。一般公募で選ばれて、意気揚々とテレビ局に通っていた母を今でも覚えています。初めてのアシスタント業は母にとって適職だったようで、放送局でも母は人気がありました。
ある日、その番組に私たち兄妹と母の写真が出されることになり、わざわざTV局のカメラマンが我が家まで写真を撮りに来たことがありました。
その写真がこれ。↓
一番右で変顔してるのが、私…😅
私、こんなキャラだったっけ???って一瞬自分を疑ってみたものの、でも何となくこの時のことを覚えています。そしてこの写真がTVで流れたということまでは、覚えてません…。🙀
しかしこの写真に限らず、自分の手元にある妹と2人で写っている写真も、私は志村けんさんの真似をしていて、それを見た友人は、「昔から変わってないんだね〜!」と。😁
こんなふうに写真で自分を見たり、文字化して自分を顧みたりしたお陰で、「私って変わった子だったんだなあ」と客観的に思えてきました。(遅い⁈ 笑)
書いてみたり、写真で見てみるといった客観的視点は、また違う角度から物事や自分が見えてくる大きなきっかけになるんじゃないかなと思いました。
機会があったら、幼い頃の写真を眺めてみて下さい。思い込んでいた自分像を突破するかもしれませんよ😉
雨上がりにワシワシ歩くメイちゃん