堀切隧道訪問記【4】(大阪府南河内郡千早赤阪村) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【3】より続く。

 

 

隧道から続く道のその先を

確かめる、その前に。

 

 

 

 

右手も気になった。

これは、辿ってきた「旧道」が隧道からの道と交差して直進していく方向。こっちも道がありそうだが、この激藪…謹んでご辞退申し上げた。地理院地図によると、100mほどで途切れているように描かれている。

 

 

 

 

さあ、今度こそ隧道の先へ。

 

この道がまた、

歩きやすくて雰囲気がイイ!

 

 

 

 

道自体は車道幅員を有し、

しっかり手が入っている。前日にも隧道を使ってこっち方面に入られていたというのも納得。

 

 

 

 

が、古そうな石積もあちらこちらに。

土留めなのか、それ以外の何かか。猪垣ではなさそう。

 

「堀切」という隧道名称からして、もしかしてかつては付近に山城があったのかも?なんであれこの石垣はお城由来ではなさそうだけど。

 

 

 

 

隧道からわずか3分で、

視界が開けてきた。

 

 

 

 

と同時に、

車道幅員も終了、人道サイズに収斂していく。

 

この開けた一帯が、堀切隧道が掘られた目的地なんだろうか?現在の状況では、そう見える。

 

 

 

 

現在の状況では、というのは、

道はまだ続いていて…

 

 

 

 

その先に…なんと!さらなる隧道が!!

ウソです、ごめんなさい(タチ悪

 

さらなる隧道なんてものはなく、ここで某施設にぶった切られて唐突に終了しているのである。某施設が造成されるまでは、まだ続いていたんだろうな~と思わせる終わり方で。実際どうだったのかはわからない。

 

 

 

 

ぶった切れ手前からの振り返り。

山に囲まれた、秘匿されたような一画。

 

これまたただの推測(妄想)だけど、ここもまたかつては隠田/隠畑の類だったという可能性はないだろうか。あっ、隠田/隠畑についてはこの記事参照のこと。

 

仮にそうだったとしても、それは明治初期以前のことなので、隧道とは無関係なんだけどね。

 

 

 

 

一帯にはポツポツとこのような切株…というか伐採された樹木が点在しており、

な~んとなく、果樹園っぽいかなあ、なんて思った。それにしちゃあ樹木の数が少ないか?

 

【2】にいただいたコメントで、栽培されなくなったみかん畑ではないかと。なるほど。実際、千早赤阪村では今もみかんが栽培され、道の駅などでも売られているんだが、栽培農家の数は減っているらしい。

また、隧道は農業振興(出荷)のために大阪府の予算で掘られたものではないかとの見立て。かなり信憑性のある説であると思う。

 

 

はい、わたくしも概ねそう思ってました(笑)。そうであれば府知事が揮毫していることともつじつまが合うしね。

 

当日現地では、果樹園だったっぽいからその搬出用だったのかな~の印象(実際地理院地図では現在も果樹園記号が周辺に書かれている)で、扁額のことはその後深く考えてなかったが(おい)、きっとそういうことだろうと。

 

実際、隧道完成と同年の昭和36年には、果樹農業振興特別措置法なる法律が制定されている。詳しくは各自お調べいただきたいが、果樹農業の振興を図るための基本方針が策定され、都道府県はそれに準じ、生産基盤の強化など様々な支援策を行うことが求められたという。この動きと隧道建設の因果関係の有無は不明ながら、まったくの無関係とも考えづらいもんな~。

 

 

まだここらの写真出してなかったのにこのコメント、おそらくご自身でも訪問された方なのかな?改めまして知利別さん、ありがとうございました。
 

 

 

 

満足して、撤収。


ぞれにしても、隧道を時折使ってこちら方面に入られる時って、どんな作業をされてるんだろう。

竹がいっぱい生えてるから、案外たけのこ関係とか?

 

 

 

 

すぐに、隧道が見える位置まで戻ってきた。

なぜか、隧道からこのへんまではちょっと荒れてるのよね…。

 

 

 

 

ところで、今改めて気づいたんだが…

これなんだっけ??

 

よもや現地で見落としはしなかっただろうが、一切写真も撮ってないし、全然記憶がない。たぶん観察したうえで撮る価値ナシと判断したんだと思うけど…。

 

 

 

 

で、復路での切り通しなんだが、改めてご紹介しておきたい。

ど真ん中に一本だけ青々と立つ、竹の勇姿?を。妙に印象に残ってるなあこれ。

 

 

 

 

そして、集落へと帰還。

「旧道」と書いてきたが、実際この道が、昭和36年に隧道ができる前まで使われていた道に間違いないだろう。切り通しも含め、全長通して荷車レベルの車両が通行できるだけの幅員は確保されていたし。

 

 

いや~~堪能した(なんか久々)

 

 

停めた車を出発してから戻るまで、正味1時間半。大変楽しゅうございました。

 

 

 

以上、完結。