2012年11月28日、東海道本線の逢妻駅から大府駅まで歩きながら、いくつかの物件を訪ねた。この日のネタで記事にしているのは、界川橋梁、失われし三連橋梁@愛知r246。
今宵ご紹介するのは、ゴール間近で出会った…なんでしょう?
藪からスティックに
こんな画像から始める。場所はこちら。東海道本線(と武豊線)の下をくぐるカルバートであります。
ちなみにお名前は、
石ヶ瀬架道橋。ここ、すでに大府駅の構内扱いなんですな。
抜けて振り返り。
誰かね?こんなとこにタイヤを置いてるのは。どういう状況?
これを抜けてすぐ直角ターン、そして
超タイトな180度ターン!
このトリッキーな道の先に、
見えてきたのが、今宵のお題。ようやく登場でございます!
ちなみに、右に見切れている橋は、東海道本線上り線をまたぐ跨線橋である。かたや架道橋、かたや跨線橋の高低差を稲妻状に克服する線形が面白く感じたので、こうしてアプローチからご紹介した次第だ。
そんな、線路に挟まれたタイトな一画にあったのが、
こちらの…神社?なのか一応。
くぐって左手にあった手水鉢。
わたくしこれが気に入ったようで、やたらしつこく撮ってた。
左側面に
「村中安全」。
右側面には
よく見えない~。
角度を変えて…
「文久三亥四月𠮷日」。調べてみたら西暦だと1863年、幕末の実にややこしい時期だった。
最奥の本殿脇には、
当社の沿革を刻んだ石板があった。昭和四十四年という年号が登場するので、めちゃくちゃ古いものでもない。
今回記事を書くにあたり、改めて読んで…みようとしたが、判読できない部分が多くて断念した。
ただ、「一六七三年」という年号が見えることから、遅くともその時期からあったと推察されること、明瞭な文章としてはわからないものの、明治二十一年に東海道本線敷設によって在所(跨線橋の先)と分断されてしまったこと、昭和四十四年に「南方貨物線敷設ニ際シ再三ノ割譲ヲ余儀ナクセラレ」「境内ハ極度ニ狭隘ヲ来シ」ということで、やはりかつてはもっと広大だったこと、などがわかった。
「南方貨物線」という界隈では有名なワードが登場しているが、これに触れると長くなるのでここでは割愛。興味ある方はウィキ先生でどうぞ(リンク)。
石板前から、入ってきた方を振り返り。
隣に見えている神楽殿も本殿も、なぜか全然撮ってなかった。なんでやねん。
そのかわりに…
これに魅せられたみたい(笑)。ええやんか。
わたくしが通っていた幼稚園にもこういう飛行機型のジャングルジム(…よね?これ)があったと記憶してる。好きだったなあ。
ここは大府八幡ちびっ子広場という児童公園になっているみたい。遊具はこれだけだけど。
季節感皆無で申し訳ないけど、
かたわらのモミジがきれいだった。
このあと、跨線橋を渡って北(東)側へ。線路に挟まれた立地だってわかるような写真を全然撮ってなかったのが悔やまれる。
Googleマップの航空写真モードでご覧いただくと、その特異な立地がわかりやすいかと。
上の航空写真でわかる通り、跨線橋を渡ると住宅地となる。それを通りぬけて師崎街道へ出たところに、参道入口の手作り看板があった。
上に小さく「南島」と書かれていて、ここで南島八幡社という正式名称を知った。
最後に、ちょっといい記事を見つけたのでご紹介しておく。2023年に周辺が整備されたようですな。
個人的には石ヶ瀬架道橋のタイヤがどうなったか気になる(笑)。
以上。














