【前篇】より続く。
隧道を抜けると…いや、抜ける前から見えてた。
なんか良さげなものがありますな。
まずは振り返って正対。
前回書いたとおり通行止め措置も何もなかったが、しばらく車両は通行してないのか轍さえもない。これはわたくしの好きなリビングデッド隧道状態か?
まったくの余談だけど、「リビングデッド」って正確には「(一度死んだが)甦った死体」を指すらしいので、そこが「ゾンビ」とは違うらしい。よってわたくしが意図する「半死半生」とは定義が異なるようなのだが、そこはまあ…ご容赦を。マジで余談。
で、反対側にもチープなライトがあったが、
ここにも。なんだこれ。
でもこの旧道に沿って電線が通っているのは確かで、その保守もあって封鎖されていないのかもしれない。
さて、改めて「良さげなもの」を正面から。
なんと、洞内からはひとつしか気づいてなかったが、接近したらふたつあった!
まずは旧本匠村の白看。入ってきた方が旧宇目町で、
この隧道を町村界としていたようだ。いずれも2005年3月の大合併で佐伯市の一部となって消滅した。
そしてこちら。
「隧道付近にあって嬉しいものランキング」不動の1位!隧道紀念碑であります!(弊社調べ
ホント、あったら嬉しくなる。
こんなん、なんぼあってもイイですからね~(ミルクボーイ)。
けっこう撮りまくったんだが、うまく写ってない&似たようなのばかりなので、最低限チョイス。まず表には、上の写真にも一部写っているが、寄附者の芳名がズラリと。
左サイドには、「因尾村」の文字。
調べてみたら、さらにさかのぼって1955年6月に中野村と合併し、本匠村へと発展的に消滅した村だった。
右サイドには、
「大正五年十二月成」。これが、ほぼ隧道の完成時期と見ていいのだろう。
ちなみに、「平成16年道路施設現況調査」によれば、隧道の完成年は昭和20年となっているが…これはどういうことだろう。さすがにモルタル吹き付けはもっと後年だと思うので、拡幅改修されたタイミング?いやしかし、終戦の年って…そんなんしてる場合でもないだろうし。謎だ。
本土決戦に向けての軍事的な需要でもあったなら話は別だが…。同じ県内の丸塚隧道みたいに。まあ丸塚は日露戦争に向けてというもっと古い話だけれど。
話を戻して、さらにその下には、
「石工 大野●●」と。
名前が苔のために判読できないが、我が脳内補完によれば…傳吉?傳蔵?「傳」は間違いないと思うんだけどな~。ちょっと調べてみたけど、わからなかった。
なぜか、裏面を全然撮ってなかった。撮影失敗とかじゃなく、撮った形跡がない。何も刻まれてなかったのか?だと思いたいが、ポンコツ発動しちゃってた可能性も高いな…。
隧道の先の旧道。
日が長い時期だったとはいえ、すでに17時20分。
さずがに旧道を全部辿る余裕はなく、
ここで引き返した。
これ、同業者ならひゃくパーこのアングルで撮る説。
たまたまの出逢いとしては極上の部類に入る、ステキ物件だった。
最後に、戻りに撮った動画をどうぞ。
動画でも記念碑の裏面を撮ってないので、やはり何も刻まれていなかったのだろう。…たぶん…。
戻りもサクサクと。
アプローチも容易だし、時間がない時におススメ!(なんやねん
以上。













