丸塚隧道(廃)【6】(大分県玖珠郡九重町松木) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【5】より続く
 
 
入洞から23分、今、現世へと生還。
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こうして見ると、隧道前の光景としても異様極まりない。まるで隧道がまだ続いていて、天井部だけ取り外したかのようだ。いや、というよりも…逆アーチというかすり鉢状というか、最初の印象と同じく、通行のための隧道というよりは、洞窟のよう。
 
 
 
 
 
 
 
坑口上部から激しく滴り落ちる水。これまた天然の洞窟然としている。
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自分撮りを忘れてしまったが、左足の状態は冷や汗ものだった。長靴最上部から僅か2センチ弱下まで泥がベットリ。ひょお~。スーツのズボンがイカレるところだった…。スーツでもここまでに少なからぬ穴に潜ってきたが、ここまでのピンチは初めてだった…。よって、
 
自分内ランキング
「スーツで行ったらアカンかった場所」部門 
今なお暫定1位。
 
 
 
 
 
 
 
さて、ホントにたまたま遭遇したこの獰猛な廃隧道、もちろんこの時点で名称も何も一切不明なまま探索したわけだが、帰って調べてみたら、地元の猛者たちでさえ入洞をためらう、なかなかの物件であることが分かった。改めて、周辺の地図をご覧いただこう。
 
(使えへんな…Yahoo!地図めが…)
 
 
この隧道が開通したのは、なんと明治25年のこと。地図内で描かれている竜門トンネル経由のr409ルートはまだ通じていなかった。明治32年、地図上で右上一帯の広大な山地・高原を陸軍が接収、帝国陸軍日出生台(ひじゅうだい)演習場(現・陸上自衛隊日出生台演習場)を拓き、大陸での戦闘を想定した軍事演習を行った。
 
それに伴い明治31年、早くも改修を受けることになった丸塚隧道。物資輸送に適したルートがなかったことから、この隧道を拡幅改修して使用したというのだ。日出生台への武器弾薬は、すべて(かどうかは不明だが)この隧道を通って搬入されたのである。つまり、今日残る隧道の姿は、明治31年改修によるものである、ということになる。
 
 
 
日露戦争に備えた演習場は第二次大戦後には米軍が駐留、その後陸上自衛隊の演習場となって現在にいたるが、演習場開設に大きな貢献を果たした丸塚隧道は、新道の開削とともにメインルートから転落したであろうことは想像に難くない。00f8b7fc.jpg
 
 
 
新道(現r409)に掘削された竜門トンネル。その竣功年度は、
 
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…すいません、光の関係で見にくくて極端な仰角ですが…
銘板によると、昭和48年度とある。ただ、実はこのトンネルの前身となったと思われる、昭和24年竣功の隧道があったようだという。それが事実だとすれば、丸塚隧道が廃されたのはそれ以降ということになるだろう。
 
それにしても、威圧感ありありの現在の姿。いつ頃からああいう感じなんだろうか。もはやそうそう機会もないだろうが、水没に阻まれて(てか追い返されて)断念したあの向こう側、反対側から回り込んで確認するのを忘れてしまったのである…。ぜひリベンジした~い。
 
洞外脱出からここまでの解説的なパートについては、
 
てっくさんの素晴らしいレポ→ これ 
taiheiさんのこれまた素晴らしいレポ→ これ
 
を参考に…いや、ほぼパクリである(笑)。自分が到達できなかったあっち側の坑口も、しっかり拝める。
この場を借りて御礼申し上げます。
 
 
 
 
 
 
 
 
いやはや、強烈な一洞だった。48b246e0.jpg
 
 
 
 
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夜明け前から動き出した大分探索も、気づけばもう10時35分。時間ねぇー!さ~、次いってみよ~!
 
 
 
 
以上、完結。