【6】より続く。
では、桁橋の下をくぐって戻ろう…って、
川床のコンクリ、破壊されてますやん!
知らずにこれだけ見たら、こういう仕様の謎な構造物みたいだ。この日程度の水量であれば、水はすべて「姉妹水」の水路隧道へ流れこむことになるらしい。…いいのかそれで?
桁橋の橋台。
隅石の存在を見るに、これもそう新しくはない。が、なんともいえないな。年代不詳だ。
さて、ひと通り見て回って、
改めて「姉妹水」だ。
初訪問時、扁額が見えにくくて傘でほじくるマフ巻きさん。
あのほじくってる部分が、問題なのよね~。そのへん後ほど。
そもそも「姉妹水」が何を表すのか。
そういえば、これがなんて書いてるのか解読したのはマフ巻きさんだった。
発見後しばらくのおろろん教授の調べによると、この橋の名称は妹橋だという。
かつてこの付近に兄、弟、姉、妹の名をいただく4つの橋があったらしく、「姉妹水」は当然これらの橋名との関連が疑われるのだが、確かなことはわからない。
それら4つの橋のうち、現存するのはこの妹橋のみ。当初は先のねじりまんぽが「姉橋」との教授の見立てであったが、結果的に姉橋はここではない、とされていたはず。
じゃあなんで記事タイトルで(姉橋)としているのかというと、あるサイト様(改めて参照しようと思ったらどうしても見つからない!)に、大台町の地域ガイドさん?のお話として、「このねじりまんぽが姉橋である」旨の証言があった、との記述を見たため。うーん、難しい。自分ではなにも調べてないのに。
さて、問題はここなのだ。
扁額左端、ここになにか刻まれてるってことで、マフ巻きさんがほじくってたわけだが。どうにも判読できなかった。
再訪したのも、これを撮り直したかった、に尽きるのだが…このザマ。全然判読できない。
これでもいろいろ試したのよ。
常套手段で、下から光を当ててみたりとか。
けどこの場所、常に陽当たりが悪くて薄暗く、光量不足で手ブレが多発。さりとてフラッシュ撮影すると、陰影が全部潰れて余計に見にくい。
結局、当時アルプさんがブログに上げられてた、よととさん撮影のこいつに頼るしかない。
そこに読み取れたのは…
驚愕の、明治四十五年。その下はわからないが「壬子(みずのえね)」ではないか、との見立ても。
これが竣功年を指すのであれば(一般的にそうだろう)、大変なことなのだ。総コンクリ隧道で、扁額の取り付け部分や洞内の感じから、後年の改修ではなく、当初からコンクリ製であったように見受けられる(確証はない)。
そう、オリジナルからコンクリ造だったとすると、大変なことになるのだ。現在知られている限りにおいて、現存最古の総コンクリート造道路隧道が高知 徳島県の松坂隧道(大正10年製)、水路隧道では新潟県の円上寺隧道(大正4年製)。それらを上回り、遂に明治製のコンクリ造隧道が発見された!ことになるのだから。
ちなみに前者は国登録有形文化財、後者は土木学会選奨土木遺産となっている。
【2025/11/17追記】
そして、再度この写真。扁額左端の判読できない部分…おそらくは揮毫者の名前であろう部分について。
最下部は「題」だと思われるんだが、名前部分がどうしてもわからない。二文字めは「村」か?これ、かなり核心的な情報のはずなんだが。ちなみに、時の三重県知事とかではなさそう。読める方、おられたらぜひご教示いただきたい。
(追記は以上)
真実が何なのか謎…っていうよりも、今回の2物件、謎しかないといっても過言ではない。それだけに、夢とロマンを感じる余地があって、そこがまた楽しい。
その後の研究・検証が進んでいるのかどうか気になるところだが、
もしかしたら、日本最古のコンクリ隧道である「姉妹水」。そうであってほしい。
(後で写真を見返してガッカリはしたが)満足して撤収。
記事は以上なんだが、
…【番外篇】でアレをご紹介しておこうか。









