【前篇】より続く。
公衆便所の奥に、
例の隧道がポッカリ。ここだけ見るとどんな秘境かと思うが、実際は県道脇すぐっていうね。
しかし…なんなんだこの隧道…って、隧道よねこれ?
小公園?側は少し広くなってて、そこが完全に水没していた。もちろん長靴オンしてきたので、そのまま突入。
…の前に、鉄板の構図。
これ…心霊サイト向きの写真じゃない?(笑)
本来は好きじゃないが、心霊系サイトでこの隧道を調べてみた。すると案の定臼津隧道はドップリとそっち方面のメジャーで、曰く「真ん中あたりで車を停めてエンジンを切り、クラクションを3回鳴らすと女性の霊が現れるらしい」とか、もう散々こすり倒された設定に失笑。いや、普通に交通違反ですしやめよ?。
だが意外なことに、「津久見側の公園にあるトイレにも霊が出ると言われている」なんて書かれてはいるものの、
この素掘り隧道への言及はまったくと言っていいほど見られない。なんでだ?ヤツらには見えないのか?(笑)
この、完全人道サイズの素掘り隧道。
そう、明らかに人為的に掘られたものに間違いないが、コイツはいったいなんなんだ??
現地では何の情報もなく、そんな疑問が頭を駆け巡ったものだったが、後日改めて調べたところ、かの「tunnel web」さんで言及しておられた。さすがだ。
それによると、なんとこれ、「改修前の臼津隧道の一部」なのだとか。「一部」?
確かにこの隧道、Q地図様では「昭和33年完成」とされているものの、「平成16年度道路施設現況調査」などでは「昭和23年完成」となっており、不思議に思っていたものだった。
昭和33年に改修されて現在のスペックになるまでのこの隧道、戦後生まれにもかかわらず、幅員2.0m、高さ4mほどの極めて狭小なものだったらしい。そりゃあアカンよキミぃ。
これについての根拠を記事内では示しておられないし、詳細はさだかではないのだが、考えるに拡幅改修されて津久見側には掘割が造られた結果、取り残された一部がこの短い素掘り隧道ということ…なんだろうと理解した。てことは…この狭小スペックで、さらに今より長い400m近くの隧道だったってことですか??
ああそうそう、当該記事をぜひご覧ください。
実際そうならば、
あれがオリジナルの津久見側坑口ってことになろうかと。
いや~…しびれる話ですな。
我が業務範囲は基本ここまでだが、
せっかくなんで「心霊スポット」のほうも見ておこう。
素掘り隧道のそばに公衆トイレ、いずれも「廃」なんて、
けっこう稀有なロケーションだしね。
ああ、外見こそそこまで汚くはないが、
見るからに「昭和の公衆便所」ですな。
表側は男子トイレで、裏側をのぞいてみると、
個室のボットン便所。当然ドアはあっただろうが、どこ行った?
まあ霊が出ようが出まいが、あんまり気持ち良くないことには変わりない。でも心霊スポット扱いの割には、見苦しい落書きなんかはなかったな。そこだけは良かった。
もう一つの小屋脇から現道をチラリ。
正確に言えば、奥へ延びているのは県道ではなく県道から分岐した道路。
で、この小屋の裏には
閉ざされたドアがあり、「発電室」のプレートがあった。
現道に戻って引きで。
この小公園も、いかにも違和感あるなあ。トイレはともかく、発電室なんてものをメイン施設よろしくあんな場所に建てるかね?
何がしたかったんだこの公園で?まさか…旧隧道の記念公園?さすがにそんなわけないか。
県道から小公園を見ながら移動していくと、
かつてはちゃんと立ってたとおぼしき「津久見市」のカントリーサインが木にもたれかかっていた。
そしてあるものに気づいてズーム!
これまたいかにも昭和な、街燈的な照明器具…のなれの果て。やはり一応は公園として整備されたもののようだ。
最後にこれ。
この写真右手への分岐が、隧道改修前の道ではないだろうか。
この写真中央奥に素掘りの坑口があるという位置関係なので、小公園の園地を横切って続いていたっぽかった。
以上、まったくノーマークに見つけた今回の物件、大いに楽しめた。こういう予期せぬ出逢いが醍醐味なんだね~。