【3】より続く。
こんな一画にさしかかった。
広かったはずの路盤の内側が流されて崩れた場面。
その山側には
砂防を兼ねていたとおぼしきコンクリ壁が。もはやパンパン状態。昭和の構造物か?
路盤を崩したのは、
「上」からの流水による洗堀。
「上」と書きたいほどにこの道、一貫してなかなかの勾配が続く。もう一度地理院地図をご確認いただきたい。
歩き始めた地点が標高263m、ゴールが371mと、約1.5kmで108m登る。つまりだいたい平均7.2%の勾配で登り続けているわけで、そりゃあ水も流れるわと。
「流れる」ってことで、
ここでもコンクリ側溝の痕跡が現れていた。
そこから程なく…
空が開けて、正面に…見えてきた。
ズームすると、
わかりにくいかな?擁壁の上を横切る白いガードレール。あれが、皇子山カントリークラブを抜けて大回りしてきた幹1031号線である。つまりゴールが近づいてきたってことだ。
けど、最後にまだそれなりの高低差を残してるっぽいな。
この最終ストレート途中に、
幅こそ狭いが深めの洗堀が路盤を横切っており、これはオフ車でも無理かなと。
それをクリアすると、
右側にコンクリ擁壁が登場。擁壁の見え方で道の急勾配が伝わるかと。
擁壁の向こうには、
かつて何かがあったっぽい敷地が広がっていたが、今は何もない。向こうの斜面上には比叡平の民家も見えてきており、完全に比叡平の南端へ到達した。
再掲はしないけど、今昔マップの1892~1910年の地図によれば、往時の道はこの右方向へと延びていたように描かれている。それが上の写真の方向になるんだが、特にそれっぽい痕跡はないかな?こっちには立ち入らなかったのでわからないが。
とりあえず今現在は、残りの高低差を回収すべく、グイグイ登りながらの左急カーブ。
その内側にあったのが、石積みの土留めだった。
ゴール間近のここへきて初めて登場した、「なんか古道っぽい」アイテム。明らかにこれまでに登場した構造物よりも古い年代のものだ。これは…そうなのか?
左カーブから先を見ると、右カーブが続いている。
ステキな激坂S字カーブ。かなりエグイ勾配だ。
その途中にあったのが…
プーさん…
黄色じゃなくて青黒い腐乱死体みたいになっとるやないの…不憫すぎる。
このカーブ近辺、不法投棄ゴミが他にも散乱していて萎えた。住宅地近くの廃道とか、こんなんありがちよなあ。
ていうか、比叡平ってちょっと外れるとこんn…
続く最終の右コーナー。
このコーナー内側の一段高くなった部分も気になった。これは何だ?
なんとなくの印象が、遊歩道にあるような「ちょっとした植栽が施されていた部分」だったんだが、そんなわけないよなあ。
振り返った感じがこれ。かつては路盤の一部だったんだろうか。知らんけど。
正真正銘のラスト激坂。
もうあの上が、幹1031号線。
その合流部分は
香ばしいものだった。
【5】に続く。