比叡平への最短ルート車道訪問記【4】(滋賀県大津市山上町~京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【3】より続く。

 

 

 

こんな一画にさしかかった。

広かったはずの路盤の内側が流されて崩れた場面。

 

 

 

 

 

その山側には

砂防を兼ねていたとおぼしきコンクリ壁が。もはやパンパン状態。昭和の構造物か?

 

 

 

 

 

路盤を崩したのは、

「上」からの流水による洗堀。

 

 

 

 

 

「上」と書きたいほどにこの道、一貫してなかなかの勾配が続く。もう一度地理院地図をご確認いただきたい。

歩き始めた地点が標高263m、ゴールが371mと、約1.5kmで108m登る。つまりだいたい平均7.2%の勾配で登り続けているわけで、そりゃあ水も流れるわと。

 

 

 

 

 

「流れる」ってことで、

ここでもコンクリ側溝の痕跡が現れていた。

 

 

 

 

 

そこから程なく…

空が開けて、正面に…見えてきた。

 

 

 

 

 

ズームすると、

わかりにくいかな?擁壁の上を横切る白いガードレール。あれが、皇子山カントリークラブを抜けて大回りしてきた幹1031号線である。つまりゴールが近づいてきたってことだ。

 

けど、最後にまだそれなりの高低差を残してるっぽいな。

 

 

 

 

 

この最終ストレート途中に、

幅こそ狭いが深めの洗堀が路盤を横切っており、これはオフ車でも無理かなと。

 

 

 

 

 

それをクリアすると、

右側にコンクリ擁壁が登場。擁壁の見え方で道の急勾配が伝わるかと。

 

 

 

 

 

擁壁の向こうには、

かつて何かがあったっぽい敷地が広がっていたが、今は何もない。向こうの斜面上には比叡平の民家も見えてきており、完全に比叡平の南端へ到達した。

 

再掲はしないけど、今昔マップの1892~1910年の地図によれば、往時の道はこの右方向へと延びていたように描かれている。それが上の写真の方向になるんだが、特にそれっぽい痕跡はないかな?こっちには立ち入らなかったのでわからないが。

 

 

 

 

 

とりあえず今現在は、残りの高低差を回収すべく、グイグイ登りながらの左急カーブ。

その内側にあったのが、石積みの土留めだった。

 

ゴール間近のここへきて初めて登場した、「なんか古道っぽい」アイテム。明らかにこれまでに登場した構造物よりも古い年代のものだ。これは…そうなのか?

 

 

 

 

 

左カーブから先を見ると、右カーブが続いている。

ステキな激坂S字カーブ。かなりエグイ勾配だ。

 

 

 

 

 

その途中にあったのが…

さん

黄色じゃなくて青黒い腐乱死体みたいになっとるやないの…不憫すぎる。

 

このカーブ近辺、不法投棄ゴミが他にも散乱していて萎えた。住宅地近くの廃道とか、こんなんありがちよなあ。

 

ていうか、比叡平ってちょっと外れるとこんn…

 

 

 

 

 

続く最終の右コーナー。

このコーナー内側の一段高くなった部分も気になった。これは何だ?

 

 

 

 

 

なんとなくの印象が、遊歩道にあるような「ちょっとした植栽が施されていた部分」だったんだが、そんなわけないよなあ。

振り返った感じがこれ。かつては路盤の一部だったんだろうか。知らんけど。

 

 

 

 

 

正真正銘のラスト激坂。

もうあの上が、幹1031号線。

 

 

 

 

 

その合流部分は

香ばしいものだった。

 

 

 

 

【5】に続く。