【2】より続く。
ポータル脇に鎮座する、「隧道紀念」碑。
各自お読みいただいて…ってのも無理か(笑)。
前半には、
お決まりの…とか書くと失礼だが、羊腸のような坂路に不便を強いられ、隧道が求められて…という経緯と、その実現に向けて篠田氏(なぜか下の名前がない…)という人物が奔走した、などの経緯が刻まれていた。
そして驚いたのは、
「明治二十三年三月起工 仝(同)年十二月成功」と。
ええ~この隧道、明治隧道だったのか!?であれば、大正元年完成の網代隧道を優に超え、ほぼ間違いなく鳥取県最古の隧道ってことになる。じゃあ扁額にある昭和43年は、改修された際のものってことか?しかもたったの10か月で完成したとか、いろいろ驚き。
さらに気になったのが、
碑の建立が、なぜか完成後20年以上経った明治44年だということ。なんぞこのタイムラグは?
そして下部には、
「發起人」として刻まれた、篠田清蔵なる人物。これぞ、上部ではなぜか姓しかなかった「篠田氏」その人に違いない。
末尾には、
「石材寄附者」まで。
そして裏面には、
區長以下、多くの氏名が刻まれていた。寄附者…ではなさそうか。実際に役務に携わった村民とかだろうか。
とりあえず、文字の判読しやすい石碑でありがたい~。
そして、もう一つの石碑。こちらは「顕彰碑」と刻まれている。
比較すれば、見るからに新しい。どうやら昭和43年改修時のもののよう。
これは、なんとか各自お読みいただきたいが(笑)、これまた驚きの内容。
完成後78年、改修が必要となった隧道だが、地元の負担が大きく困っていたところ、アメリカにいた隧道発起人の孫・篠田茂三郎氏がそれを聞きつけ、祖先の志を継いで巨額の寄付を行ったと。
そのおかげで隧道の改修は成り、それに感謝しその功績を後世に残すべく、この石碑が建立されたと、まあこういうわけだった。非常に美しい話だ。孫の茂三郎氏は実業家だったのだろうか。
しかし…隧道にまつわる篤志家のエピソードで、昭和43年って知りうる限り最新かもしれん。
後はその先に、
みんな大好きまといリスとかもあった。タバコに「たばこ」って書いてあるのがニクイ。
ふと、カーブミラーの後ろから隧道を見てみると
なんじゃあこりゃあ。隧道にマント群落が覆いかぶさって、ちょっと見たことない感じになっとるぞ。
そして最後のこれ。
元画像をだいぶ拡大してよーく見たら、かなり細かい字でビッシリなんか書かれてるっぽいんだが、てんで判読できず。気になるなあこれ。
隧道が閉じられてるんだから当たり前かもだが、
轍はなかった。わたくしはここで撤収。
改めて隧道を、引きで。
お前さん、マジで前髪、鬱陶しいぞ(笑)。
ちなみに上を横切る平場は、現在の峠越え道。一見すると峠をショートカットするはずの隧道が廃されて、旧道が生き残ってるような、そんな状況に見える。実際はそうではなく、隧道よりも後につけられた林道?農道?であるようだ。後ほどあの道を通る予定だ。
さて、後はまた…
二度に渡るテレポーテーションを敢行。計四度の荒業、ちょっと疲れたっす(笑)。
距離にすれば、長くても片道250m程度を往復しただけなんだが、
45分かかったわ。
すっかり明けて車に戻ってくれば、
遠くに、薄く冠雪した大山の勇姿!いいね~。
隧道については以上だが、あともう少しお付き合いを。
まずはこれ、先ほど紹介した、峰越え道から見下ろした西側坑口。
写真中央、顕彰碑が小さく写ってるのが見えるだろうか。
そっからさらに下っていきまして…ここ。
ヘアピンの途中から分岐する激坂道に、見覚えのある「全面通行止」。これこそが大倉隧道へと至る道である。
仮に前回、「問題」なしにここまで到達できていたとしても、こっからは激坂歩きを強いられていたわけか。結果的に前回未遂に終わってラッキーだったのかも。
最後に、前回の「問題」について。
初回に書いた通り、
前回は西側からアプローチしたのだが、
その途上で、予想していなかった看板を見つけてしまった。
「関係車輛以外進入禁止」とな!?聞いてないよ!
企業専用道路とも明記されているものの、封鎖措置はなんら行われていないという、実に気持ち悪い展開。とりあえず気づかなかったテイで行こうと、もうしばらく進んでみたのだが、関係者っぽい車に出くわして逃げ帰ったと(笑)。これが懸念していた「問題」である。
で、今回は東側からこの道を辿ってみたわけだが、あちらからはこの看板は見当たらなかった(マジで)。が、下っていくにつれ「それらしい雰囲気」になり、ちょうど作業でもあるのか、朝も早いのに係員が道々に配置されていた。けど決して怒られることはなく、普通に通してもらえた。
これをどう解釈したらいいのかわからないが、どういう経緯でか現在企業占有道ではあるものの、東西を結ぶ道であるために、一般車通行の便宜を図っている、って感じなんだろうか。
そんなわけで、この隧道に訪問したい方は、東側(隧道名となっている大倉側)からを推奨する。でも、テレポーテーションは全然推奨しない(笑)。
以上。