出張の加減でちょっと遅れましたが、阪神タイガースならびにファンの皆様、セ・リーグ優勝おめでとうございます。
わたくし自身は、昔こそそれなりにプロ野球に関心を寄せていたものの、現在は正直いちミリも興味がないのですが、まあネタだけは乗っからせていただこうと。
つうわけで、このタイミングでやらないと、今後いつやれるかわからない…そんなネタを。まあ今度は日本一になるかもしれないし、来年も連覇するかもしれんけれども、期待は禁物 それはそれで。訪問は2023年5月某日。この時点では、まだ阪神優勝を予見してはいなかった(笑)。
ここはQ地図様で見つけ、ぜひ訪ねたいと思っていた物件で、もうね、タイトルだけで明確な、いわゆる出オチ物件ではあるのだが、
昭和中期テイストの、実は案外いい感じの橋なのよ。
まあ幅が広くて、
この角度で見るとちょっと間抜けではあるのだが。
で、さっそくながら
お名前なのだが…
ハイ、もちろん!
タイガース感皆無なこの地味橋がタイガース橋!
場所はこちら。
しかし、なんでこうなった?
橋詰にはその答えが。「高槻まちかど遺産」と書かれた説明板だ。
読めるようにしておくので、
内容は各自お読みいただきたい。
個人的に気になったのは三点。電鉄ってこの流れだと阪神のことかと思ってしまうが、実際どの電鉄会社?またなんで共同で架けたのか。子会社だったとか?
最後の一点。高槻市に譲渡されるまでは企業所有の橋だったということになるだろうが、
だとしたら、この橋は工場敷地への橋だったということなんだろうか?道路より手前側まで敷地が広がっていた?
そう思って今昔マップで確認したら、当初より工場敷地は上のサイドアングルで背後に写ってる金光大阪中学校・高校と同じ。
やはり最初から通常の道路だったようなのだが、
それをなぜ企業の負担で架けたんだろうか。
その見返りとしての、
ネーミングライツ、的な?てきな?知らんけど。
お誕生日、
「昭和三十七年九月竣功」。
しかしこんなところに、阪神の前の前の前の…さらにその前の優勝にちなんだ橋が架けられていたとは、面白いもんだ~。
ウィキ先生に聞いてみれば、案内板にあった1937年の優勝とは、前身時代ではあるもののタイガースとして最初の優勝だったようだ、さらに案内には書かれてなかったが、架橋された昭和37年にもタイガースはリーグ優勝していた!
この橋って、タイガースファンの聖地になってもいいんじゃないの?道頓堀川に飛び込むよりも、こっちの方が安全かもしれんぞよ。地元の方に迷惑か(笑)。
橋を記録した後、案内板にあった現在も操業しているという関連会社を見に行ってみた。
国道171号に面して、
ありましたね~。「タイガースポリマー株式会社」。
直接阪神と関係ないとしても、
マーク?も虎柄、ユンボも虎柄(笑)。いや~、意外な歴史ありですなあ…。
つうわけで阪神タイガース、どうせなら日本一も目指して頑張ってくださいね~。クライマックスシリーズなんていう、アホが考えたとしか思えないとこで負けたりしないように、お祈りしておきますよ。