【前篇】より続く。
熊坂隧道東側を確認したわたくし、
反対側に回ってきた。現在地こちら。
目前の熊坂橋なる橋を直進したあの先に西側坑口があるはず。
さっそく進むと、
「この先トンネル内通行禁止 入善町」。
隧道封鎖前に立てられたものだろう、すっかり褪色して肝心なところが見づらいが、もはや閉じられてしまってるからには関係ない。こっち側はこんなに立派な道路がついているのに…。
予期されたとおりに、
やる気ない封鎖で終了。
わかりにくいが、さらにその先には獣害除けの電柵が微妙な高さに張られていて、慎重に通過。ドンツキには…もう見えてる。
はいこちら、
熊坂隧道・西側坑口。東側に比べるとぜんぜん開放的で、全体の様子がよくわかる。
注目いただきたいのが、左右の玉石練り積み擁壁の見え方。広い道路が、まるで漏斗の口のような隧道に収斂しているのがよく伝わると思う。まさに、文字どおりのボトルネック。
扁額は、
どうやらまったく同じよう。型から造ったと思われる。
こちらもやはり、
スパンドレルに情報が刻まれている。
てことは、さっき判読できなかったお誕生日が、ようやく…
見づらい~(笑)。
あんまり見づらいので、得意の煽り照明を当ててみたのが上の写真だが、うーーん。たぶん「昭和二十六年三月竣工」だと思うのだが、あんま自信ない…。
お約束の、洞内観察。
具体的にどことは言えないけど、とっても既視感ある感じ。側溝も完備。
ズームで見てみると…
やはり向こうの光の見え方がおかしい。さっきもそうだったから、どうやら中央付近で崩れてるっぽいな。
調べてみたが、隧道内崩落がいつ発生したのかははっきりしなかった。ただ、「平成13年度入善町まちづくり懇談会記録誌」に、住民からの「熊坂トンネルを通行止めにしたが、人が通り、危険である。どうにかならないか。」との声に対し、「熊坂トンネルの人の出入りを止めるよう早急に対応する。」と町長が回答しており、崩落はおそらく平成12年か13年ごろだったこと、当初は厳重な封鎖措置はとられていなかったが、平成13年か14年ごろには封鎖されたことがわかる。
つまり、訪問時で封鎖後16~17年が経過していたことになる。
こちらも、これ以上はやれることなし。
撤収~。
最後に振り返り~の引きアングル熊坂隧道。
確かにボトルネックだけど、なんかもったいない立地だ。通れたらそれなりに有用そうなのにな。
こういう、
必要十分な道路も整備されているのに。
最後にせっかくなので(?)、
全然面白くない(笑)熊坂橋にもちょこっと触れておこう。
かなでの橋名、
なんか親しみやすい、いい感じの字体。あくまで主観。
そしてお誕生日だが、
「平成九年十月竣工」ということで、せっかくこのつまらないけど立派な橋が架かったのに、その3~4年後には隧道が崩落して通行止め、アクセス路としての役目を失ったまま今に至る…。
このまま隧道は朽ちていくのだろうか。
実は、閉鎖されて10年以上経った「平成25年度入善町まちづくり懇談会記録誌」には、以下のような質疑応答記録が残されている。
【住民】
(前略)また、あわせて熊坂隧道の整備をお願いしている。地区住民からの要望も沢山あり、バーデン明日、谷江の堤、舟見山、熊坂、舟川沿いといった、サイクリングやハイキングコースの設定は自然を活かした交流施策として有効と思うが、今後の見通しはいかがか。
【農水商工課長】
(前略)また、熊坂隧道の整備については、かつて町で整備について計画していたことがあったが、これも多額な事業費がかかるということで断念した経緯がある。この熊坂隧道を整備すれば、周辺のいろんな観光資源への回遊性が向上し、舟川沿いを通るサイクリングやハイキングコースの設定も可能になることから、観光資源としての魅力の向上、交流促進にもつながると考えている。また、バーデン明日の利用促進にもつながると思われることから、今後、県営事業の活用なども視野に入れながら、整備を検討していきたいと思っている。
…ということで、まあいかにもお役所的な答弁ではあるが、行政としても一定の価値は見出しているよう。この時以外にも、何度か隧道復活または再整備のトピックが記録誌や議会だよりなどに登場している。
「地区住民からの要望も沢山」ともあり、県の補助含め財源さえ取れれば、というニュアンスが感じられるが、結果として現在に至るまで復活は果たしていないようだ。
つうわけで、記事タイトルには便宜上「(廃)」なんてつけているが、実際には供用停止中ってところなのかも。こういう長きにわたって閉じられていた隧道が復活を果たすケースって、まれにあることなんだろうか。そうなれば胸アツだけれど、果たして。
いつか来るかもしれない「その時」を、
熊坂橋は待っている。
以上、きれいに納まりましたな(笑)。















