【1】より続く。
今登ってきた斜面を見下ろすと、
こんな感じ。手がかりは多いけど、とにかく滑りやすかった。
おおよその現在地こちら(マピオン地図ではここ)。
地形図を見れば、これより上流側ではもう登れなさそう。この直登で正解だった。
さて、ここで改めて大事なことをご説明。
今立っているこの平場(=点線道)、
実は単なる登山道などではなく、かつての森林鉄道の路盤跡。なんなら、対岸の安川大塔川林道(ノートさんを停めてる林道)も同様である。
林野庁の「国有林森林鉄道路線一覧表」データによれば、安川大塔川林道の前身である「大塔林道(林道とあるが林鉄のこと)」は、1910(明治43)年開設と全国的に見てもかなり早い時期に敷設されたようで、廃止は1959(昭和34)年。延長は13,870mとある。
そしてここ、「大塔支線」の開設は、かなり下って1953(昭和28)年で、廃止は本線である大塔林道と同時。つまりはたった6年しか存在しなかった、超短命な線区だったのである。そして延長は700mと、こちらも短い。
大塔林道は先述の通り道路に転用され、安川大塔川林道として通行可能(この日この後でたっぷり堪能した)だが、かたやこちら大塔支線はこの状態。かつての本線である安川大塔川林道との接点であった橋も失われ、孤絶状態で放置されている。
前説としてはこのような感じ。実にそそる設定(笑)ではあるが、師匠が訪問してから11年が経過、状況は予断を許さない。慎重に探索し、無理はしないことを肝に銘じた(またしてもフラグ・笑)。
つうわけで、早速に進軍開始したいところだがまずは、
大塔川に架かっていたはずの橋の痕跡を探しに行ってみる。
すぐになんか見えてきたが…
ええ~。
なんでここに
ビールケース?
このロゴを見るに、最近のものではないがめっちゃ古いわけでもなさそうだ。誰が何のためにこんなもん持ち込んだ?謎。
で、その先ほどなくで
路盤跡は少々広くなった。
もうあの先が大塔川のはず。いろんなアイテムが一気に目に入ってきたので、順に見ていこう。
まず手前。
それなりに古そうだ。
そしてその先、
木に何か貼られているのと、突き当りには…よく見るやつ?
木のやつは、
植物採取禁止の警告。
突き当りのは、やはりこれ。
鳥獣保護区の標識だった。
それに隠れるようにあったコイツがナイス。
火の用心 by 林野廳。
「廳」はもちろん「庁」の旧字。これはどうも…林鉄現役時のものじゃないか!?前身の林野局から林野庁という名称に変わったのが1949(昭和24)年と、ちょうどこの線区の現役時にピタリとはまるので、そうであっても不思議はないと思う。
で、この鳥獣保護区標識の先はもう大塔川の断崖なのだが、
足で踏んでるコイツ…怪しいな。
サイドから見てみて…ビンゴでしょこれ。
かつての橋台に間違いないと思う。
「かつての」と言っても、林鉄時代のものか、廃止後に新たに架けられたものか。そのあたりは一切不明ながら、林鉄橋梁だったとしたならけっこうなスケールの橋梁だったと思われる。たぶん木製…たぶん上路トラス…知らんけど…(笑)。
その脇から、
明瞭な踏み跡が大塔川へと下って行っている。
おそらく本来はこれが(失われた橋を補完する)正規ルート。師匠も確かここから登ってきたはずだ。
色々スッキリしたので、
戻ろう…としたところで、はっけーん。
上の写真で見切れているが、黄色矢印の方向に…
ぶっ倒れた標柱。
ある面には
ひと文字、「山」と。
で、その裏(に当たる面)には…なんだ?
「0六」(ゼロロク、っすよね?)は明瞭に判読できるが、最初の数字が「一」にも「二」にも、見ようによっては「三」にも見えるという…(笑)。でもたぶん「二」かな?
何の数字だろうこれ。普通に考えればキロポストって思いたいところだが、この大塔支線の延長はたかだか700m、しっくりくる数字ではない。
ちなみに大塔支線の延長がこれっぽっちではなかったことは、すでに師匠のレポで知っちゃっているのだが、さりとて最低でも「一0六」に達するほどだったとも思えないしなあ…。結局よくわからんままだ。
この謎標柱の位置からは、
先ほどの橋台の逆サイドがよく観察できたが、こちらは比較的よく石積みが残っていた。
アイテム豊富だった、かつての橋詰。
これを後にし、いよいよ探索本番、待ったなし!時刻は11時12分。
【3】に続く。