【前篇】より続く。
これはまた…
過去お目にかかった覚えがあまりないビジュアル。なんか隧道というより…坑道入口のような。
まさか…先ほどご婦人から聞いた鉱山…じゃないよな。
坑道というイメージを強めるのは、
一切明かりの見えない素掘りの洞内のため。
とはいえ、そんな気がするだけ。風が通りまくってるわけではないものの、閉塞隧道のあの澱んだ空気感はない。実際は単なる隧道だし、延長もそんなになさそう。
ただ、この坑口部分の補強だけは…
なかなかのレアケースかと。
こんなペナペナなコンパネ?程度でどんだけの効果があるのか…。台帳に載ってる隧道だから、お役所が此処にはこれで良し、と判断したってことなのだろう。コスパいいな(笑)。
さて、この洞内。
現役(一応)として行政が管理している隧道としては、究極になにもない。洞床までも含め、完全素掘りの無照明とは、こりゃ凄いな…。
少し進入したところで、
久々の暗闇を愉しむの儀。
…なんだが、こうして照明を消してみると、ほんのわずか明かりが見えた。写真でわかるかな?中央ちょい下…汚れじゃないのよ(笑)。やはり途中で曲がっているだけのようだ。
ちなみに同じ場所で
フラッシュ・オン。
もう少しだけ進んでみると…
はい、向こうの明かりが見えました~。
好きだな~この瞬間。
ホッともするし。
最後はまた微妙に
右曲がり。かつ少し幅員も広がっている。けど普通車でもなかなか厳しかったでしょうな…。
再度フラッシュ・オン。
うーむ、いつも書いてるけど、やっぱりフラッシュ焚くと情緒がないよな(笑)。あんま好きじゃない…。
隧道を抜けた道は、
さらに続いていく。
これを辿っていけば遠からず鉱山があるのだと思ったが、なにぶん時間がないので、ここまでとした。まあわたくしの目的は隧道だけなので。
振り返り~の坑口。
こちらは何の補強もされていない。まるで洞窟。
帰ってから調べたところ、この奥にあったのはタングステン鉱山である「喜和田鉱山」。1992年に操業停止、2005年に閉所となった、「日本最後のタングステン鉱山」だったのだそう。坑道はすべて閉鎖されているものの、事務所跡などは残っているとのこと。
現在の道路ができる前には、隧道擁するこの道が鉱山へのアクセス道路だったのだろうか?こんな道で鉱石の搬出ができたとは思えないが、あるいは単なる近道?このへん、よくわからないままだ。
ちなみにこの釣上隧道、完成は1950(昭和25)年とのことなんだが…なんか疑問が残る。戦後に掘ったこの短い隧道で、あんなに曲がることってある?あれが測量ミスによるズレによるものでないなら話は別だが。
1950年って、すでに喜和田鉱山がタングステン鉱山として本格稼働し始めてから14年も経った時期。そんなタイミングで、生産体制になんら寄与しなさそうな、こんな貧弱な隧道を新たに掘るかね?
これ、帰りに気付いたのだが、
天井部のこの三角形の掘り込み、観音掘りじゃないのだろうか?
これは参考写真、千葉県の柿木台第一隧道(記事にはしてない…)。
観音掘りとは日本古来の掘削技術で、このような天井部の尖りが特徴である。ざっくり言うと、この形状で地圧を逃がして崩落を防ぐ…ものと理解している。ちなみに、この柿木台第一隧道は1899(明治32)年完成だそう。
釣上隧道のこれが観音掘りだとすれば、
もれなく古い…それもかなりの古洞であるということになってくる可能性があるのだが…。どうなんだろう。
戻りに動画を撮ったので、よろしければ。
この観音掘りっぽい部分には、動画を撮ってるときに気付いた。なので先の写真は、この動画からのキャプ画である。
そんな目で見れば、この道だって、
そうそう新しい道にも見えないな。
まあ、例によってこれ以上調べないんだが(笑)。
以上。