【前篇】より続く。
予想に反して、「古くない」旧橋。これはどういう状況…?
わからない。とりあえずできるのは、
渡ること。
そして、驚きの(でもどこかで予測していた)発見。
この路面は…車道橋じゃないな。
上流側…を見ると、自ずと新旧の橋を見比べることになるが…
やっぱこれ…「旧橋」であるこちらが「そう古くない」という多大なる違和感。
この状態はやっぱり…そういうこと?
はい?どういうこと?(笑) いや、そういうことでしょ(笑)。
渡りきって正対。
でもやっぱ、廃橋以外のナニモノでもない…よな。
こんな新しい感じの廃橋ってそうそうない。あの木天蓼橋ほどじゃないけど。
こっちもまた、お名前と、
反対側は河川名という取り合わせ。
オイオーイ!お誕生日を出してくれや!(ヤカラ的にブチ切れ)
改めて…
コチラ現橋の「新」前坂橋。
でコチラ、
「旧」前坂橋。やはり同時期頃の橋にしか見えない。
調べてもどういうことなのかわからなかったが、大野市のホームページにて「新」前坂橋の完成年だけは昭和61年だとわかった。
*画像は大野市ホームページ内「越前おおの写真館」よりお借りしました。
この画像に、「昭和59年から工事が進められていた新前坂橋が完成し、その開通式の様子です。」というキャプションが添えられていた。
現橋が完成・供用されてから(訪問時で)30年ちょい。
上の写真に旧橋が一切写り込んでいないのが非常に惜しいのだが、
その旧橋なのだからこんな(今のような)ビジュアルだったはずはない。
この文字通りのパラレルワールド的状況、考えられることはひとつしかない…と思う。
現橋が完成・供用されると同時期に、旧橋は化粧直しの上で「人道橋化」されたのだと思う(さすがにお金をかけて架け替えまでは…しないよね?)。
【前篇】でチラッと紹介したように、橋の石徹白側のたもとには数台分の駐車スペースが設けられている。今となっては計り知れない理由(笑)により、ちょっとあそこに車を停めて、プチ散策…するようなイメージで、この何もないところにわざわざ人道橋として再整備、したのでは?
…知らんけど。
そこら辺の写真をちゃんと撮ってなかったんで、ストビュー画像で補足。
左に移ってる木製のトーテム的なやつ、観光地入り口あたりで見るタイプの色んな看板がくっつい(て)たやつのなれの果てじゃ?
元はなにか散策するに足る材料があったのかもしれない(あるいは藪に呑まれたのかも)が、
現状ではある意味オーパーツ的な、えも言われぬ珍妙な廃橋になってしまっている。時空的トマソン、とでも言おうか(意味不明
なんだか…不憫さと不条理さがエグい。
訪問を願っていた橋は、
なんだか全然、思ってた感じじゃなかった。
しかし、これもまた事実。こういう物件もあるんだな~と、妙に感心したと、まあそんな話。
以上。
予告篇で煽った期待値を越えられただろうか。不安(笑)。