2012年10月26日、名古屋在住時の休日徘徊でたまたま出会った物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、今は亡き神宮前の古レール跨線橋。
この頃足しげく仕事で通っていた有松。この日は、いつも電車から見える神社に寄りがてら、鳴海駅~有松駅の間を歩いた。
で、その神社、
有松天満社に到着。現在地コチラ。
由緒書を読みつつも、
特段なにかを期待していたわけではなかった。のだが。
境内に入ってすぐに…おや?
「虹橋 こみち」?側面には「昭和五十九年一月」とあった。
そこにあったのは、果たして
紛うことなき石橋。
とはいえその下に流れはない。周囲の状況も踏まえ、これはきっと近隣にあった石橋の移設保存だろうな、と思った。これは嬉しい出会い!
左の親柱には何も…と思いきや。
上部に「改造発起者」、その左側に「氏子●●(総代?)」と。
その下には八名分ほどかな?氏名が刻まれていた。
改造とは?と思ったがすぐさま解決。
「大正九年九月改造」。なるほど、やはり橋の改造ね。
しかし、こっちはこんなにも読み取りやすいのは、何が違うんだろう。
ちゃんと渡りまして、正対。
木漏れ日の中の石橋。なかなか雰囲気ありますな~。
コチラの親柱は、
どちらも「虹橋」。素敵な親柱だが、どっちも橋名って情報の配分がおかしい(笑)。
サイドアングル。
桁橋だと思われるが、ほんのり反ってるな。
こっち側の側面を観察していて、
見つけちゃった。
石桁の側面に…
「願主」として多くの氏名が刻まれていた。
この思いがけない出会いは嬉しかったが、(少なくとも当時は)現地に解説板のようなものはなかった。
記事を書くにあたって改めて調べてみると…見立てどおり移設された橋であることは確かなようだが、架橋位置については最初「??」状態だった。
なぜなら、あるサイトでは「参道の切り通し(なんやそれ)に架けられていた」と、また別のサイトでは「(近隣の)手越川に架けられていた」と書かれていたので、てっきり諸説?あるのか?と思ったのだが…。
なんのことはない、さらに調べると、参道の「切り通し」とは鳥居前に至る150mほどの直線部分を指すようで、そこを横切る川は手越川なので、結局表現が違うだけで同じことを指していたわけだ。
あいにく写真を撮ってなかったので、またグーグルマップのヘルプを仰ごう。
要は、この橋だ。ここにかつて架かっていたのが、あの「虹橋」というわけ。あースッキリ。
大正九年に「改造」されたのがあの橋ということだが、それ以前のはどういう橋だったんだろう。天満社参道ということだから、差は石橋ではあったんだろうか。
なんにせよこの虹橋、江戸時代末期ごろに編纂されたとされる「尾張名所図会」にか描かれているという由緒ある橋のようである。
この「虹橋こみち」を過ぎて、
天満社本殿に至るのであろう石段が始まる。
かなり雰囲気のいい石段ではあったが、
この時点でけっこうな距離を歩いていたわたくし、失礼ながらパスしてしまった。失礼なやつ…。
思わぬ石橋との出会いにテンションが上がった、そんな有松の思い出(笑)。
以上。
※本来なら「遺構その他」あるいは「気になった社寺」テーマが適当かと思うが、まあ「橋」なんで…(笑)。