【前篇】より続く。
隧道手前は橋になっていて
下流側には親柱がわり?に、警戒色に塗られたコンクリが残されていた。
しかし、狭い橋だ。国道でコレはないわ~。
さて、ようやく
隧道に正対。当然こちらも閉じられている。
それは想定内だが、案外いろいろ見どころがありそうだ。順に見ていこう。
まずは、残された看板類ね。
「トンネル内追突注意 車間距離を守れ」
と、
「大型車は離合注意」
と…あれ?白いやつちゃんと撮ってない。
元データを拡大して見たら…
「この信号機は除雪車通行の時使用するもので、その他●●●禁止する。」
と書かれていた(若干の脳内補完も含んでいるが、伏字部分は全く判読できず)。
信号機とやらはもはや見当たらないが、よく見たらすぐ横に何かが取り付けられていたと思しき金属支柱が残っている。ここに簡易な信号機が取り付けられていたんだろうか。
続いて、扁額。
これまた木が覆いかぶさってよく見えないが、「江野隧道」だろうな、普通に。
で、その植生やらなんやらで目立たないのだが、
コンクリートポータルのスパンドレル部分には、シャレオツな幾何学模様がデザインされている。初期のコンクリート隧道で時々見かけるが…。
ただ、帰って調べてみたら、その竣工年度は1952(昭和27)年と、決して「初期」ではない。戦後生まれにしては、クラシカルな意匠ですなあ…。
よく覚えてないが、端にちょっとだけ隙間があったようで、おそらくそこから覗いた洞内。
さっぱりわからん(笑)。両側が封鎖されているんだからして、当然漆黒の闇である。
同じく調べによると(ちなみに「隧道データベース」による)、この隧道の延長は実に840m。変に入れる状態になっていてもちょっと引くので(笑)、封鎖されてて助かった(謎)。
さてー。
ふと気づいてしまったのだがこの隧道、上に登れそうだ。
例のスパンドレルを間近に鑑賞してから、
上へ。
さして写真を撮ってないところを見ると、琴線に触れるものは時になかったとみえる。
撮ってたのはこれだけ、
ポータル上からの旧道見下ろし。
堪能した。(ちょっと久々)
最後に、封鎖壁に背中をつけて一枚。
嗚呼、馨しき廃のかほり(バカ)。
撤収。
わたくしここを探索してる間に、現道を通りかかったよとと隊長がノートさんに気付いてたそうで、奇遇にもこの後の某隧道で出会うことになるのだが、それはまた別の話。
以上。