廃村・狂小屋とその奥探索記【8】(岐阜県揖斐郡揖斐川町櫨原) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【7】より続く。

 

 

 

ここで寄り道、地理院地図で見て気になっていた建物表記の正体をチェック…って、

めっちゃまともですやん。

 

三棟が見えたが、うち二棟はちゃんと建っている…つうか、現役?

 

 

 

 

 

 

 

それなりに手が入っていて

手入れ、刈り払いもそれなりにちゃんとなされている。あ…また見つけちゃった(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

倒壊してしまっているひと棟は、

たぶんこれとおなじような造りだったんだろうな。トタンの色も同じだし。

 

 

 

 

 

 

 

で、見つけちゃったものをチェック。


さすがにスピンオフを乱発しすぎなのでこれは通常記事に格納しちゃうけど(笑)、

 

 

 

 

 

 

 

本日三台目…いや、

最初の原付を含めると四台目の草ヒロ登場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これって、

ダイハツのミラ?かな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ビックリ仰天するものを見つけた。

 

 

ふと足元を見て、花の種を植えた目印が…

「令和元年」。めっちゃ最近やん!

 

こんなところで令和の年号を見ると思わなかった。それでも2年ほど前にはなるんだけど、「あの世」化した後も、ここの持ち主が時々やって来てる、ってことなのか。

 

どうでもいいことながら…令和元年に植えたコスモスの種がこの状態って、動物に掘り返されて食われちゃったかな?だとしたらかわいそう。

 

 

 

改めて私有地感が高まったので、そそくさと脱出(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回最後にも書いたが、ここはもう狂小屋にほど近い場所。

 

新たなスクショで確認していただくと、こう。

現在地は左下、「Google」のGのところ(笑)。

 

つまり、狂小屋まではもうあと数百mまで接近している。ラストスパートだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのカウントダウンとなる道でも、

なんか見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、こんな小屋。

これもバリバリ現役っぽい。やはり今でも用があって(登山やトレッキングでなく)ここまで来る人はいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、対岸に見えてきたのは、

明らかに農地であったとおぼしき平場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ

狂小屋は近いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほどなく、視界が開けてきて…

 

着いたな。

ここが、狂小屋(きちがいごや)

 

 

時刻は8時38分。渡渉して廃道に入ってからは56分、進軍開始からは2時間14分が経過していた。

 

 

 

 

【9】に続く。