【2】より続く。
この連載の中で、何度か「半死半生橋」と書いてきた。
立入禁止とされていないにもかかわらず、実態としては限りなく廃に近い。未だ管理はされてるのだろうか、ホントに?
戻りに撮った、
三代そろい踏み写真。
こうして見ると、もうちょっとだけ頑張れば少し植生が薄まっていたようだ。気付いたとて、もう戻る気はしない(笑)。
それにしても、
あのカーブは不自然やな~…とか、この期に及んでまだ考えていたわたくし。
だが、ふと見おろしてみて…
あれは間違いなく、橋脚の基礎…ですな。
ようやく悟った。あの位置に橋脚基礎遺構ってことは
こういうことですな?いや遅っ(笑)。
つまり、こちら側の橋台のみを寺渕橋に引き継いでいるのだと思われる。それはわかるが…ワンスパンだけぴょこっと斜めに出して、中央スパンからまっすぐにするとか意味不明。なんでまっすぐ架けなかったんだろうか?橋台の構造的・強度的な要因があったんだろうか。謎。
謎といえば、先代橋も中央径間スパンが長く取られた型式だったっぽいが、それにしちゃあ橋脚が華奢で、鋼製アーチなんかが載っかてたとは思えないのだが…。どんな橋だったんだろうか。
見識に乏しいわたくし、
謎が解決しないままに撤収。
しかしながら、ここで、
行きには気づかなかったものに気づいた。
これは振り返ったところだが、
右側(川側)の路外に…こう見ると明らかだ。
間違いなくこの平場、
あの先代橋につながっていた旧々道だ。
明確に残っていたのはこの一画だけだったが、気付いてよかった。
最後にコチラ、お約束通りに(笑)
宮川大橋から望む、寺渕橋。
コメントをいただいたハマーズさんの記事を拝見して思ったのだが、もしかしてこの先代橋遺構、
真冬にしか視認できないのかもしれないな。だとすれば、あまり知られていないのも納得なんだが。
改めて見たら、橋脚の数や位置も含めて、なんか不自然やな~。スッキリしない点ばかりが増えてしまったが、それもまた一興(笑)。
以上完結…ではあるけど、ついでに宮川大橋も記事にしとこうかな。