寺渕橋と先代橋遺構など【3】(三重県多気郡大台町菅木屋~下真手) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【2】より続く。

 

 

 

この連載の中で、何度か「半死半生橋」と書いてきた。

立入禁止とされていないにもかかわらず、実態としては限りなく廃に近い。未だ管理はされてるのだろうか、ホントに?

 

 

 

 

 

戻りに撮った、

三代そろい踏み写真。

 

こうして見ると、もうちょっとだけ頑張れば少し植生が薄まっていたようだ。気付いたとて、もう戻る気はしない(笑)。

 

 

 

 

 

それにしても、

あのカーブは不自然やな~…とか、この期に及んでまだ考えていたわたくし。

 

 

 

 

 

だが、ふと見おろしてみて…

あれは間違いなく、橋脚の基礎…ですな。

 

 

 

 

 

ようやく悟った。あの位置に橋脚基礎遺構ってことは

こういうことですな?いや遅っ(笑)。

 

つまり、こちら側の橋台のみを寺渕橋に引き継いでいるのだと思われる。それはわかるが…ワンスパンだけぴょこっと斜めに出して、中央スパンからまっすぐにするとか意味不明。なんでまっすぐ架けなかったんだろうか?橋台の構造的・強度的な要因があったんだろうか。謎。

 

謎といえば、先代橋も中央径間スパンが長く取られた型式だったっぽいが、それにしちゃあ橋脚が華奢で、鋼製アーチなんかが載っかてたとは思えないのだが…。どんな橋だったんだろうか。

 

 

 

 

見識に乏しいわたくし、

謎が解決しないままに撤収。

 

 

 

 

 

しかしながら、ここで、

行きには気づかなかったものに気づいた。

 

 

 

 

 

これは振り返ったところだが、

右側(川側)の路外に…こう見ると明らかだ。

 

 

 

 

 

間違いなくこの平場、

あの先代橋につながっていた旧々道だ。

 

明確に残っていたのはこの一画だけだったが、気付いてよかった。

 

 

 

 

 

最後にコチラ、お約束通りに(笑)

宮川大橋から望む、寺渕橋。

 

 

 

 

 

コメントをいただいたハマーズさんの記事を拝見して思ったのだが、もしかしてこの先代橋遺構、

真冬にしか視認できないのかもしれないな。だとすれば、あまり知られていないのも納得なんだが。

 

 

改めて見たら、橋脚の数や位置も含めて、なんか不自然やな~。スッキリしない点ばかりが増えてしまったが、それもまた一興(笑)。

 

 

 

 

以上完結…ではあるけど、ついでに宮川大橋も記事にしとこうかな。