月曜から久々の鹿児島出張5日間の旅ですので、その間はこれまた久々の出張進行ネタでお送りするかと思います。悪しからず。
で、古ネタ投棄強化キャンペーンは継続中ですので、またぞろミイラ級古ネタを2回に分けてお送りいたしまする。
2009年8月16日、湖北方面徘徊の際のネタ。この日のネタで記事にしているのは、ここの直後に訪ねた新塩津中函渠&塩津中橋渠。似た系統のネタである。
まずはこれ。
国道8号から滋賀県道33号西浅井余呉線に入ったところ。現在地コチラ。
先のほうに、黄色の目立つ看板が掲げられているのが見えるだろうか?
そこに書かれているのは、
そう、この県道は短いながらも分断県道なんである。ここ西浅井町祝山(ほりやま)地区から余呉湖北西畔に余呉町川並地区の間が、自動車交通不能区間。
この間がどうなってるのか興味があって、そのうち行こうと思いつつ早10年(笑)。拙ブログ界隈のオフ車二輪乗りの皆さま、見てきてたもれ(笑)。
そのまま道なりに進んでいくと、
獣害よけフェンスに突き当たった。この先にターゲットがあるので、こっからは歩きでアタック。
ちなみに、ここはすでに県道ではない。ここの少し手前の右への分岐がそれである。
歩き始めてすぐ。こういう場所に出る。
同業各位ならばすでに嗅ぎつけられただろうが(笑)、ここは道なりに右へ。すぐに行き止まりのはずだが、どんな様子なのか興味があった。
すぐに木立が開けたそこは、
北陸本線の線路脇。おそらく保線業務で使われている道なのだと思う。現在地コチラ。
単線に見えるが、目前に見える下り線よりも一段上に上り線が敷設されている。良くていただくと、上段にも架線柱があるでしょ。
遠くに見えている坑口は、
下り線の新祝山トンネル、余呉方坑口。
で、反対方向を見ると、
こちらは新余呉トンネル、近江塩津方坑口。
そう、ここはトンネルに挟まれた明かり区間。「新」とトンネル名にあるように、この下り線は1965(昭和40)年の複線化に際して新たに敷設された新線である。
ちなみに、特急列車が余呉方からトンネルに進入してくると、
ピストンの原理?で白い靄が洞内からブワーッ!と吐き出されてくる。これはなかなかおもしろかった。特急でなくてもこうなるんだろうか?
せっかくなんで、ちょっと上り線のほうにもお邪魔してみた。
こちら祝山トンネルの余呉方。
でこちら。
余呉トンネル、近江塩津方坑口。
まあ、オリジナルの上り線ではあるけど、こちらも1957(昭和32)年敷設と新しい路線なので、構造物にも面白みはない。なにしろこの区間(木之本~敦賀)のオリジナルは、柳ヶ瀬隧道を経由する1882(明治15)年開通の最古参ルート。そちらは鉄道路線としてはすでに廃されて久しい。
…という、まあさほど面白くもないトンネルを確認してから、改めてメインターゲットへ向かった。
思いっきり小ネタなので期待しないでいただきたいが、思えばこれ、自分史上初めてのアレだったのかな。
【次回】に続く。