【前回】より続く。
少し戻って、前回記事でも出したこの写真の場所に。
場所はコチラ。もちろん今度は…左ですな。
すでにお気づきだっただろうが、その先には、
なかなかのオーラを放射している穴が。
地図を見ればわかるとおり、これは北陸本線の下をくぐるカルバート。ここに線路が敷かれる前からあった道を通すためのものだと思われる。
そう、単なる人道のカルバートなんだけども、この雰囲気は…。
銘板があった。
「祝山函きょ」。
最下部にある施工期は、1963-12~1964-2。前回書いたように、複線化でこの下り線が開通したのが1965(昭和40)年。当たり前やけど、ちゃんと時期も合いますな。
ボックスカルバートの奥をよく見ると、
途中で断面が変化している。
もちろんあそこが、オリジナルの上り線の下に通されていたアーチカルバートとの接続点である。
で、書きながら思い出したのだが、この穴、わたくしがこの趣味で初めて「怖い」と思った穴だったと思う。つうか、怖いと思うような穴に入ったのが初めてだったと思う。
この日は無照明で(いや、実は当時まだマグライトさえ持ってなかったような気がする)、初心者の自分はおっかなびっくり。写真はかなり明度補正してるが、実際は真っ暗け。
今なら鼻歌交じりでイケると思うが、
けっこうな雰囲気ではあった。実態としては廃隧道探索に等しかったかと(笑)。
銘板もなんもなかったが、違う名称とは思えない。
ただしこっちはボックスカルバートじゃないので「函渠」じゃおかしい。よってアーチカルバート、すなわち「拱渠」が正解だろうと。
ここまでは普通車までならなんとか、というサイズだったが、抜けた先は
ダメだこりゃ~。轍さえもない完全人道。
この先は辿らずに戻った。
怖かったが、抜けなきゃ帰れないし(笑)。
ここまでずっとスルーしてきたが、
放物線アーチやったんよね、ここ。何気に珍しい…って、当時はそんなこともわからんかったけど。
あと、こうもりさんの飛翔を初体験したのもここやったな~。写真には写ってないし、今思えば数匹程度のささやかなもんだったが、それでも暗黒と蝙蝠のコンボは、初心者にはけっこう効いた。
なんとか撤収。
改めて航空写真を見たら、
このあたりの様子、割と変わってるっぽかった。
この日以降、国道8号は何度も通ってるけど、こっちには入り込んだことがない。分断区間の探索、マジで行きたくなってきたなあ。謹慎期間が終わったら、たぶん(笑)。
以上。