三子生隧道(仮)(廃)【序】(高知県安芸郡北川村長山~木積) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2019年7月27日、高知~徳島遠征初日の朝、8時29分。

 

わたくし的メインターゲットへとやってきた、早くも(笑)。

 

 

 

以下、少しく前説などを。

 

今回ご紹介する物件は、「四国の眠れる獅子」こと学生服のヤマダ先生(いや、勝手に言ってますすいません)が、かつてご自身のYahoo!ブログでその探索記録を紹介されたもの。が、奥ゆかしい氏のブログだけに、物件もさることながらその記録自体がマボロシ状態(苦笑)。おそらくリンクを張ることも望まれないと思うのでやめておくが、いずれにせよヤフブロの終了に伴い、その記録は失われてしまう。なんという損失…。

 

今回の(ほぼ初の)四国遠征に伴い、氏の紹介されたこの隧道を思い出したわたくし、改めて場所を確認してみたら、ちょうど集合場所の道の駅からもさほど離れていない立地。さっそくに今回ご一緒した穴の師匠、よととさんにご紹介してみたら予想通り食いついていただいたので、こうして現地へ赴いた次第。

 

ひとつ懸念されたのは、先生の探索記録が2004年夏~秋というだいぶ前のものだということ。当時ですでにナカナカな状態であったことを目にしているだけに、その後の15年間に、どのような変化が生じているか、いないか。それも含めての探索となった。

 

上に述べたように、ヤマダ先生の記事は風前の灯、改めて現在の姿を記録し、先生への報告を兼ねて記事にさせていただこうと、こういうことである。先生から許可をいただいているので、当該記事から適宜画像もお借りして構成していく。

 

 

 

 

ここで地図をご覧いただこう。

明治四十年測図(昭和八年修正測図)の地図なのだが、

中央ちょい上、屈曲した川の流れをショートカットするような隧道表記が見える。あれこそが、目指すところ。ということは、明治隧道ってことか…。

ヤマダ先生は隧道付近の小字から三子生(みこがうえ)隧道と仮称をつけられていたので、今記事でもそれに倣う。

 

 

で、現在の地図ではこのような。隧道はおろか、道自体が描かれていない。おおよそのアタックルートは先生の記録で予習はしてきているものの、果たして?

 

 

 

 

 

前説は以上だ。

 

 

 

 

つうわけで、

次回【1】、さっそく探索の模様をお伝えしていく。