【序】より続く。
本篇を始める前に、再度地図だけ載せておこう。
で、現在の地図がコチラ。
地図でポイントした場所が、
この場所になる。
県道が大きく曲がるところ、そこに架かるささやかな橋が、
探索のスタート地点だ。
渡った先は左右に道は延びているものの、左は基本的に違う。右への道は二本に分かれていたが、いずれも微妙にプライベート感が漂っていた。確かに先生の記事でもそのような記述があったな。
たまたま運良く、分岐点にあるお宅のご婦人にお話を伺えた。
や、話したのはわたくしじゃなくって、よととさんですけど(笑)。
上の写真、ちょうどお話しされてるところ。結果、辿るべき道はハッキリした。そして、目指す隧道は車道隧道であったということも知ることができた。ご婦人、ありがとうございました。あ、よととさんも(笑)。
お宅の前の道は、ほどなく終了。
すぐさま山に取りつき、登り始める。
これは、古地図に載っている、隧道のある道ではない。その道へ、集落からのショートカットとなる連絡路?のようなものだ。
登りはじめに出会うのが、この場所。
なんとなく、匂うでしょ。
我々は手前から奥への道をゆくが、それに斜めに交差する平場が現れるのである。先ほどのご婦人によると、これは林鉄の軌道跡なのだとか。広大な路線網を誇った魚梁瀬森林鉄道の支線が、ここにも伸びていたということだ。
今度は軌道跡から。イイ雰囲気である。
左上への道が、これからたどる道だ。
つまり、これはかつての踏切跡、ってことになるのか?あるいは軌道の廃止後に付けられた道なのかも。まあ隧道がいつまで現役だったのかとか、わからないことだらけなんだけども。
軌道跡からは、
鬱蒼とした竹藪の中を、ガシガシ登っていく。
二~三度折り返したところで、
上方を横切る新たな平場を視認。
見にくいが、肉眼ではいかにも!な石積み土留めもしっかりと確認できた。
ついにキタようだ、例の道が。
平場に到達してみれば、
おおっ!めっちゃイイ道!
同じ場所で振り返ったのがコチラ。
この方向(隧道と反対方向)はいささか荒れて見えた。右下、宮川さんのおられるのが、今登ってきた道。
ちなみに、ヤマダ先生はもっと手前(南)から、忠実にこの古道を辿ってこられていた。
で、上の写真とほぼ同じと思われるところで撮影されてて、その写真がコチラ。
【撮影:学生服のヤマダ氏】
2004年11月のこの写真から、めっちゃ大きく変貌している印象はない。まあ、もしかしたら違う場所かもしれないが、
先ほど見たとおり、その路肩は、
しっかりとした石積みで護られていた。
明治の地図に残る(そして今では消えた)道。いやがうえにも盛り上がってきますがな~(笑)。
基本的に眺望がない古道なのだが、木の切れ間からの眺めは
こんなとこまで登ってたか、という高さ。
そして右手に現れたのが、これも先生の記事で触れられていた
「旧々道」の石桁暗渠。
先生によると、隧道ができる前、旧々道はここで鋭角に折り返し、峠越えをしていたのだとか。
ということなのだが、
果たして何を下に通していたのか?とりあえず今は蜂洞が置いてあるけど(笑)。
これについては興味深い発見があったのだが、次回以降で改めて触れることにして、今はスルーする。
…これじゃないよ(笑)。
そこからはもう、目と鼻の先だった。
道が開けて広めの平場となり、右手斜面へと切れ込んでいく。
隧道ハンターよととさん、見つめる…。
これは間違いなく、
キターのパターンだが…あ!
キター! !(久々)
【2】に続く。