三子生隧道(仮)(廃)【1】(高知県安芸郡北川村長山~木積) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【序】より続く。

 

 

 

本篇を始める前に、再度地図だけ載せておこう。

 

で、現在の地図がコチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

地図でポイントした場所が、

この場所になる。

 

 

 

 

 

 

県道が大きく曲がるところ、そこに架かるささやかな橋が、

探索のスタート地点だ。

 

渡った先は左右に道は延びているものの、左は基本的に違う。右への道は二本に分かれていたが、いずれも微妙にプライベート感が漂っていた。確かに先生の記事でもそのような記述があったな。

 

 

 

 

 

たまたま運良く、分岐点にあるお宅のご婦人にお話を伺えた。

や、話したのはわたくしじゃなくって、よととさんですけど(笑)。

 

上の写真、ちょうどお話しされてるところ。結果、辿るべき道はハッキリした。そして、目指す隧道は車道隧道であったということも知ることができた。ご婦人、ありがとうございました。あ、よととさんも(笑)。

 

 

 

 

 

お宅の前の道は、ほどなく終了。

すぐさま山に取りつき、登り始める。

 

これは、古地図に載っている、隧道のある道ではない。その道へ、集落からのショートカットとなる連絡路?のようなものだ。

 

 

 

 

登りはじめに出会うのが、この場所。

なんとなく、匂うでしょ。

 

我々は手前から奥への道をゆくが、それに斜めに交差する平場が現れるのである。先ほどのご婦人によると、これは林鉄の軌道跡なのだとか。広大な路線網を誇った魚梁瀬森林鉄道の支線が、ここにも伸びていたということだ。

 

 

 

 

 

今度は軌道跡から。イイ雰囲気である。

左上への道が、これからたどる道だ。

つまり、これはかつての踏切跡、ってことになるのか?あるいは軌道の廃止後に付けられた道なのかも。まあ隧道がいつまで現役だったのかとか、わからないことだらけなんだけども。

 

 

 

 

 

 

軌道跡からは、

鬱蒼とした竹藪の中を、ガシガシ登っていく。

 

 

 

 

 

 

二~三度折り返したところで、

上方を横切る新たな平場を視認。

見にくいが、肉眼ではいかにも!な石積み土留めもしっかりと確認できた。

ついにキタようだ、例の道が。

 

 

 

 

 

 

平場に到達してみれば、

おおっ!めっちゃイイ道!

 

 

 

 

 

 

同じ場所で振り返ったのがコチラ。

この方向(隧道と反対方向)はいささか荒れて見えた。右下、宮川さんのおられるのが、今登ってきた道。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、ヤマダ先生はもっと手前(南)から、忠実にこの古道を辿ってこられていた。

 

で、上の写真とほぼ同じと思われるところで撮影されてて、その写真がコチラ。

【撮影:学生服のヤマダ氏】

2004年11月のこの写真から、めっちゃ大きく変貌している印象はない。まあ、もしかしたら違う場所かもしれないが、

 

 

 

 

 

 

先ほど見たとおり、その路肩は、

しっかりとした石積みで護られていた。

 

明治の地図に残る(そして今では消えた)道。いやがうえにも盛り上がってきますがな~(笑)。

 

 

 

 

基本的に眺望がない古道なのだが、木の切れ間からの眺めは

こんなとこまで登ってたか、という高さ。

 

 

 

 

 

 

そして右手に現れたのが、これも先生の記事で触れられていた

「旧々道」の石桁暗渠。

先生によると、隧道ができる前、旧々道はここで鋭角に折り返し、峠越えをしていたのだとか。

 

 

 

 

 

 

 

ということなのだが、

果たして何を下に通していたのか?とりあえず今は蜂洞が置いてあるけど(笑)。

 

これについては興味深い発見があったのだが、次回以降で改めて触れることにして、今はスルーする。

 

 

 

 

 

…これじゃないよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

そこからはもう、目と鼻の先だった。

道が開けて広めの平場となり、右手斜面へと切れ込んでいく。

隧道ハンターよととさん、見つめる…。

 

 

 

 

 

これは間違いなく、

キターのパターンだが…あ!

 

 

 

キター! !(久々)

 

 

【2】に続く。