和束川岸の謎遺構~仁丹橋の奇跡 【3】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【工場跡】より続く。
 
 
我がハートを根こそぎ持って行った衝撃の物件、それをお目にかけよう。
 
 
 
何かある気がして撮った一枚。
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対岸に何かがある。春先で植生が薄いとはいえ、見えそうで見えない。アレは…何だ?まさか…?
 
 
 
 
少しでもよく見えそうな角度を求めて移動。もしや…と思った通りのものが見えてくるにつれ、胸の高鳴りを抑えられず。
 
 
 
 
 
 
 
 
煉瓦だよねアレ。
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完全に煉瓦やんか!!!
 
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しかもしかも何なの!あの隅石と持ち送りアリの装飾性は!?
 
 
 
 
 
ちょっとここで落ち着こう。ポイントは…まあテンション上がる物件というのはおしなべてそうなのだが…まったく予備知識なしで偶然発見した、ということ。しかも現地の今の状況から見て、およそ何かがありそうには到底思えない場所で、だ。
 
加えてわたくしが煉瓦構造物が好きなのは周知の事実(誰にw)。しかもあの立地、そしてあの形状、あの装飾。
 
 
まず、アレは一体何なのか?ということだ。
 
 
川に向かって壁状にそびえるあの姿は、まあ橋にまつわるモノだろう、とは考えた。そして観察した結果、それは上路の鋼アーチ、または方杖型であっただろう、とも(理由は改めて)。
 
だとすると、アレはいわゆる橋台部分。人目には触れない部分のはずだ。にもかかわらず持ち送りの装飾が施されている、というこだわり。
 
ポイントは(そのまんまだが)煉瓦製である、ということ。そしてここで思い出されるのが、仁丹橋のたもとで見たあの看板の「ココに仁丹の工場ができたのが大正6年」との記述。大正6年といえばコンクリートが使われ始めた頃(ついこないだもこんな事書いたな)だが、まだまだ煉瓦が使われていた時代。
 
つまりだ、これは工場の建設に合わせて架橋された、「初代・仁丹橋」というべき橋の遺構なのではないか?
 
との仮説が脳内で出来上がった。
 
 
 
 
 
間近に観察すれば、何かわかるかも知れないね。
 
 
 
というわけで、工場遺構をチェック後、大急ぎで対岸へ…
 
 
 
行きたいところだったが、前回少し触れた、川床に散乱する巨大なコンクリート塊も気になる。先にコレをチェックすることにすることにし、多少苦労して下へ降りてみた。
 
 
 
…結果、川床でも衝撃的なものをいくつか発見した。
 
 
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明らかな、災害の痕跡。
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帰ってからの調べで、これを裏付けるであろう事実を知った。それはまた改めて。てことで、これは対岸の景。
 
 
 
ここから視線を右上へ移していくと…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ズドバァーーーン!!
 
 
 
 
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先ほど、上路鋼アーチか方杖型と判断した理由がコレ。
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この角度。コレは明らかに鋼材を斜めに支えていた痕跡でしょ!
 
 
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 何気に煉瓦使いにこだわった部分も。
 
 
基部はけっこうヤバい状態。
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OK,わかった。もう十分だ。(久しぶりのフレーズw)
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今、逢いに逝きます!!