【1】より続く。
そんなわけで、行けるとこまで逝ってみよ~う!となりまして…(笑)。
ちょっと大きな橋があった。
隧道に至るまでの林道上にももちろん何本かの橋はあったのだが、記録しておこうと思えるようなものはなかった。ここへ来て、これまでで最大の橋が現れたので、まずはストップ。
で、こんな離れたとこで何してるかっていうと、
橋の手前のここ。
大きく欠損した路肩が、鉄板で仮復旧してある。そして、本格復旧されることは恐らくないんだろう。
さて、本題のこの橋。
ガッツリ苔むして、いい雰囲気。印象として、やはり昭和中期テイストを感じさせる。
上流側から、サイドアングル。
いや~悪くない。悪くないわ。
そして、
中奥川、キレイやな~。
下流側では、
支流が流入しているのが見えた。あっちにも行ってみたいな…。
ちょうど中奥川がほぼ直角に北北西に曲がるところに架かっていて、林道も直角カーブして中奥川に沿って続いていく。
で、下流側。
先ほど橋の下から見たとおり、写真左上方向から支流が流入。中奥川が大きく曲がっているのがよくわかる。
橋の直下には
コンクリ構造物の痕跡が。
かといって橋脚跡とかじゃなさそう。プチ堰堤っぽいかな。
奥地側から正対。
ここまでスルーしてきたが、親柱には何の情報もなし。お名前もお誕生日もわからなかった。
じゃあ記事のタイトルはどういう根拠やねん?ですって?まあそのあたりは、最後に。
で、なぜかちゃんと写真を撮ってなかったのだが(三枚目の写真でちょっとわかるかな?)上の写真左手前に、支流方向へ降りていく道がある。
そこを降りて行った先は
ちゃんと舗装された広場になっており、
突きあたりの隅には
完全に倒壊した、資材置場?的なものが。
この一角、なんらかの作業用スペースだったのだろうが、放棄されて久しいような、そんなオーラを醸し出していた。
最奥部から振り返り。
橋からは、ほんの100mくらいだっただろうか。
こんなに短いけど、これも一種の廃道といえばそうだし。
で、適当に降りた河原から望む、
下流側からのサイドアングル。
奥から左への流れが中奥川、右からの流入が、支流の赤倉谷。これは帰ってから調べたんであって、現場ではどっちが本流なのか、確信はなかった。
しかし、この角度のサイドアングルが得られる橋も、なかなかないな~。素晴らしい!
堪能した。
最後に、橋のお名前判明のタネあかしを。
橋と清流を堪能して再始動した、その直後。
奥には先ほどの橋がまだ見えている、そんな位置に見つけた、一枚の看板。
コレなのだが…
条件反射的に撮ったこの看板、実はまったくちゃんと見てなかった。
ほぼ判読できないと思い込んでいたからなんだが、記事を書くにあたって、拡大してよーく見てみると…
おおっ!
見えるぞ、見える(笑)。
そこには辛うじて判読できる「赤倉橋」の文字。かくして、ネットで調べても判明しなかったお名前が、記事を書く段階で写真から判明。やっぱこういう看板類、撮っとくもんやな~(笑)。
というわけで、時刻は7時25分。
林道中奥線に進入してからすでにほぼ1時間半が経過しているが、
まだまだ逝けそう。
【3】に続く。