大ネタの途中ですが、ブレイク。
2012年5月4日、京都の市街地、鴨川の西側を流れる高瀬川を南下しての橋シバキ倒しにて遭遇。
大ネタの途中ですが…とか言うてますけど、
コレも実は大ネタですよ?個人的には。いやマジで。
ちなみにこの二本後の橋がコレですよ。
さて、件の橋。東側より。
…わかりますよ、その気持ち。
どこが大ネタやねん!?
って思ったでしょう?まあ落ち着いて。
場所はコチラ。
五条通り(国道1号線)以北の高瀬川沿いはいろんな店が立ち並び、人通りも多い。だが以南は一転、かつての花街が残る閑静な住宅街など、生活エリアとなる。
そんな一角に、ひっそりと在るこの橋。
お名前は
ろっけんばし。
確かに欄干はちょっと個性的ながら、どこがそんなに!?と思うだろう。その理由はしかし、少しでもサイド気味に見れば、一目瞭然。
…ちらっ。
!!
見ました?今の見ました?ビックリしましたよわたくし。
反対側も見ます?
ブブブー(はなぢ
ななな、
なにこれーー!?
こんな橋、見たことあるか?わたくしはない。ここしか知らない。
いったい何ていう型式だコレ?超変態型鋼製ガーダー橋か?いや、やっぱこれ中路アーチと呼んでしまうべきか。うん、そうだ。中路アーチだ、なんとこのちっぽけな橋で。
何ゆえに、この場所にかような弩変態橋が架けられることになったのか。真相はわからない。
ひとつ言えるのは、
この鋼製ガーダーとアーチ、相当に年季の入ったものだということ。
今度はさらに低めから、かつ明度を上げてみた。
アーチの底面をよくご覧あれ。中空…ではないけど、なんて言うんだコレ。えーと。
支承部の処理や、さらにそれを受け止める橋台が石積み(風?)となっているのも見ものだ。いやマジで、コレ大ネタですよ。
西側より。
いや、普通に見たら全くそんな大それた橋だとは(爆)。
結局、親柱でも竣功に関する情報はなし。
てか、おそらく路上から見える橋部分は、さほど古くない(せいぜい昭和半ば)ように思う。問題はあの土台部分だ。
調べてみたら…いつものように先達は永冨謙氏(nagajis氏)だった。もう~さすが!氏の調べによると、大正15年架橋だという。やはりめっちゃ古い!
京都へお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。
以上、完結。