【1】より続く。
無理やり崖を下った、小櫃川の川べり。
そこに待ち受けていたのは、
半ば埋没した穴。なんじゃあこりゃあ!
これこそが、目的の物件。
これはまききさんが明治36(1903)年の地形図にある隧道表記を見つけ、実際に現地に赴き発見したもの。そう、こんな場所にあるものの、れっきとした道路隧道だったらしいのである。
探索日からさらにさかのぼること3年の2008年末、まききさんはここを探索し、近所に住む御老人から、これが間違いなく明治の地形図に描かれている隧道に相違ない、との証言を得られたのだという。
その幻の明治隧道(ヘタすりゃもっと古い?)を、この日案内してくださった、というわけなんである。
この隧道は、あの「今昔マップ」でも確認できる。
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
右側が現在の地図。そして左側に表示されているのは、1894(明治27)年~1915(大正4)年の地形図。
今目前にしているのは、まさにその明治の地形図中央に描かれている隧道、西側坑口の痕跡なのである!
そして、左端のメニューで新しい時代の地形図に切り替えていただくと、1928(昭和3)年~1945(昭和20)年の地図では、すでにその姿を消しているのがわかる。
ついでに言えば、1972(昭和47)年~1982(昭和57)年の地形図に切り替えると・・・先ほど歩いてきた頭上の道路が拓かれており、【1】で述べたとおり、そこにごくごく短い隧道表記が見られる。そして、1988(昭和63)年~2008(平成20)年の地形図では、もう姿を消している・・・。
ェー、とりあえず文章量増えてきたので、ヤメようか(笑)。
完全に小櫃川に向かって開口しているように見える隧道、
このように隧道脇はもう、
即、小櫃川。
わたくしが勝手な行動をとっているのをまききさんに撮られてました、の図(笑)。
その時撮ってたのがコレ、
隧道脇から見た、大盛橋。
いや~、まさかこの位置に隧道がねぇ・・・。
ちなみに先ほどの「今昔マップ」の明治地形図でわかる通り、隧道を抜けた道はすぐに小櫃川を渡っていた。
ちょうどこの写真を撮っていたあたりで川を渡っていたのだと思うけど、その場ではそんなん知らなかったので痕跡を探すこともなかった。まあ、何かありそうでもなかったけど。
ただ・・・ですね、
これは同位置から小櫃川対岸を見た景だが、あの意味ありげに護岸が切れてる箇所。
あそこが、かつての橋が取り付いていた位置ではないかと思われる。
逆光で望む、小櫃川上流側。
あー、なんか房総の川っぽい(笑)。
そして、小櫃川から見た隧道がコチラ。
水路隧道じゃないっすよ?凄いなこの立地!
当然こんな場所だけに、増水するたびに隧道も水没していたとか(まききさんの聞き取りによる)。
いやいやいやいや、
なんつう道路隧道やねん・・・。
隧道前へも、地味に登りにくい・・・。
この部分は、かつて道だったはず。
ちょうど橋への取り付きあたりだと思われるが、現状を見ればとてもそうは見えず。「冗談ヤメろ」と言いたくなる(笑)。
なんとか西側坑口の前へ。しかし実際にはたどり着く前から気づいていたことを再確認しただけだった。
冠水~水没を繰り返した隧道。
そんな隧道が、いつしかどうなるかと言えば・・・?
当然、こうなる。
【3】に続く。
※今回、2、4、7、8枚目写真がまききさんからいただいたものです。








