本村隧道 (第三拱) (東京都渋谷区本町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2012年8月27日、東京出張の仕事隙間に訪ねた物件。ここの前の移動中には旧御所隧道&新御所トンネルをチェックしてたり。
 
 
 
タメなくドーンと。
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どんな感想をお持ちになったかわからないが(笑)、ご覧の通りのボックスカルバートトンネル。だが、神殿の柱のようなピラスターに思わず目を剥く。これが、
 
本村(ほんむら)隧道、大正9年建造、土木学会選近代土木遺産Bランク。
 
 
 
大正9年といえば、まだまだ煉瓦隧道が主流で、ようやくコンクリートが新しい素材として出てきたばかりの頃。この本村隧道には、もしかすると現存最古のボックスカルバートトンネルである可能性が…あると思う。
 
 
その建造時期をあらわすかのような、
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この神殿ふう(笑)ピラスター。
 
 
 
 
現代では無味乾燥の代名詞的なボックスカルバートに、
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こういう装飾を施したピラスターをつけるなんて。
 
そもそも、ピラスターとは坑門が倒れないように押さえるものだから、ボックスカルバートでは全然必要ない、それ自体が装飾品なのに。
このあたりが、当時の最新型トンネルでありつつも旧来の隧道のフォーマットを踏襲しているという、過渡期的なデザインの面白さを感じてしまう。
 
 
隧道脇からは、
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階段が上に伸びている。
 
不覚にも写真を撮り忘れたが、上は道路。その名も「水道道路」と呼ばれている。これでピーンとくる方もおられるだろうが、隧道のあるこの築堤は、かつての水路なんである。
 
明治31年に完成した玉川上水の新水路がその正体で、水路だけに微妙な勾配を保っていなくてはならないために、標高の低いところではこのような築堤となっていた。その築堤に、人々の生活、行き来の必要性から三本の隧道が設けられたのだが、そのうちのひとつ、かつての「第三拱」が、この本村隧道なんである。そう、我がホームの旧・草津川と同じような、天井川として認識していただくとわかりやすいと思う。
 
現在では水道は移設されているのだが、今もこうして築堤が残り、道路として使われているというもの。面白いな。
 
 
階段から見おろした、隧道サイドアングル。ebcfc138.jpg
 
 
ピラスターの上、乗りたい(笑)。
 
 
 
 
本当に、
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立派だ。コレは目を惹くね~。
 
 
 
 
このように、
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かつては扁額があったっぽいのだが、外れたか外されてか、今は失われている。
 
もし金属製であったのなら、これも戦時中の金属供出で失われたのかもしれない…って最近別記事でも金属供出のこと書いたな(笑)。
 
 
 
抜ける。
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車道も狭いが、歩道はもっと狭いぞ(笑)。
 
人どうしのすれ違いもギリな感じ。巨漢がやってきたら離合不可だ(笑)
 
 
 
 
抜けて、振り返り。
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こっちは蔓植物が繁茂して、扁額の有無はわからず。
 
 
完全に生活道路で、交通量は多い。ボトルネックと言えばそうだが、今や拡幅もできないだろう。たぶん水道道路が「道として」現役である限りは生き伸びるのではないだろうか。どうか、末永くご健勝で(笑)。
 
 
 
以上、完結。